待てど青紫‐2


 コリンスに、会うことは出来なかった。
 サンザに伝言は頼んだが、それも当たり障りのない内容だ。これだけ世話になっておいて余りに礼儀知らずだとは思う。それでも、今コリンスと言葉を交わせば、間違いなく慰めを期待してしまう。それだけは避けたかった。
 自分の行いで、コリンスは何かしら利益を得たのだと。思い込む為に、嘘の笑顔でも求めてしまう。自己満足で色無を使ったのだ。その行いの正当性を、傷付いた人に向けるなんて出来ない。

「ユキトちゃん! サンザ!」

 麻袋一つでまだ余裕のある荷物を抱え、馬車の荷台に乗り込んだ直後、上擦った声が耳朶を揺らす。顔を上げれば、屋敷の裏口から飛び出して来るエノウの姿が見えた。

「エノウ!」
「ちょっ、ホンマに行こうとしてるやん! 酷ない、一言くらい……!」
「えっ?」

 背後のサンザを見れば、「忘れてた……」と絞り出すような返答。
 エノウにも別れの挨拶をして貰うよう、この男に頼んでいたはずなのだが。呆れと衝撃で口を開けていると、エノウは馬車まで駆け足で近付き、荷台の縁を握り締めた。

「ご、ごめんっ! わざとじゃないの!」
「……構へんよ。間に合ったし、旅してるモンの事情には深入りせん主義や」

 肩を大きく上下させながら、それでも朗らかに笑う。この寛大さと愛想の良さをサンザが少しでも身に付けてくれれば。爪の垢でも煎じて飲ませればマシになるだろうか、そう思ってふとエノウの指に視線を向け、ユキトは息を呑んだ。
 画家見習いにとって命とも言える右手の指先全てに、包帯が巻かれている。血こそ滲んでいないがそれだけで怪我の程度など測れないだろう。

「ちょっとどうしたのそれ! 怪我したの!? まさか黒獣に!?」
「あー違う違う落ち着いて! や、弓引いた時にやらかしたんはホンマなんやけど、ちょっと切れただけ。普通に動くし、ほら、今やって絵描いて来たんやから。大丈夫!」

 大袈裟に手を開閉させる様が逆に怪しい。確かに問題なく動いているようだが、それでも本当に平気なのか。
 聞きたいことはまだまだあったのに、サンザは容赦なくユキトの顔を掴み真横に押しやった。抗議の声は、押し当てられた掌に飲み込まれて行く。

「エノウ・アトラー」
「……え、はい? ……そこから見下ろされたらめっちゃ威圧感あるんやけど」

 荷台で膝立ちになり、サンザは戸惑うエノウへ右手を差し出した。まさか挨拶を忘れておいて今更握手か。ユキトが必死に指を顔から引き剥がしていると、エノウの素っ頓狂な叫びが馬車の中に飛び込んで来た。

「アホか! お前っ、何やねんコレは!」
「何と言われましても。御迷惑をお掛けしたので、その分です」

 エノウが払い除けたサンザの掌には、数枚の銀貨が乗っていた。口止め料か、破いたシャツの代金か、怪我の治療費か。どちらにしても、これだけあれば全て賄った上で釣りも来るだろう。

「迷惑かけた気ぃなんか毛程もない奴に、金だけ貰って納得出来るか!」
「何ですかお決まりの誠意とやらをお望みですか」
「ああ、もう、本気でお前ーー、……」

 整えた前髪を掻き乱し、数秒静止したかと思えば、エノウは銀貨をふんだくった。まさか投げ付けるのか。ユキトは肩を竦めたが、意外にもエノウから返って来たのは満面の笑みだった。
 そのまま荷台に身を乗り出し、受け取ったはずの銀貨をサンザの上着へ捩じ込む。

