目論見を知らぬは一人だけ


※「機が熟すのを待っている」の二人。



 今日も今日とてたぬきの子はころころと、ともすれば転がっているのではないかと錯覚してしまいそうなくらいに動き回っている。
『傍付きとして、立派につとめさせていただきます!』
 そう炭治郎が張り切るものだから、義勇は拒否できず好きにさせることにしてしまった。しかし、そもそも傍付きにしたのは義勇好みに仕立て上げて伴侶にする為であって、別に身の回りの世話をさせたかったわけではない。むしろひたすらに義勇の尾に埋もれていてくれたらそれでいい。だがきっと、炭治郎自身がそれを良しとしないのだろう。前に一度それとなく仄めかしてみたのだが炭治郎はぶんぶんと首を横に振って、いえ、ときっぱり断った。
『俺は長男なので、誰かの世話を焼くのが好きなんです!』
 どやさ、と自慢げに宣言されてしまっては、義勇は大人しく引き下がるしかなかった。まるいしっぽはふるふると揺れていて、炭治郎がとても嬉しそうにしていたのが印象的だった。まあこれも花嫁修業のようでいいかと諦めがついたのがつい最近。以降は義勇の屋敷をてってこ走り回るいきものを穏やかに見守っている。
 とはいえただ座っているだけでは駄目な大人だ。なので時折手伝おうとするのだが、炭治郎はしっぽを逆立てて威嚇してくる。それはそれで可愛くてたまらないのだけれど。
 ぷんすこ怒る姿が見たくてわざと手伝うなんてことをすると、義勇さんは水柱様なんですから大人しく座っていてください、と反抗してくる。水柱と呼ばれることに抵抗は薄れたが、炭治郎が呼ぶのはまた別だったのでそのときは鼻を摘んでやったけれども。ともあれ義勇に気兼ねのない態度をとるようになったのはいい傾向だとほくそ笑む。ふぎゃーと情けない声をあげるたぬきを抱え上げて頭を撫でたのは自分でも予想外の行動だった。炭治郎を前にすると、どうにも義勇は愛情表現が行き過ぎてしまう。錆兎や真菰には、それを少しでも他のことにも発揮してほしいと嘆かれた。心外である。

「義勇さーん!鴉さんが来ましたよー!」
 縁側に座っていた義勇に子どもらしい元気のいい声がかけられた。たたたっと駆けてきて勢い余って義勇の尾にぼふりと突っ込んでしまうのはご愛嬌。尾の中から生えた手が皺になるのをなんとか防いだ手紙を差し出してきた。もにゅもにゅ聞こえる声を背後に義勇はそれを開く。ざっと目を通すと、息をついた。それを耳聡く聞きつけたたぬきはぷはっ、と埋まり込んでいた顔を出す。
「ご指令ですか?」
「いや、もうじき柱合会議があるらしい」
「ちゅーごーかいぎ?ですか?」
「ああ、炭治郎はまだ知らなかったか。柱が一同に集い行う報告会のことだ」
 説明してやると、炭治郎は耳をぴんと立て、背筋を伸ばした。真ん丸の瞳は左右を彷徨いて、何かを言おうか言うまいか口をもごもごさせている。
「どうした?」
「……その柱合会議って、傍付きもついていっても構わないものですか?」
「……」
 炭治郎が放った言葉に、義勇はぴたりと動きを止めた。顎に手を当て、前回までの柱合会議の様子を思い出す。確か、既に伴侶がいる音柱は嫁を、岩柱と蟲柱は傍付きを連れてきていたこともあったと記憶している。ということは別に必ずしも一人で行かなければならないものではない筈だ。ふむ、と内心で納得した義勇は炭治郎の身体を膝に乗せて耳の付け根を撫ぜた。
「いいぞ。ついてこい」
「! 本当ですか!?」
 全身で喜びを表す炭治郎を見て、今回はこのたぬきの子を置いていくことを気に病むこともない、と義勇も笑みをこぼした。

