あと少しだけ、おあずけです


※「機が熟すのを待っている」、「目論見を知らぬは一人だけ」の二人。





 ──冬が来た。今年も今年とて、寒さに震える季節である。

「さむいですね、義勇さん!」
 もふ、もふっ。炭治郎からそんな音が聞こえてくる気がする。義勇は無言のまま、そのまんまるなしっぽをわし掴んだ。
「もぎゅっ!?」
 ああ、やはり。義勇の予想通り、しっぽは以前よりも質量を増していた。指が沈むほどの深い毛に覆われている。それにあたたかい。ふわんふわんの毛並みを味わっていると、小柄な身体がぷるぷると震えている。
「炭治郎?」
「義勇さんのばかーーっ!! そんなに俺よりしっぽの方が好きなんですか!? 義勇さんのすけべ!!」
「す、」
 キーン、と鼓膜が破れるかと思うほどに大きな声で炭治郎が叫んだ内容に固まる。すけべ。誰だこの子にそんな言葉を教えた輩は。というか義勇はすけべではない。
「炭治郎、落ち着いてくれ。俺は炭治郎が好きだ」
「そうですかありがとうございます!! だったらその手を離してください!!」
「そんな……」
 どうして義勇の気持ちが伝わってくれないのか。隠しきれない衝撃に打ちひしがれながらも炭治郎の機嫌は損ねたくないので、義勇は渋々まんまるしっぽから手を離した。
「どうして駄目なんだ、炭治郎……」
 早々に毛並みが恋しくなった義勇はしょんもりと耳を垂らして問う。炭治郎は返してもらったしっぽをくりくりと毛づくろいしながら答えた。
「いいですか義勇さん、しっぽは好きな相手にしか触らせちゃだめなんですよ!」
「…………じゃあ、炭治郎は俺のことが好きではないということか……?」
「そんなわけないじゃないですか!」
「だったら俺には触る権利がある」
「……あらら? 確かに」
 こてん、と首を傾げて義勇の言うことに納得しかけている炭治郎を膝の上へと引き寄せる。しっぽごと身体を抱きしめると、先程よりもぽかぽかとした熱が伝わってくる。今年の冬は楽しい冬になりそうで、義勇は嬉しくなった。



  ◇  ◇  ◇



「ううーーん……??」
 ある日、穏やかな陽射しが差し込む縁側で炭治郎は日向ぼっこをしながらうとうとしていた。今日は義勇に水柱としてのお役目が入ったため、炭治郎はさびしさを紛らわすように自分のつとめに励んだ。その結果、お昼にはこうしてうたた寝ができるくらいには時間が余ったのだ。
 そんななか、浮かぶのはひとつの疑問。というのも、義勇との距離がどうにも主と傍付きのものではない気がするのだ。
「ぎゆさん、おれのことすきなのかあ」
 先日のやりとりを思い出す。炭治郎がしっぽを死守すると、炭治郎が義勇のことを好きなんだから問題ないと言い切ったのだ。そして確かにと納得もした。
 それに、炭治郎だって義勇の尾をよくお借りしている。傍付きが、主のを、だ。炭治郎は今更ながらにおかしいと気がついた。
 炭治郎は他の柱と傍付きの関係を詳しく知らない。この間柱合会議に連れて行ってもらい挨拶はしたものの、義勇とのことを聞かれるばかりでその辺りは尋ねる暇がなかった。
「むにゃ……」
 眠たい。うまく考えが纏まらなくなってきた。お昼寝に入ってしまう前に、炭治郎はぽそぽそとつぶやく。
「がんばろ……」

 ──じろう、炭治郎。
「ハッ!!」
 名前を呼ばれた気がして勢いよく起き上がると、目の前には心配そうにこちらを見る義勇がいた。辺りはすでに夕暮れで、かなりぐっすり寝入っていたことが分かる。
「炭治郎、寒くないか? 身体は冷えていないか?」
「大丈夫ですよ!」
 ほら、と抱きつくと背に手がまわされて、確認とばかりに腕の中に閉じ込められた。そういう彼こそ、帰ってきたばかりで身体が冷たい。今すぐ湯を沸かすべく、離してくださいの合図を送る。
「義勇さんおかえりなさい。すぐにお風呂の準備をしますね」
「ただいま。ありがとう、炭治郎も一緒に入ろう」
「…………なぜ?」
 今までなかったお誘いに困惑する。そうだ、寝る前に炭治郎は義勇との距離の近さについて考えていたのだった。
「……義勇さん、」
「炭治郎、行くぞ」
 話をする前に、炭治郎はひょいと抱え上げられ湯殿へ連行された。手伝おうとする義勇を威嚇してひとりで準備を終えると、やはりそのまま湯浴みを共にすることになってしまっていた。
「はあああ…………」
 湯船に浸かり、心の底からのため息を吐いた義勇はそれでも炭治郎を腕の中から離すことはなかった。
「おつかれさまです?」
「うん」
 いつもはぴんと立っている耳も今はすっかり折れている。
 炭治郎のしっぽに触れては癒やされると豪語している義勇のことを思いだし、ほんの少し悩んだあと、炭治郎は見上げながら己で抱えていたそれを差し出す気持ちで揺らした。
「あの、義勇さん……さわりますか?」
「いいのか」
「と、とくべつ、です」
 炭治郎が答えると、義勇は立ち上がり素早い動きで湯船を出た。自身はおざなりなくせに、炭治郎と炭治郎のしっぽは丹念に乾かす義勇。いつにも増して見せる行動力に炭治郎はただ呆然とするしかなかった。
「義勇さん、そんなに俺のしっぽが好きなんですか?」 「? しっぽも好きだが、炭治郎だからだ」
「ひょえ……」
 直球な言葉に思わず頬を染める。義勇からはもう何度もこうして好きだと囁かれるが、炭治郎には慣れる日が来る気がしない。
 炭治郎は義勇に対してひっそりと恋慕を抱いているが、立場のこともあってどうこうなりたい、なんてまでは考えていない。しかしこうも好きと言われて距離を詰められると都合のいい想像をしてしまう。いいのかな、とふわふわする気持ちを持て余していた。
「炭治郎はあたたかい。それにふわふわして、いい匂いもする」
「義勇さんとおんなじお風呂なのに?」 
 炭治郎の疑問に答えが来ることはなく、義勇はふさふさのしっぽに指を埋めた。きゅう、という情けない鳴き声がもれたが、彼はそれをかわいいと言ってさらにナデナデしてきた。
 義勇が満足した頃には、炭治郎はぐったりとしていた。ただひたすらに愛でられる時間がこんなにも恥ずかしいとは。ぽっぽと火照る顔を冷まそうと手のひらで包み込むも、あまり役には立たなかった。