「受け取った時点で俺の金や。ほな、これ払う。せやからちょーっとだけお前の時間売ってくれ」

 売ってくれ・と語尾は頼む姿勢を見せているが、エノウからは有無を言わさぬ気迫が感じられた。騒ぎを聞き付けたのか、御者と話していたイルクシュリが、馬車を降り三人の元に駆け寄る。
 売るか、売らないか。サンザの返事を待たず、エノウは荷台から手を離した。そうして腕組すると、一度大きく嘆息し、サンザをねめつける。

「サンザ、お前人使う才能ないわ」

 破裂音が聞こえ、足の下の板が揺れた。首を捻ると、荷台に突っ伏したイルクシュリが腕で必死に顔を覆っている。それでも小刻みに震える背中は、漏れ出す笑いを音もなく消化していた。
 ユキトからサンザの左手が離れ、所在なさげに宙をさ迷う。

「あのなぁ、何でもかんでも正解が最善って訳やないで? 今回のあの物言い、相手がコリンス夫人って言う黒獣の性質理解した人格者やったから良かったけど、あれが知識のない一般人やったらもう不満爆発してるで絶対」
「は、」
「そらサンザは軍から派遣されるくらいやし、強いし何でも知ってるし最短最善が自分の中で見えてるんやろうけど、それを説明もせんと有無を言わさず押し付けて。そんなん繰り返してたら最後どうなると思う?」
「それは、」
「ハーイ! 黒獣が討伐出来ても、一般市民にサンザに対する不満が残ると思いまース!」

 勢い良く挙手したイルクシュリは、サンザと目が合った瞬間また顔を伏せた。それでも肩が震えている。よっぽど面白い顔をしているのだろうか、サンザの顔を覗き込もうとすれば、側頭部に容赦なく肘が入った。
 エノウは正解だと穏やかに告げ、新緑の瞳を吊り上げる。

「サンザが思ってるより人間は虚栄心と猜疑心の塊やで。幾ら黒獣が脅威とは言え、それを解決しに来る軍人が横暴やったら、身の安全より自分の意地を優先させる。あんな奴に頼るくらいやったら、自分等で何とかするって」

 一般人と色霊師の境に立つユキトは、どちらの考えも飲み込めた。自分は何も知らないことが恐ろしく歯痒い力無き者と、相手は何も知らないことを厄介事のように思う能力者。
 続く言葉が、突き刺さる。

「黒獣が火に弱いことは知られてるんやし、下手に自警団でも結成して動かれたら、余計な犠牲が増える。いや、それくらいまだマシか。そこに黒獣を悪用する人間が絡んで来たら終わりやで」
「いるよネーこれ出したら黒獣逃げたーとか言って変な札売ってるヤツ」
「悪知恵なんて底無しに湧いて来ますからね。なあサンザ、この世には需要と供給がある、でも利益さえ示してふんぞり返ってれば需要側が何でもかんでも飛び付いて来てくれると思ったら足元掬われるで。……別に、商売人みたいに愛想良くしろやなんて言わんけど……それだけは、分かっといて欲しい」

 よく息継ぎもせずここまで舌が回る物だ。呑気に関心してはいるが、ユキトの中でも、エノウの言葉は大きく渦巻いている。
 闇の中を走るのがどれだけ恐ろしいか。ユキトも、今は黒獣に対し無力な者の気持ちが理解出来るが、この先戦いを学べばどうなるか分からない。
 媚びへつらうのとはまた違う。力を示す為には、威圧的な言動も時に必要となる。それでも力無き者を思い、見極めなければならないのだ。
 エノウは一歩下がり、深々と頭を下げた。

「今回は、サンザのお陰で誰も死なずに済んだ。感謝してる。やから、これからも頼む」

 腰を曲げたまま、最後にもう一度「頼む」と零す。ユキトも、サンザも、イルクシュリも、その姿を無言で見詰めた。

「……善処致します」

 思い続ける義務。それは、戦う者に永劫課せられるのだろう。



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