 柱合会議の日まで炭治郎の機嫌はずっと上々だったし、当日に至ってはとんでもなく早起きして義勇の寝間の前で待機していたものだからとても驚いた。
 いつもは抱き上げられるのを羞恥や申し訳なさから嫌がるのに、それすらもにこにこと受け入れたぬき姿で腕の中にすっぽり収まってくれている。お館様──産屋敷邸に向かう空の旅、炭治郎は調子外れな歌を口ずさんでいた。
「義勇さん義勇さん!あとどれくらいで着きますか?」
「その質問何回目だ……」
 何がそんなに楽しみなのか、ふんすふんすと鼻息荒くして先程から何度も義勇に確認してくるたぬきにやや呆れたため息を吐く。
 いつも留守番をさせていたのがそんなにも寂しかったのだろうか。たまに錆兎たちを招いて一緒に過ごすよう頼んでいたが、それだけでは足りなかったのか。あまり我儘を言わない子どもだから未だに本心は分からないままだった。
「……お前が何を期待しているのか分からないが、会議なんて地味なものだぞ」
「そんなことないです!他の柱の方々にお会いできるのが楽しみなので!」
「…………」
「あら?あらら?どうして怒っていらっしゃる匂いが?」
「嗅ぐな」
「にぎゃー!」
 お前が好きで憧れているのは水柱なんだろう。そんな嫉妬心から湧いた怒りを嗅ぎ取られてばつが悪くなり、義勇は腹いせにたぬきのしっぽを鷲掴みにしてやった。しっぽはふわふわのもふもふで、触り心地は抜群であった。





 とん、と地に降り立つと、炭治郎を下ろしてやる。ぽふんと人間の姿に化けた炭治郎は興味深そうに辺りをきょろきょろと見回していた。
「緊張してきました…!」
 いつ見ても立派な屋敷だと思う。義勇が門の前に立てば、それは重い音を響かせながらゆっくりと開いていく。炭治郎からは感嘆のため息がもれていた。
「行くぞ。広いから離れるなよ」
「はいっ!」
 差し出した手のひらに、ちいさな手が乗せられた。

