Scene. 7 意味を求めるのなら 「……落ち着いた?」 目の前に静かに置かれたティーカップ。リリネットの手で砂糖のカタマリを3つも放り込まれたミルクティーは、普段なら歯が軋むほどなのだが、今日は その凄まじい甘さにすらホッとして、新たな涙が溢れ出す。 カップを両手に抱え込むように手にした あたしの膝に置かれたリリネットの両手。その手に触れ、どうにか笑顔をつくってみせると、不安げに笑顔を返してくれる。 そんな あたしたちを見ていたスタークは、ぷいと黙って部屋を出て行ってしまった。 「あたしね、市丸隊長のこと嫌いだったの」 クッションに仰向けに埋もれ、腕で顔を隠すようにして吐き出す言葉。 返事は返ってこないから、リリネットが どんな顔で聞いてるのかもわからない。 「リリネットは、隊長のこと“狐”って呼んだけど。そんなのは、まだ隊長を好意的に見てる人の言い草でね、“蛇”だと表現する人も少なくなかったよ。……何考えてるかわかんなくて、相手によっては物凄く残酷になるし」 ……そして、あたし自身の市丸隊長に対する評価も、隊長を“蛇”と形容する人たちと、さして変わらなかった。 無視してしまえば良かっただけなのだ。……けれど、市丸隊長は、吉良先輩の憧れの人で……護廷隊に入隊したばかりの頃、ロクに親しい友人もいなかった あたしは、頻繁に吉良先輩たちのところへ行き、勢い、“あの人”への賛辞を散々聞かされる羽目になる。……それに反論して先輩と口論になったことなど、一度や二度ではない。 けれど、それも そんなに長い期間ではなかった。 ある日の昼休み。とある隊舎の屋根の上に腰を下ろしている二人の人影。隊長にもたれて眠る穏やかな寝顔を見下ろす優しい目……。 堕ちるのは、あまりにもあっけなかった。 「ありきたり過ぎて嫌になるよ。芸がないったら、ありゃしない」 血も涙もないと思っていた男の、意外な優しい一面を見て惚れる、なんて。 「……しかも、ソレが果たして“優しい一面”なのかなんて、あの時の隊長の頭の中覗いてでもみなきゃ、わかんないじゃない!?」 「う、うん……」 唐突に がばっ!…と起き上がって、噛み付くように捲くし立てる あたしに、若干 引き気味のリリネット。 そして、また糸が切れたように、ばふっ、とクッションに倒れ込む。リリネットは、クッションに埋もれた あたしを恐る恐る覗き込んでいた。 ……結局は子供なのだ、あのひとは。 自分を疎ましく思う者には容赦ないが、一度 自分の懐に入れた相手は凄く大切にする。 その優しさが、本物だろうが つくりものだろうが、そんなこと堕ちたあとで気付いたところで、何の意味があるんだろう……。 「……でも、それが偽物だと思ったから、悲しいんでしょ?自分に向けられてた優しさも、嘘かもしれない、って思ったんだよね?」 黙って、ごろん、とうつ伏せに丸くなってクッションに顔を埋める。その あたしの髪をそっと撫でるリリネット。声のトーンも、髪に触れる手の動きも、いつものガサツな言動とはまるで違う。 その穏やかな空気は……。 「なんだか、スタークみたい」 「んー?」 首を傾げたリリネットは、やけに大人びた表情で意味深に微笑う。 「……それより、スタークは?」 さっき出て行ったきり、まだ戻ってこないスターク。それがなんだか、やけに不安でリリネットに訊ねた。 「さあ。すぐ近くにはいるみたいだけど。……多分ね、スタークは怖いんだよ」 「……え」 破面のナンバーワンが怖いって、どういうこと……? 物問いたげに見つめ返す あたしの視線を相変わらずの読めない笑みで、受け流すリリネット。 埒が明かないことに苛立った あたしは、リリネットを残して立ち上がると、まっすぐにスタークの霊圧を追った。 * * * * 「……何やってんの?真っ白な服で、そんなとこ座ってたら汚れちゃうよ?」 スタークは通路の床に べったりと足を投げ出して座り、そこから見える窓の外に目を向けている。その姿を照らす月明かりは本物なんだろうか……。 近付いて傍らに立つ あたしを黙って見上げるスターク。 ……なんだか、お預けくらった大型犬みたいだな。 「……帰りたいか?」 唐突な問いかけ。訊いておきながら、まるで応えは望んでいないような口調で、あたしから目を逸らす。あたしは、それを酌んで話を逸らす。 「なんだか、ちょっと空気が ざわざわしてる気がしない?なんだか、他の十刃の宮辺りはピリピリしてるみたい」 あさっての方角に目線を遣りつつ世間話みたいに話を振ると、ホッとしたようにスタークの周りの空気が緩む。 「ああ……藍染サマの命でウルキオラが何やら動いてるらしい。……これから、ちょっと騒がしくなるんだろうな」 「そう……」 短く答えて、スタークの隣に どさりと腰を下ろした。 「お前こそ、そんな真っ黒な服で地べたに座ったら埃が目立つだろ」 「いいよ、そんなの。叩けば落ちるし」 「そうか……」 続く沈黙は、必ずしも不安を呼び起こすようなものではなかった。 「あのね?」 口をひらいた あたしに意識を向けるように、微かに身動ぎするスターク。 「はじまりは不本意だったかもしれないけど……でも、こうやってスタークに逢えたことは悪いことじゃないと思ってる」 最初の問いかけから、ずっと目を逸らしていたスタークは、そこで 初めて真っ直ぐに あたしを見た。 「あたし、ずっと虚を斬ることが苦手だったの。……だって、元は人間の魂だったのにね。それを罪を洗い流してやるために、なんて、そんな風には思えない。虚になるほどの強い執着なんて、きっと苦しいに決まってるのに。……もう、罰は受けてる筈じゃない?」 黙ったまま あたしを見つめているスタークの手をぎゅっと握り締めると、遠慮がちに握り返される。その手の力に勇気付けられて、言葉を繋ぐ。 「……だから、こうやってスタークと言葉を交わせることに救われてるんだよ、あたし。十刃は、人間や死神の敵の筈なのにね」 どこか緊張していたような空気が緩む。次いで、ふっと笑みを零したスターク。それは、今まで見たことがないくらい、優しいものだった。 「……お前、周りから変わり者だとか言われてるだろ?」 「何だ、失敬な」 ムッとした表情をつくってみせて。一瞬の間のあと、二人同時に噴き出す。 ……帰りたくなくなった、なんて言ってみたら、どんな顔をするだろう。 繋いだ手は、もう解けない気すらする。 きっと それは幻想で、その幻想が あっけなく壊れてしまうものであることも、わかっているつもりだったのだ。 (2010.04.04. up!) <-- --> page: |