「羽鳥くん、本当は千秋のこと好きでしょ?」

確信を持った尋ね方だったという。簡単な自己紹介を済ませた直後の一言。普段は冷静沈着な羽鳥ですら、その時ばかりは動揺を見せた。それが答えね、と言わんばかりに一ノ瀬は髪をかきあげながら、私も好きよ、と告白した。

だから一緒に賭けましょう?あの子が、どちらを選ぶか。それともどちらも選ばないのか。

悪魔の誘惑だと分かっていたにも関わらず、その誘いに乗ったのは、何年も抱え込んだ恋心をもう自分自身では堪え切れなかったから。王子を殺すか、自分が死ぬか。トリは迷わず、自分の恋心を殺すことに決めたのだ。

一ノ瀬と付き合うふりをして、俺の様子をずっとじっと見守って。女物の髪飾りをわざと俺の目につくように部屋に置いてと指示をして、下の名前を呼ぶように強要した彼女も、胸に秘めていたのは、きっとトリと同じ想い。

だというのに一向に反応を示すことの無かった俺に、二人はとうとう最終手段に出る。

それが、あの旅行の話。流石に二人で旅行に行くという事実は、その間柄を決定的にするものに他ならない。だから、そこで俺からのリアクションが何も無ければ、自分の心はこの二人の中にない。その事実を受け止めよう、と。半ば二人とも諦めた心持ちだった。旅行に行くふりをして、喫茶店で時を過ごし。永遠とも思える沈黙のまま、それでも結末は訪れた。



俺のトリへの電話が、その選択だった。


ああ、だからトリはあの時「お前が俺を選んでくれて良かった」と言ったのか。だから一ノ瀬はあの時、俺に謝罪をしたのか。”俺を騙す様なことをして、試すようなことをして”ごめんね、と。


「絵梨ちゃんね、本当はずっと前から千秋ちゃんのことが」


突き抜けるような青空を見上げながら、小日向が言い淀んだ。ここから先は言えないとでも告げるように、きゅ、と口を結ぶ。今更私から言っても仕方ないよね、そんな言葉が彼女の表情から見て取れた。

一ノ瀬とはあの日以来全く顔を合わせていない。会いたくないというわけではないけれど、会っても何を話せばいいのか分からないというのが正直な気持ち。同じように無言でいると、沈黙を打ち破って、彼女が言った。

「千秋ちゃんに、ケーキたくさん奢ってもらうんだって、絵梨ちゃんが」
「…たくさんって、どれ位かな?」
「きっと三人では食べきれないくらいね」

くすくすと笑う小日向の横で、一ノ瀬のことを考えた。彼女から見て、今までの俺はどんな風に見えていたのだろう、と。トリの優しさに甘えて、彼の心を追いやってまで傍にいたくて。今まで誰も察することが出来なかったトリの心を見抜いた彼女は、俺自身さえ知らなかった自分の恋心に、本当は気づいていたのではないのか。

お互いに想いあってるくせに、最初の一歩を踏み出せない。臆病なその関係は、きっと彼女を苛立たせた。自分の気持ちを告げることも出来ずに、ただただ二人を見守ることしか出来なくて。どんなにもどかしかったことだろう。どんなに、苦しかっただろう。ああ、なんだ。そうか。



彼女もまた、言葉を失くした人魚の一人。



自分の馬鹿さ加減に本気で嫌気が差す。自分勝手で浅はかな行為が、こんなにも大切な人を傷つけて。罪悪感にずしりと胸が重くなる。電話越しで泣いていた彼女の声が蘇り、きりきりと心が痛む。元気な笑顔の裏で、どれだけ彼女は泣いていたのか。気づかなかったの一言では言い訳にもならない。