 義勇が襖を開けると、中には既に八人が揃っていた。どうやら義勇が最後だったようで、一気に視線が集まる。
「やっと来ましたか」
「…約束の時刻には間に合ったはずだが」
「地味にギリギリなんだよ。どうせなら派手に遅刻してこい」
「音柱!遅刻は良くないと思うぞ!」
 相変わらず個性豊かな面子だった。蟲柱が口火を切って、音柱と炎柱が騒ぐ。嫌いではないけれど、この輪に入って喋るというのは苦手であった。思わず退きかけた背中をぐいぐいと押したのは義勇が連れてきた子どもだった。
「駄目ですよ義勇さんそんな面倒臭いなんて思っちゃ!」
「…分かった。分かったから押すな」
「……あァ?なんだァ、そのガキはァ」
 目敏く気づいた風柱が片眉を上げた。この男は何かと義勇を目の敵にしていて困る。いつも上手く喋れなくて怒らせてしまうのでどうしたらいいのか分からないのだ。けれど今日は炭治郎がいるから少し違うかもしれない。何せこのたぬきは相手の懐に入るのが上手いから、怒らせずに済むかもしれない。
「たぬきのあやかしかしら?可愛いわね〜」
「嗚呼……噂は本当だったか……」
「……噂、ですか?」
 炭治郎を見るなり黄色い声を上げたのは恋柱。岩柱は知っていたようで、問われた霞柱に義勇の傍付きなのだと告げる。
「はい!義勇さんの傍付きを務めさせていただいております、炭治郎と申します!よろしくお願いします!」
 岩柱の説明を受けて、ペコーッとお辞儀をして元気に挨拶をする炭治郎に知らず頬が緩む。途端に室内がざわついた。
「水柱さんが笑ってるわ…!」
「よっぽどご執心なんでしょうか」
 女性陣に生暖かい視線を送られ身動ぎをする。一方炭治郎はそわそわしていておそらくもう話を聞いていない。いい加減そろそろ座らせてほしい、と意識を飛ばしかけたところで凛とした気配を感じた。刹那、義勇を含めた柱たちが平伏する。炭治郎は匂いで気づいていたのか、既に室内から姿を消していた。
「久しいね。みんな元気そうで良かった」
「お館様も、御壮健のようで何よりです」
 一番に口を開いたのは岩柱であった。その後、近頃の人間界の動向や不穏な瘴気が漂う場所の共有、各地のあやかしたちの様子など淡々とした報告が続いた。
 あらかた必要事項を話し終えると、途端に空気が緩む。会議が終わると決まって宴会が始まるのだ。お館様がご馳走を用意してくださるのでそれを頂きつつの個人的な報告会になる。いつもは黙って聞く側に徹していた義勇だったが、今回は違った。初っ端に標的となってしまったのである。
「水柱、あのあやかし呼んでこいよ」
「…何故だ」
「あら。せっかくですから色々お聞きしたいじゃないですか」
 いつも思うが、音柱と蟲柱は義勇を揶揄うのが趣味なのではないかと疑うくらい絡んでくる。義勇はさも不満だと思いきり顔に出していたのだが、そろりと襖が開かれ件のあやかしが自ら姿を現してしまった。
「義勇さん、俺も行っていいと伺ったのですが本当によろしいのでしょうか?」
「構わんぞ少年!入ってこい!」
「は、はい!失礼します!」
 炎柱が大声で招き、つられて炭治郎も良い返事をした。ちょこちょことこちらに向かってくる姿は愛いが、人前であると考えると複雑だった。
 いつものように膝上に座る炭治郎。義勇はしまった、と目を見開くがもう遅い。少しの沈黙のあと、あちこちから吹き出しているのが聞こえた。これは非常にまずい。
「炭治郎、だったかな。義勇と仲良くしてくれているんだね」
「はい!義勇さんは優しくてよく気にかけて下さって…俺、義勇さんに仕えさせて頂けてとても幸せです!」
「ふふふ。それは良かった」
 ──お館様、やめてください。炭治郎もちょっと黙ってくれ。
 今すぐに炭治郎の口を塞いでここから逃げ出したいがそうもいかない。義勇は無表情を貫きながら内心羞恥でのたうち回っていた。炭治郎の言葉は嬉しいし己の屋敷で聞いていたのならば可愛いことを言ってくれるこのたぬきをどうしてやろう、と考えるのだが今は状況が違う。誰が人前で惚気られるのか。少なくとも義勇にそんな趣味はない。
「あの人には勿体ないくらい良い子ですねぇ…」
「いや、むしろあれくらいじゃないと務まらねぇんじゃねえのか?」
 ヒソヒソと蟲柱と音柱が話している。小声だが義勇の耳にはしっかりと届いていた。
 向かい側に座る二人にばかり意識をとられていたら、隣に座っている霞柱まで動くとは思っていなかった。
「……えい」
「ふぎゃっ!す、すみませんしっぽはやめて頂きたく…!」
「えー、そうなの?残念」
 義勇と同じくらい何を考えているか分からない表情のままこてりと小首を傾げている。今まで義勇と話す方が稀であったから、悪戯な一面があることを知らなかった。炭治郎が怯えてたぬき姿に戻る。
「あ、あのね、しっぽには触れないから、少しだけ撫でさせてくれないかしら…?」
「南無……私もその毛並みには興味が……」
 恋柱はともかく岩柱まで炭治郎に興味を抱いたことにぎょっとする。しかし炭治郎は気にもとめず、そういうことならいいですよとあっさり承諾して義勇の膝をおりて離れていってしまった。
 そこからはもう、撫でられ構われの連続だった。
 おまけに例の二人が義勇のことをあれこれ質問しては炭治郎は喜んでそれに答える、なんてやりとりが始まってしまう。褒めちぎられるのは悪い気はしないけれど、炭治郎の話は本当に水柱のことなのか、という意図を込めた目を向けられるからたまったものじゃない。途中からはなるべく耳に入れないようにして、意識を逸らしていた。
 だから自分の酒の進み具合など、ちっとも把握していなかった。