 家族から手紙が届いたのは年の瀬が近づいてきた頃だった。
 そもそも、義勇が此処に腰を落ち着けてからというもの炭治郎は実家に帰っていない。以前は通いながら屋敷の管理をしていたのだけれど、炭治郎と離れたがらない義勇からお願いされていつの間にか一緒に暮らすことになっていたのだ。そのこと自体は炭治郎だって満更ではないから構わないのだが、きょうだいが寂しがっているのだと聞けば帰らないわけにはいかない。
 というわけで。炭治郎はそれを義勇へ伝えにきていた。
「義勇さん、少しお時間よろしいですか?」
「炭治郎? どうした」
 何やら難しそうな題の書物を横に置き、こちらを向いてくれる。きょとりとした瞳が炭治郎を射抜く。
「あの、お暇をいただきたいのです」
「…………なん、」
 窺いながら申し出ると、何故か義勇は絶句して固まってしまった。「あれ?」と首を傾げて呼び掛けるも何の反応も示さない。炭治郎は不安に思っておろおろと耳をぴこぴこさせるも、いつもならそれを見て口元をやわらげてくれる義勇がぴくりとも動かないのだ。大変だ、と炭治郎は立ち上がる。
「ぎっ、義勇さん! いま手紙を飛ばし、」
「待て。違う」
 誰かを呼んでこないとという炭治郎の思考を読んだかの如く義勇が先んじて待ったをかけた。
「良かった、動いた!」
「当たり前だ。いやそうじゃない、今なんと言った?」
「え? ですから、お暇をいただきたいと……」
「…………俺は、お前に何かしてしまったか……?」
「???」
 深刻な顔つきで、けれど耳や尾は垂れ下がってしまって。何やら誤解を招いているのは明確であった。慌てて「義勇さん義勇さん」と呼びかけながら袖を引く。
「なんだか悲しくてさびしい匂いがしますが、俺はほんの数日だけ家に帰ろうとしているだけですよ!」
 パッと満面の笑顔で言った炭治郎の言葉を少し経ってようやく噛み砕いたらしい。驚いて、それからほっとした顔を見せる義勇に炭治郎も安堵のため息を気づかれないようこっそり吐いた。義勇が悲しむ姿は見たくない。伝播するようにこちらも泣きそうになってしまうからだ。
「……良かった……。それなら構わない。むしろ俺も挨拶に伺った方がいいだろうか」
「へ?」
「炭治郎……、いや、自分で確認の文を出すべきだな。よし、早速……」
「まっ、ちょっ、待って、待ってくださいっ」
「落ち着け」
 安心したかと思ったら一人でどんどん突き進むのはやめてほしい。何一つついていけやしない。炭治郎が遮ると、義勇からはきょとんとした視線が投げかけられた。それはこっちがやりたいものである。
「な、なんで義勇さんがうちに挨拶を……?」
 柱である彼が一介のあやかしである炭治郎の家族に挨拶する義理などない。両親はもう一度お会いできたら是非ともお礼がしたいと言っているが、それも夢物語だ。炭治郎から伝えたと手紙に書いたところ、それなら良かったと胸を撫で下ろしていた。
 まあつまり、雲の上の存在だと認識している義勇が炭治郎とともに家に帰ってしまえば、両親はひっくり返ってしまうのである。
「いずれ伴侶になる、ということは俺にとっても家族になるひとたちだ。挨拶をするのは当然だろう」
 なんてことない、常識を説く義勇の堂々たる姿よ。二の句が継げずにはくはくと唇をわななかせ、刹那。炭治郎は熟れた林檎のように頬を真っ赤に染め上げた。

「……そういえばまだ言ってなかった。俺は炭治郎を伴侶にしたくてそばに置いている」
「き、聞いてない──ッ!!!」
 まるで炭治郎の態度から思い出したみたいに言うものだからつい叫んでしまった。大体、なんでそんな大切なことを忘れているんだ。普通忘れないだろうと言い募りたくなる。
 これまでの彼の態度がいくつも脳裏に蘇ってくる。義勇を主だと認識している炭治郎が近づき過ぎないよう距離をとると、しょんぼりだったり少し怒った匂いをさせていたり。あとは抱きしめたり、可愛いと言うのも伴侶だと思っていたのなら頷ける行動だ。
 なるほど。義勇の言葉の足りなさも問題だけれど、今まで問い詰めなかった炭治郎にも非があるかもしれない。ううーん、と唸ったが、結局ひとつの答えにしか辿り着かない。
「……炭治郎も俺のことが好きなんだろう?」
「はい! それはもちろん!」
「だったらいいじゃないか。少し意識を変えてくれるだけで、あとは今までどおりと同じだ」
「……なるほど?」
 ──彼は炭治郎のことが好きで、炭治郎も彼のことが好き。
 主従の関係が番になるだけであとは変わらないのだと思うと、確かに義勇の言うとおりだ。水柱の義勇が、伴侶。少し前まででは考えられない関係だ。
「わ、わわーー……!!」
「なんだ?」
「なんか、このへんがぐわーってなってて、どきどきしてきました」
「……うん」
 炭治郎が顔を覆いながら呟くと、義勇は嬉しそうに微笑んだ。おいで、と誘われて腕の中にお邪魔する。そうすると心臓はますます暴れ始め、もはや炭治郎にも止められそうになくなってしまった。

 ──水柱様の伴侶になったと報告したら、両親はきっとたいそう驚いて、それから喜んで、くれるだろうか。これから送るべき手紙の文面を考えながら想像してみる。大切な家族がいて、その輪の中に大好きな義勇がいる。そんな光景を思い浮かべるだけで、炭治郎の顔は綻んだ。



  ◇  ◇  ◇



 炭治郎はまだまだ幼くて、そして義勇のことを盲目的に好いていた。自分が言いくるめられているなんて思いもせず、義勇に抱きしめられてしっぽを揺らしている。
 柘榴みたいな瞳をとろりと蕩けさせ、たのしみだなあ、と呟いた。どうやら炭治郎は義勇を連れて行ってくれるようだった。突然決まったことだが義勇も緊張こそすれ嬉しさは隠しきれない。この子がどんな場所で生まれ、育ってきたのか。話にはよく聞くから想像には難くないものの、しかし直接見てみたいと思うのだ。炭治郎のことはすべて知っておきたいという欲。それは存外大きく育ち、執着心へと成長している。炭治郎が受け入れてくれるおかげで随分と調子に乗ってしまった。
「……ね、義勇さん。俺のしっぽ、触りませんか?」
「それは、」
 前に好きな相手にしか触らせないと言っていたことを思い出す。結局あのときは義勇が丸め込んだのだが、だからこそ炭治郎から提案してくれることの意味を察する。
 その瞬間、義勇の胸のうちは歓喜の渦に飲み込まれた。
 ──ああ、やっと。やっと、だ。
 実感が湧いてくる。堪らず炭治郎の額に口付けを降らせていく。そしてお許しをもらえたしっぽに指先を滑らせた。あえて手つきを変えてみたのだが、律儀に炭治郎からの反応が変わった。今までは擽ったそうに笑っていたのが一変して、ふるふると肩を震わせ、はくり、と吐息をもらしている。
「んん……、義勇さん、なんか、ちがう……?」
「どう違うんだ?」
「えっと……このへんが、むずむずします……」
 純粋なたぬきの子どもは義勇の問いかけに素直に答えてくれる。ここ、と言って自身の腹をさする姿に、ゾクゾクと興奮が走るのを感じた。
「そうか。ならばもうやめておく」
 名残惜しげに、整えられた綺麗なその毛並みから手を離す。すると炭治郎からは物足りないと訴える視線が向けられた。咄嗟に出たそれは無意識なのか、炭治郎は己がどんな目をしているのかきっと分かってないなのだ。
「……やだ。義勇さん、もっと」
「炭治郎」
「ぎゆうさんにさわられると……きもちいいんです……」
 どうにも喋り方がふわふわしてきている。このままだと不味いな、と冷静な部分が語りかけてくるもようやく想いが通じ合った伴侶の、色香のある雰囲気に流されていく。
「……っ、すまない、今はこれで勘弁してくれ」
 けれど。まだ炭治郎の家族に挨拶もしないうちに手を出すわけにはいかないから、と。邪な心を振り払い、薄く色づく唇に吸いつく。
「ふ、ぅ……む……っ」
 最後にちゅ、と音を立てて離れる。すっかり息があがってしまった炭治郎はぽふん、とたぬきの姿に戻ってしまった。くたりと義勇の方に寄りかかってくる身体を支えてやる。
「続きはまた今度な」
「きゅう……」
 今までずっと待っていたのだ。あと少しくらい、なんてことない。炭治郎を膝の上に抱えて囁くと、たぬきは恥じらいつつもこくりと頷いて、期待に満ちた目をしたのだった。



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