正直、自分の気持ちにうまく整理がつかない。トリに対する自分の感情が、親友や幼馴染のそれではないことを自覚しつつはある。分かりつつはあるけれど、決して認めたくはない。だって、今更それを認めてどうする。もうあちらには彼女がいるのに。潔癖症であるはずの羽鳥が、俺以外の他人を部屋に招きいれるくらい、好きな人がいるのに。

昔は良かった。羽鳥が隣にいることが至極当たり前のことだったから。その関係がこんなに簡単に壊れてしまうだなんて、今まで考えもしなかった。羽鳥と自分の間の距離は、これからどんどん顕著になっていくのだろう。想像を得意としていたはずの自分なのに、単純な未来さえ想像できなかったなんて本当に馬鹿げている

会いにいってもいい?そんな文面のメールだけが未送信フォルダに溜まっていく。住む部屋は近くだし、前置きなんてせずに行けばいい話だと人は哂うだろうが。羽鳥の部屋で、市ノ瀬の、彼女の痕跡を見つけるのが、怖い。彼の心の中にはもう彼女が棲みついているという現実を、つきつけられるのが。怖くて怖くて堪らない。

羽鳥に一番近い存在は、もう俺ではないのだ。


+++


誰もいないサークル部室でぽつんと一人で過ごしていると、ひょっこり誰かが部屋の中に顔を覗かせた。席を座ったままの状態で、そちらを見やれば見知った顔がそこにあった。

「あ、幼馴染ちゃん」
「…木佐先輩」

羽鳥の所属する「読書愛好会」の現会長で、高校生の頃から親交のあった先輩だった。抱えていたダンボール箱を目の前の机に積み上げて、ちょっとだけ休憩に付き合って?と屈託のない笑みを浮かべている。ポケットから取り出した、小さな缶ジュースをはい、と渡され、それを素直に受け取った。

「休日なのに一人で活動?偉いねー」
「最初は家にいたんですけど、煮詰まってしまって。気分転換に来てみたんですけど、誰もいなくて」
「ふーん。あ、そういえば幼馴染ちゃん。羽鳥、今何処にいるか知らない?朝から連絡してるんだけど、捕まんないんだよね」
「…俺は、ちょっと」
「そっか。彼女が出来たからって、あいつちょっと浮かれすぎだよね」

彼女と先輩の命令のどちらが大事かなんて、少し考えれば分かるのにねえ、と口にしながらくつくつと笑う。答えは、返せなかった。ただ曖昧に苦笑いした表情を浮かべていると、プシュと音を立てて彼は缶ジュースのタブを開ける。

「寂しい?」
「…少しは」
「ふうん、少し、か」

木佐先輩は、俺と羽鳥が昔からべったりだということを知っている。彼が自分のことを「幼馴染ちゃん」と皮肉めいた呼び方をしているのは、その為なのだ。用事があって羽鳥のところにいると、いつもお前がいるけど。お前は一体羽鳥の何なの?と聞かれて以来の愛称。

情報通の彼のことだ。羽鳥に彼女が出来たことは、当の本人から報告がある以前にとっくに周知のことだったのだろう。そもそも羽鳥自身がそのことを彼に伝えたかすら怪しい。貰った缶ジュースにゆっくりと口をつける。飲み込んだ甘い液が、喉に道を作った。

「先輩。突然なんですが、一つ質問してもいいですか?」
「うん、いーけど。何?」
「誰にも言えない、恋をしたことはありませんか?」

口に出した途端、先輩は缶ジュースを片手にあからさまに目を見開いて、驚きの表情を隠しもしない。どうしたの?急にという問いかけに、うまく返事をすることが出来ずに困っていると、ふは、と彼は噴出すように笑って。

「あー、あるって言えばあるかなあ。もう大分昔のことだけど。」
「相手はどんな人だったんですか?」
「…親友だった。俺の方が勝手に好きになって、でもあっちは自分の事を友人だとしか思っちゃいないから、告白すら出来なかった。誰にも言えないっていうより、誰にも言わなかったって言ったほうが正しいけど」

コトリ、と音を立てて彼が机の上に空き缶を置いた。一旦は外に視線を移して、何かを思い出すかのように天を仰いだ。その姿がどうしてだか、トリの姿と重なって見えてしまう。

「でも、言わないっていうことは言いたいことがないってわけじゃないんだよね。自分の感情ってものは、やっぱり吐き出してこそ意味があるから。言葉を抱え込むと、それがどんどん鉛みたいに重くなって、どこまでも沈んでいく。そして、それには多分、果てがない」

視線を元に戻して、まっすぐに俺の顔を木佐先輩が見据える。どう?今描いている漫画の参考になった?と告げながら。その台詞にきょとんとしていると、相川から聞いたよ〜。読書研究会の期待の星が、今の課題で悩んでるから心配だって。その割には回りくどいアドバイスしかしてないみたいだったけどな、と苦笑いしながら言葉を続ける。

「相川はさ、何故人魚はその声を失ったか、とか伝えたらしいけど、それは言葉通りの意味じゃない。あいつが言いたかったのは、多分、言葉を失った人魚姫は、何を王子に告げたかったのか。そこを幼馴染ちゃんに聞きたかったんだと思う」

会話を遮るように小気味のいい音楽が流れた。木佐先輩が慌しく携帯電話を取り出す。いつまでも荷物を持ってこない先輩に、サークルの後輩がしびれを切らして連絡したらしい。
嫌そうな顔を一瞬浮かべて、よいしょとダンボール箱を持ち上げた。

「木佐先輩。その、変なことを聞いてしまってごめんなさい」
「単なる後輩へのアドバイスだから、気にしなくていいよ」
「でも」
「大丈夫、もう“終わった”恋だから」

相川が嫌になったらいつでもうちのサークルに来ていいからね〜。幼馴染ちゃんだったら大歓迎だから、とひらひらと手を振って。部屋を立ち去る間際に、何かを思い出すように振り返った。

「自分のしたことって、結局自分に返ってくるんだよ。言った言葉も、言えなかった言葉も。全部自分に返ってくる。だから、いつまでも逃げ続けてはいられない」

+++
…羽鳥に会いたい。どうにもこうにも羽鳥に会いたくてたまらない。自分の心の中にわだかまるこの真っ黒とした感情を吐き出したい。今のお前にとって、俺って何?どういう存在?欲しい答えも分からないけれど、とにかく全部伝えたい。俺の全部を今すぐに言いたい。

帰りがけ、マンションのエントランスで羽鳥の後ろ姿を見つけた。チャンスとばかりに、接近し、トリ、と小さな声で彼の名前を呼んだ。けれど、彼は気づかなかった。よくよく観察してみると、耳に何かを当てている。どうやら電話の真っ最中だったようだ。

流石にそれを取り上げてまで、羽鳥の意識をこちらに向けることは出来ない。ぐ、と堪えてその会話に静かに耳を傾ける。聞こえた、絵梨佳さん、という優しげな響き。

途端、体が石のように固まって動かなくなった。思考が全く追いつかない。俺の存在を知ることなく、羽鳥は会話を続けたまま、階段の上に消えていく。あれ?と思った。今、彼女の下の名前を呼んだか?と。あれ、と口に出した。トリって、そんな簡単に人の名前を呼ぶやつだったか?と。そして気づいた。あれ、あれ、あれ?



ねえ、トリ。



お前いつから、俺の名前を呼ばなくなった?







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