大学の図書館は、余りよく知られてはいないが結構な穴場だ。大学の在学生だけではなく、外部の人間にも貸出しカードさえ作ってしまえば利用出来るくらいには開放されている。にも関わらず相変わらず利用する人が一向に増えないのは、おそらくその認知度ととっつきにくさが原因だ。一般人は大学の中に図書館があることはかろうじて知っているのかもしれないが、その恩恵を自分も享受出来るという事実をまず知らない。大学の図書館の貯蔵されているのは主に小難しい専門書で、一般人がわざわざ利用してまで読みたいと思える代物でないことも理由の一つ。

普通に流行図書や最新文芸書を読むのであれば、市営の図書館でも事足りる。ああ、あと大学正門に警備員がいるのも良くないのだろう。内部に精通している者でなければ、あの場所をそ知らぬ顔で通り過ぎるというのはハードルが高すぎる。実は警備員なんて名ばかりで、そのへんの番犬を連れてきた方が確実に防犯になるレベルなのにも関わらずだ。

つまりこれら様々な材料によって、人数少ない大学図書館というものは成り立っている。

つまらない説明を長々としてしまったが、最終的に何を言いたいかと言えば、そんな人寂しい図書館を自分が愛してやまないということ。


大学の図書館は五階からなる。出入り口付近の一階に貸し出し用のカウンターがあり、その奥には、軽く勉強するには充分な小さな教室のような部屋がある。しかし、その場所に常備されているのは外国語の辞書やあるいは厚い時事用語の本の類であって、じっくりと読む本と言うには程遠い代物だ。それに対して二階以上になると一気に専門書の数が増す。


その数はもちろん莫大で、ジャンルも幅広く。一応はそれぞれに分類され、コーナーごとに区別されてはいるが、さながらそれは遊園地にある巨大迷路のようなものだ。同じ階の違うコーナーならまだしも、探していた本が上の階にありました、なんてこともよくあるので始末に終えない。酷いときには、図書館ではなく違う建物の書庫に置いてあります、と図書館員に告げられたこともある。入学当時、それでどれだけ苦労したことか。涙ぐましい努力を語ることすら憚られる。

兎に角、その本の量は膨大で、だからそのそれを収納する家屋も広くならざるを得ない。

天井までみっしりと本で詰め込まれた書棚は、確かに圧迫感を感じるが、慣れさえすれば人のそれよりも遥かに楽だ。人間は接触すればするほど、その裏を推し量っては疲れ果てる。その分、本はいい。書物というのは、何処までいっても裏がなく、何処までも純粋だから。

館の最上階、五階の書棚と書棚の間、その窓際に実はこっそり一つの机が置かれてある。

おそらくは誰もそこにそんなものがあるのは知らないのだろう。図書館員だって覚えているかどうか怪しい。一番の友人すら知らない、秘密の場所。日当たりがよく、それでいてその静寂さが、うっとうしい人間の存在を忘れさせてくれる。大学というのは、何故にあんなにも人が多いのだろうか。ああ、まったくもって煩わしい。

しかし、唯一の安息の地だった場所は、ある日突然他人の知るところとなる。しかも、あのサークルの新入部員の手によって。更に最低なことに、会長から紹介されたその日のうちにだ。

「あ、嵯峨先輩。あの、その…こんにちは。」

本日の予定は午後からの講義が休講の為、午前中で終了。でも、なんとなく家に帰る気分でもなく、どうしようかと考えた挙句、よし、机のうえにつっぷしてしばらく寝るか、と顔面をダイブさせようとした瞬間に、唐突に話しかけられた。見れば、我がサークルの期待の新人、―小野寺律とか言ったっけ?―が数冊の本を抱えながら机の前に突っ立っている。相変わらずの挙動不審っぷり全開で。

「…何か用?」
「いえっ、あのっ、その、用って程ではないんですけれど。木佐先輩が、嵯峨先輩を見かけたら、今日は部室に来るように、って言っておいて欲しいと伝言を頼まれたので」
「…あっそ」

そんなもん、わざわざ口頭で伝えなければいけないものでもないだろうに。今は科学の進歩が著しく、そんな伝言は携帯のメール一つで充分だろう。…それでもその点に敢えてつっこまないのは、それを告げたところで何の意味もないし、ただコイツが動揺し始めて、更に収集のつかない事態になるのを避けるためである。これ以上の面倒ごとは嫌いだ。
それ以上一向に語りかけずに、変な笑い顔を浮かべる奴に、さて、これからどうしたらいいものか、と頭を悩ませ始めたところに、携帯が振動する。しかも、どうやら俺だけではなく、目の前の彼にも。その時点で誰からのメールかすぐに分かった。読書愛好会の現サークル会長である木佐先輩からだった。

―美濃と羽鳥、今部室に来てるから。もし時間が空いてたら、来い。

前半は気づかうような文面なのに、後半命令形ときたもんだ。ちなみに、当愛好会ではサークル会長様のお言葉は絶対だ。以前彼からのメールを悉く無視をしたら、次の日に昼夜問わず電話とメールの猛烈攻撃を受け、彼にそれを謝罪するまで続いた経験がある。


郷に入っては郷に従え。このときばかりは先人達の教訓というものは実際の場面では酷く妥当な対応なんだな、と考えを改めさせられた。

はあ、と溜め息をつきながら席を立とうとすると、先輩も行くんですか?と木佐先輩の腹黒さを知らない小野寺が、純粋の俺に問いかける。まあ、呼ばれたから行くけど、と素っ気無く答えれば、ご一緒してもいいですか?との申し出。

「同じ場所に行くのに、一緒に行かないほうが不自然だと思うけど」

と、ぶっきらぼうに答えた瞬間、ぱあっとまるで花が咲くように小野寺が微笑んで、しかし俺と目が合うと一気に真っ赤になって、そのまま俯いてしまった。

「本、借りないの?俺もう行くけど」
「あ、わあ!ま、待ってください!すぐ借りてきます!」

言えば、慌てたように小野寺がぱたぱたと下の階に向かって走り出す。図書館では静かに、っていう注意書きが読めないのか、あいつは。と考えながら、ぽりぽりと頭を掻いた。

…どうしたもんかな。

最近の俺の専らの悩みは、今目の前を走り抜けて行った小野寺のこと。

鞄を片手で背負い、図書館の玄関口まで辿りつけば、またもや顔を赤くさせた彼とご対面する。―お前、これじゃあ、お見合いで初めてお目見えする二人じゃないか、とか何とか考えながら、もう一度深いため息をつく。ああ、面倒くさい。何でこんなことに。

気づかなかったわけじゃない。彼が先ほど持っていた本が、丁度二週間前に自分が借りた本であったということ。気づかないわけない。小野寺が二週間というスパンで、俺の借りた本を何度も何度も借りているという事実。

どうやら、高校時代に収まったかと思った彼のストーカー癖はまだまだ健在らしい。

ご一緒にと自分から申し出た割に、俺の三歩後ろでぎくしゃくと身体を前進させて小野寺をちらりと流し見る。

これらの状況と、情報を一括にまとめて、分かることはただ一つ。


―小野寺はどうやら、未だ俺のことが好きらしい。


…本当に、何なんだよ。


こいつは。





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -