燃える月の睨む先‐7


 貝殻はどう考えたって不可能だ。赤い花、実。この林の中にあるだろうか。探して間に合うだろうか。いや、迷っている時間はない。ユキトはサンザに向かって、あらん限りの声を張り上げた。

「分かった、待ってて探して来る!」
「待ちませんよ」

 あまりに隙のない拒絶の言葉が、緩んでいたユキトの頭を揺さぶった。肩越しにユキトを覗き見たサンザは、野良猫でもあしらうかのように嘆息し、大袈裟な身振りで視線を逸らした。
 浮かべていた笑顔が凍る。どうして、問い掛けるつもりが、まともな言葉が出て来ない。苦し紛れに息を吐き出せば、気の抜けた音がかろうじて零れた。

「え、」
「問いはしましたが、従うとは言っていません。貴女が提案したのは、賭けも賭け、大博打、しかも不要な。そんな物に乗る気はありません」
「だって、コリンスさんが!」
「なら今すぐ夫人を引きずって来て真意を確認して下さい。本人からの依頼もなしに望んでいるだろうと推測し勝手に事を行う。御存知ですか? そう言うのを、」

 自己満足、と言うのですよ。
 忌々しげに吐き捨てると、サンザは鎌の切っ先を、躊躇することなく黒獣に突き刺した。





 種油の木の間に設置された通路は、荷台一台通るので精一杯な程の狭さだった。不安は残るが、とにかく馬が走ればそれでいい。コリンスとリネットを木陰に移動させ、エノウは遠ざかった林を睨んだ。
 黒獣の絶叫は止まない。サンザは上手くやっているのだろうか。本当にユキトを囮に使うつもりなのだろうか。疑問に正誤を付けてくれる親切な人間は、何処にもいない。

「俺は少し道を戻ります。二人共、異変を感じたらすぐ走って下さい。こっちのことは、気にせんと」

 言った所で彼女等なら向かって来るかもしれない。その様がありありと浮かんで、エノウはこっそりと噴き出した。そうして、自分が思っている以上に腹を括っていることに気が付く。

「……夫人」

 あれから一言も発しないコリンスに、エノウは背を向けた。顔を見れば問えない。彼女に寄り添う少年の幻影は、もう見たくない。

「あの黒獣……二ヶ月前の」

 嗚咽が聞こえ、肩が跳ね上がった。リネット。コリンスが、小鳥の羽音のようにささやかな声で呼ぶ。熊のように巨大な黒獣だと伝えられていたから、もしかしたらと思ったが、またこの勘は当たってしまったようだ。
 農園の近くに現れ、コリンスと対峙しておきながら黒獣は姿を消した。奴等の行動原理など理解する気もないから、そんな個体もいるのかと聞き流していた。そのまま流れて忘れていれば良かったのに。目頭を指で挟み、眩む思考に喝を入れる。
 倒木の衝撃で折れてしまった弓と矢を捨ててから、馬の手綱を引いた。だが、黒獣の気配を間近で感じ、さすがにもう戻りたくないのだろう。頑なに動かなかったので、そのままリネットに託した。馬がないのならここに留まって下さい、懇願されるが、意識は既に林の中へと向かっている。

「行って来ます。どうか、御無事で」

 夫人、あなた、食べられたかったんですかとは、結局聞けないままだった。





 地を蹴る度、腰で鞘が歪な音を発する。普段扱う曲刀とは異なる剣だ。恐らく、斬るよりは叩き切る方が向いているのだろう。だからこんなに重いのかと、跳ね上がる息の合間に独りごちる。
 サンザに何と言われるだろうか。あの瞳が殺意を向ける時を思えば、背筋を冷たい物が這い上がる。それでも、エノウの中に立ち止まると言う選択肢は存在しなかった。

「くっそ、何処にいるんや」

 手頃な岩が転がっていたので、踏み台にして巨木を越える。着地の瞬間、眼前に一片の色彩が舞った。暗闇に似合わない鮮やかさに一瞬面食らうが、それが何なのか理解し、肩の力を抜く。
 が、眼前に吹き飛んで来た枝葉が、一気に極限の緊張を連れて来た。まるで矢のような速さで、太い枝が軽々と飛ぶ。信じられない光景に、石礫から身を守るのも忘れていた。

「やっぱり、囮やなんて……!」

 この奥に、サンザと、とてもではないが戦えそうにないユキトがいる。囮にするなら、まだ動ける自分を使えばいい。折れ曲がった木を避け、エノウは脅威の足元へ飛び込んだ。





 打ち付けた鼻に、甘い香りが流れ込む。つんとした痛みに身を捩ると、新緑の瞳と視線がかち合った。

「ユキトちゃん! 良かった怪我してへん、」
「花!!」
「えっ、あ、鼻打った? ゴメンな、急に飛び出してしもたから」

 そうじゃない。もつれる舌で必死に説明しようとするが、何から伝えればいいのか分からない。ぶつかった姿勢のまま、エノウの胸に両手を置き、餌をねだる魚のように口を開閉させた。

「何しに来た足手纏い!!」
「エノウや!!」

 サンザの罵声とエノウの怒声が重なる。頭上と背後に凄まじい怒気を感じながら、ユキトはやっと言葉を発した。

「赤い花持ってない!?」

 途端、エノウが完全に静止する。実とかでもいいけど・と続ければ、端正な顔立ちが見事なまでに崩壊した。それでも自棄になったユキトは、訂正も説明もないまま更に訴える。

「花じゃなくて花びらでもいい! あ、いや、同じか、貝殻は無理そうだし、えぇっと、」
「見苦しい! いい加減諦めろ!」
「お願い、何か見かけたりしてない!? それがあれば黒獣を倒せるの!」

 実際なくても黒獣は倒せるのだから、これは大法螺だ。だが、今のユキトには羞恥心も罪悪感も感じる余裕がない。とにかく手に入れなければ。そうすればサンザだって折れてくれるかもしれない。今の自分に出来ることはもうここにしかないのだから。
 エノウは暴風の中の風車より忙しなく瞳を動かし、状況を把握しようとしている。だからこそ、遠慮せずひたすら要望だけを叩き付けた。

「下がりなさい、早く!」

 エノウに手を引かれ、サンザに背を押される。よろめきつつも何とか移動すると、すぐ後ろで地面の抉れる音がした。黒獣が近い。これ以上は、エノウも危険に晒してしまう。
 このまま、黒獣を倒すしかないのか。あの黒ずんだ怪物と共に愛しい我が子が朽ち果てたと、コリンスに告げなければならないのか。下唇を噛み締め、己の非力さを痛感すれば、剥き出しの感情が腹の底で燻る。
 肩に手を置くエノウへ、小声で謝罪する。いきなり訳の分からないことを言って、ごめん。束の間の沈黙を跨いだ後、返って来たのは、あまりに予想外な言葉だった。

「薔薇でもえぇ?」

 視界の真ん中で、赤が揺れる。艶のある肉厚な花弁が、ユキトの前に差し出されていた。



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