燃える月の睨む先‐8


 見間違いでも何でもない。皮手袋に包まれたエノウの指が、確かに、薔薇の花弁を摘まんで掲げている。目の前が一気に開け、ユキトは身を大きく震わせた。

「あっ、た! あった、サンザ!」

 疑いを歓喜が追い越す。サンザは目を白黒させ、鎌を振り翳したまま閉口していた。
 経緯など分からない、だが目の前に求めていた物が存在する。飛び跳ねそうになっていると、エノウが上着を脱ぎ捨て、白旗のように勢い良く振り始めた。はらはらと、更に二枚の花弁が舞い落ちる。

「何故、」
「さっき庭園で薔薇の中走り回ったからや、金具とかに何枚か引っ掛かっててな。ああ、飛び降りた時木の側にも一枚落とし、え、で? 三枚あったら何とかなるんか!?」
「脱げ」
「……うん?」
「五枚は欲しい。まだ中に入っているかもしれないでしょう。脱げ。隅々まで探せ」

 鎌を掴んでいた手が、今度は汚れたシャツの襟を掴む。あまりの勢いにエノウの踵が浮いても、サンザはそんなことなど気にもせず、千切れんばかりの勢いで引っ張り出した。

「うあああああ止めろ!! 嬉しくない、全っ然これは嬉しくない!!」
「やかましい」
「待って待って待って、まだ、あるっ! 後二枚、上着、本に……!」

 震える指先が示した先に、ユキトはすぐ様飛び付いた。エノウが脱ぎ捨てた上着をひったくり、指示されるままに物入れを漁れば、説明通り小さな本が現れる。
 背表紙が痛むのも構わず、思い切り上下に振った。すると、細長い紙切れが一つ膝の上に落下する。栞に使っていたのだろうか。確かに二枚、薄くなってはいるが薔薇の花弁が貼り付いている。

「それっ、人から貰った大事な花なんやけど……! 戻って来る!?」
「いえ、使い捨てます」

 だから何でそう正直に言ってしまう。栞と三枚の花弁をかき集め、ユキトが立ち上がった時、今度はエノウがサンザの胸倉を掴み上げていた。

「せやったら、意味のある使い方してくれよ」

 息がかかる程の距離で、エノウが唸る。意味のある使い方。サンザへ向けて放たれた言葉は、ユキトの胸へと深く突き刺さった。サンザは数度目を瞬かせた後、エノウの両肩にしっかりと手を置き、正面から向き合う。

「御協力感謝致します」

 包み隠さぬ謝意に、今度はエノウが目を丸くした。吊り上がっていた目尻が下がり、反比例するように口角が上向く。そのまま開かれた唇は、激励を紡ぐ物だと、ユキトは勝手に確信していた。だが、

「それではしばらくお休み下さい」

 気が付けば、大鎌の柄が、エノウの腹へ深々と突き刺さっていた。エノウはサンザの瞳を見詰めたまま、一度大きく噎せ込み、苦しげに身を丸める。

「な、ん、」
「失礼」

 ユキトと同じく状況が理解出来ないのか、エノウが必死にサンザの襟を握る。だがサンザは眉一つ動かさず、首に向かって肘を振り下ろした。鈍い音の後、今度は咳き込むことすらせず、エノウはとうとう地面に膝を付く。

「サンザ! あんた何してんの!?」
「邪魔者の排除ですが。何の為に貴女を囮だと偽ってまで連れて来たと思っているんですか」

 今さっき感謝した相手を、間髪入れずに気絶させ、悪びれもせず物のように運搬する。受け入れ難い行動に、ユキトはただ辟易するしかなかった。

「私の力はともかく、色無を見られる訳にはいかないでしょう」

 その場に放り投げず木へ凭れさせる辺り、とりあえずは本当に感謝しているのだろうか。ぐったりとしたエノウを置いて、サンザは立ち上がった。ユキトから花弁を受け取り、品定めするように掌の上で転がす。
 エノウが心配で堪らないが、今揺り起こした所で腹と首の痛みに泣くだけだろう。意識が戻ったら、止めてくれと懇願されるまで謝り続けよう。そう心に決め、ユキトはサンザの真正面に回り込んだ。

「これが終わったら、エノウに渡すお詫びの品一緒に選んでよね!」
「女斡旋すれば満足するんじゃないですか」
「サンザじゃあるまいし!」
「毛無しにされてぇのか子豚」

 薔薇の花びらで埋まった掌が差し出される。赤に包まれた黒い掌。途端に脳裏を過ぎるのは、朝霧に包まれた森での記憶だ。
 あの時も、ユキトを導いたのはこの手だった。背後には黒獣が迫っていて、事情もよく分からないままに、自分の役割を欲した。

 さあ、もう一度だ。今度は己の望みがすぐそこで瞬いている。
 十年前の嘆きに意味はあったのだと、この手で証明してみせろ。



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