「あーっ!!止まってください義勇さん!!」
 今まで義勇のことを蔑ろにしているのだと思っていた炭治郎が突然叫びながら飛んできた。何なんだと顔を顰めると、持っていた杯を取り上げられる。
「わっ、思った以上に飲んでますね…気づくのが遅れてごめんなさい…」
「……俺は、酔ってない」
「も〜いつもそうやって酔ってるじゃないですかぁ……はい、お水です」
「いらない………」
 義勇の言葉を無視して無理やり水の入った湯のみを持たされる。吐き気はないですかだの義勇さんも皆さんと会えて気分が上がっちゃってたんですねだのあれこれ話しかけられたが、どこか炭治郎の声は遠い。
 義勇は目の前を転がるいきものを引っ掴んだ。しかしそのままでは小さすぎて抱き枕にはならない。義勇がぽんぽんと背中を優しく叩くと、義勇の言いたいことを察した炭治郎が子どもの姿になる。抱き心地の良くなったことに満足した義勇は炭治郎を抱えたままうとうとと船を漕ぎ始める。

「あ〜〜!!義勇さんここで寝ちゃ駄目です!!義勇さん!義勇さ〜〜ん!!」



  ◇  ◇  ◇



 ぺちぺち、ぺちぺちと紅葉みたいな子どもの手が水柱の頬を打つが、それでも起きそうにはない。たぬきの子は困り果てて眉を下げた。
「……どうしましょう……」
「あー……こりゃ完全に潰れてんな」
「この人が潰れるまで飲んでるの、私初めて見ましたよ」
「炭治郎くんのこと、お借りしすぎちゃったかしら…」
 今まで隙を見せず誰ともつるもうとしなかった水柱がここまで心を預け、心底大切にしているらしい存在の大きさに驚く。
 蟲柱のしのぶは、口元を覆いながら水柱の腕の中に仕舞われているたぬきを見遣った。当人は眉だけでなく、短い耳までぺしょりと下げてしまっている。
「では帰りは私が使いを出そうか。炭治郎、あとのことは頼めるかい?」
「…! はい!ありがとうございます!」
 しかしお館様の気遣いで、すぐにその顔にはパッと花が咲いた。明るくて素直で、心配になる程に真っ直ぐな心根は今日だけでしのぶたちの心をがっちりと掴んでいってしまった。
「ふふ、カナヲとも会ってほしいですね」
「年も近いようだし、玄弥とも気が合うだろう……」
「あー、じゃあ善逸と伊之助も混ぜてほしいわ」
 しのぶに仕えている子を思い浮かべると、同じ気持ちだったらしい岩柱と音柱が同意する。全員炭治郎と同い年くらいのあやかしを傍付きにしており、三人はよく相談や報告をし合っていた。もしかするとそこに予想もしていなかった人物が追加されそうで、それが現実になった暁にはしのぶは笑ってしまいそうだった。
「義勇さーん?立てますか?帰りますよ〜」
「……………うーん……」
 それにしても、と思う。確かに炭治郎は愛らしいけれど、水柱との距離が近過ぎないだろうか。
 何か、こう、あのたぬきの子は傍付きというよりも。しのぶがモヤモヤとした感情を持て余していたところに、ある男がピッタリの単語を出してくれた。
「…………嫁じゃないのか、あれは」
「オイ…やめろォ蛇柱…それ以上は何も言うんじゃねェ……」
 水柱に思うところのある二人は今まで我関せずの態度で一貫していたようだが、ついに見るに耐えかねた蛇柱が呟いた。風柱は額に青筋を浮かべてそれを蹴散らす。
 だが妙に納得してしまった。それはしのぶだけではなかったようで、皆がああ、と頷いている。満場一致だった。
 えっちらおっちらとちいさな身体で水柱を運ぶたぬきを見るしのぶの目には、同情の色が混じっていた。
 ──まあ、いざというときに頼られたら、うちに匿ってあげましょうか。



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