Scene. 13 膝の上に寝る猫




「……あのね、もしズレたこと言ってるようだったら訂正して欲しいんだけど」

「あ?」

足の治療を始めてから、ずっと目を逸らしたままだったスタークは、そこで初めて あたしの顔を真っ直ぐに見た。
 
「あたしは、ハムスターじゃないよ」

そして、ぽかんと口をあけて、しばし あたしの顔を見つめたあとで慌てて言葉を継ぐ。

「わかってるって。俺は、ただ……」

「いくら破面のナンバーワンが相手とはいえ、こちらに殺意を持ってない相手の無意識で捻り殺されるほど、あたしは弱くない」

「…………」

「断界の中でリリネットに逢った瞬間から、死ぬ覚悟なんて、とうに出来てるよ」


────というよりは、死神になって以来、生きることの価値をわかってなかった。覚悟しなきゃならないほど、死ぬことへの恐怖感なんてものの実感がなかっただけなのだ。

…………要するに、カッコつけてみただけなんだけどさ。 



何か言おうとしたらしいスターク。だが、諦めたように溜め息をつくと、両手をあたしの首筋へと伸ばす。首に纏わりつく大きな手に、一瞬 連想したのは、猫が迷子にならないようにとつけられる首輪。

真っ直ぐにスタークを見上げると、穏やかな表情で あたしを見つめ返す青い目。まるで、その中に取り込まれてしまいそうだ。……そう思った瞬間、心臓が大きく とくん、と跳ねた。



「……無理するな」

首筋を離れた両手は、そのまま あたしの両頬を包み込む。

「今さら、俺の手でお前を殺すようなことはしねぇよ。……脅かすようなことして悪かったな。もう、しねぇよ」


は?
 
まるっきり殺意が感じられないどころか、慈しむかのように触れた手。

恐らく、多少なりと赤くなっているであろう頬。明らかに早まる心拍数。それを、恐怖のあまり、と解釈したわけか?


…………この、ど天然が。


けれど。首に回る手に、ほんの少し力を加えられていたら、あたしは あっけなく死んでしまっていただろう。

そして、その瞬間にスタークの手で命を手折られていたのなら、あたしはきっと幸せに逝けただろうと思う。


おそらく尸魂界で、いつ来るとも知れない終わりを待つよりも、ずっと───



   *   *   *   *   
 


「……スターク。そろそろ行った方がいいよ、皆待ってる」


あたしたちのやりとりを黙って見ていたリリネットが、くすくすと笑いながら言った。

「めんどくせぇなぁ……」

大きな溜め息を吐き出しながら、あたしをクッションの上に下ろして立ち上がるスターク。ちらりと一瞬、こちらに視線を向けると何も言わずに響転で姿を消した。



「わかってないよね、スタークは」

「え?」

いつものように、面倒くさそうに姿を消したスタークを見送って。今の今までスタークの立っていた場所に、ぼんやりと視線を落としている あたしを見て、やれやれと言わんばかりに溜め息混じりに呟くリリネット。


「自分に向けられるものが、畏怖や憎しみや嫉妬なんて感情だけじゃないって、思ってもみないんだ」

そう言って あたしに向けられたのは、またあのリリネットらしからぬ大人びた優しい視線。なんだか見透かすような目に、思わず目を逸らした。


「わかんないでしょ?眠っている深雪が ちゃんと呼吸をしてるってわかった時、スタークが……あたしたちが、どんなにホッとするか」


……そう、それなのだ。

過剰なまでに あたしを気遣う視線。所詮は行きずりで、暇潰しのために連れてきた捕虜に過ぎない筈だ。うっかり殺してしまったら、しょうがない、で片付けられてしまって然るべき敵方の兵。

それなのに、遠慮がちに触れる手は、まるで あたしを“消してしまうこと”を恐れているかのようだ。孤立無援の敵陣で、護廷隊の隊士として、いつ死んでもいい覚悟はできているつもりだったのに……。


実体のない覚悟は、スタークの手に重ね合わせた手の中で ぐずぐずに溶けていった。


……所詮、あたしという兵士は その程度のものだったのだろう…………。



   *   *   *   *   



“藍染サマ”の元から戻ってきたスタークは、いつもより ずっと無口になっていた。

クッションの上に横たわるスターク。その腹の上に、ぶら下がるようにして眠りこけるリリネット。二人の傍らに身を埋めて、うとうとしている あたしの髪に絡まる指。


ふと、隣で身動ぎする気配に目をひらくと、片肘をついたスタークが あたしの顔を覗き込んでいる。

「……お、起こしちまったか」

「大丈夫、うとうとしてただけだから」


遊んで眠って。まるで、猫みたいな生活。 

か弱い愛玩動物を慈しむ手。その手を引っ掻いて逃げるなんて、考えもしなかった。……この虚圏に来て以来、あたしは どうかしてしまってる。


「スターク……」

「んあ?なんだ」

目を開けた あたしと交代するかのように、片肘ついたままの姿勢で目を閉じたスターク。眠っていたわけではないらしく、あたしの呼ぶ声に応えて目をあける。

「ううん……なんでもない」

「言いかけてやめるなんて、お前らしくないな。どうした?」

「ん……」

「なんだぁ?今日は随分と大人しいんだな」

くすくすと笑いながら、あたしの頭に手を載せるスターク。

「いつもなら、俺が言ったことの倍は言い返すクセにな」

「…………あたし、そんなふうに思われてたんだ」
ムッとして ぼそりと呟いた科白に、止まらない くすくす笑いと頭を撫で回す大きな手で応じるスターク。

不自然なほど上機嫌に見えるスタークの手を振り払うように大きく頭を振ると、その胸に額を押し当てた。はっとしたように、笑い声は消える。



……きっと、あたしが“知って”しまったことも気付いているのだろう。


頭の中で繰り返されるリリネットの科白。

胸元に空いた穴に、そっと手を触れる。その手を強く握り、引き寄せる強い力。



『あたしたちは、ずっと独りだったの。……みんなみんな、消えていっちゃったんだよ』



そう大きくはない筈の穴の中に垣間見える、深い闇。暗い淵に引き込まれてしまいそうな身体をその場に繋ぎとめるように、スタークの背に腕を回して必死でしがみついた。



(2010.06.19. up!)



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