「大丈夫だよ、千秋ちゃん。絵梨ちゃんには、私がいるから」


微笑みながらきっぱり言い切る彼女に、救われたような気持ちになる。ああ、良かった。トリを選んだ俺は、もう一ノ瀬に語りかけることは出来ないけれど、彼女には語りかけてくれる誰かがいる。だから一人で泣かなくていい。孤独に苦しまなくていい。それがこんなにも嬉しい。だって、俺だって一ノ瀬が好きだから。彼女が大切な友達であることに変わりはないから。


「ケーキ、食べるのってさ」
「うん?」
「四人じゃ駄目かな?」


彼女はくすりと笑って、それも良いわね、と答えた。


+++


旅行に行きたい。


言い出したのは俺の方だった。大学構内のテラスにあるテーブルを一つ、トリと二人で陣取って、広げたのは旅行会社から貰ったパンフレット。その中で何処に行こうかな、と悩む姿は、ここ一週間で習慣になったものだ。何処でも良いから、さっさと決めろよ。額に皺を寄せたまま、傍らに座るトリが言う。人事みたいに言っていないで、お前も少しは考えろ、とパンフレットで円筒を作って、ぽかりと軽く頭を叩いた。


頬に当たる風の優しさの中、ふと思う。もっと早く、こうやってトリと話せば良かったと。


曖昧に笑って、小さく息をついた。今更昔を嘆いても仕方のないことだと、充分過ぎるくらいに俺は知ったはずだ。だって「過去」はどう頑張っても変えることは出来ない。永遠の片想いのように、願う心はいつだって一方的。「過去」に対して「今」出来ることは何もない。



けれど、未来を変えることが出来るのは「今」しかない。



唐突に先輩の言葉を思い出した。自分の行為はいつだって自分に返ってくる。言った言葉も、言えなかった言葉も。全部自分に返ってくるという、あの。その言葉の意味も、先輩が俺に何を伝えたかったのか、今はもうちゃんと分かるよ。


「俺、こことここと、あとそこにも行きたい」
「行き先は多ければいいってもんじゃないぞ」
「だって。行きたいんだもん」
「そんなに行けるわけないだろ」




「出来るよ、二人なら」




羽鳥が一瞬だけ大きく目を見開いた。いつかトリが俺にくれた台詞。そのままにお前に戻してやる。驚いた表情が何故か可笑しくて、思わず笑ってしまった。



ほらね。言葉って、こうやってちゃんと返ってくるものなんだよ。



長年温め続けてきたトリの恋心は、もしかしたらあの時きちんと俺の心に届いていたのかもしれない。なら今度は、俺の中で抱え続けた言葉を一枚一枚剥がして、彼に伝えよう。自分の気持ちもその一片に重ねて。それは一体何日かかるだろう?何年続くだろう?最後の一つを言い終えた時、その言葉がお前の口から俺に返ってくると良い。今はそれをひたすらに信じているよ。



何年先も。ずっと一緒にいるから。ずっと好きって言い続けるから。




ねえ、トリ。お前が。



失くした言葉を取り戻すまで。





「そう言えば。木佐先輩が、お前の漫画を読みたいって言ってたぞ。相川先輩が絶賛していたから、少女漫画好きな知り合いにも見せたいんだと」
「そんなにたいしたものじゃないけど。それでもいいなら別にいいよ」

描いていた漫画のストーリーにほぼ変更は無い。人魚姫とその姉達が魔女と戦って、その声を取り戻すお話。一つだけ前と違うのは、その戦いに王子様も加わるというだけ。幾度となく王子が人魚姫に語らい、王子の命と人魚の命。どちらも捨てない選択肢。どちらも幸せになる最後。これが、俺の本来の願いと、答え。未来に託したささやかな希望。


「その漫画の内容ってどんなの?」
「あれ?言ってなかったっけ?童話をテーマにするっていうやつ」
「…聞いてない。で、お前は一体何をテーマにしたんだ?」



真剣な眼差しで尋ねてくる彼に、俺のテーマはね、と。一息ついて、微笑みながら答えた。


『人魚を選んだ王子の話』







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