帳が下りる‐8


「うおあっ! 何やサンザか、ちょっと夜に紛れるん止めてくれへん?」

 廊下で鉢合わせて第一声がそれだったから、サンザはとりあえずエノウを殴った。彼の言葉を借りるなら「夜に紛れない」金髪が、衝撃と共に大きく揺れる。
 誰も好きでこんな暗い配色に生まれた訳じゃない。褐色の肌も、灰色の髪も、全て母親から譲り受けた物だ。当たり前だが、決して暗闇に溶け込む気などない。

「貴方こそ全体的に目に痛い配色なので今すぐ毛を剃り落として来て下さい」
「……サンザがそれ言うと、洒落に聞こえへんから怖いわぁ……」

 叩かれた頭をわざとらしく擦るエノウは、昼間と変わらず腑抜けた顔で笑んでいる。サンザが敢えて鋭い視線を向けた所で、態度は変わらずにいた。
 髪を下ろし、何処か幼くなったエノウに、警戒心は認められない。もう一度だけゆっくりねめつける。結局、緑の瞳が不思議そうな視線を返して来るだけだった。

「早めに休んどいた方がえぇんとちゃう? サンザもあの道は疲れたやろ」

 そのまま通り過ぎようとする胸倉を、問答無用で鷲掴んだ。ランプを落としそうになったエノウが耳障りな悲鳴を発する。それでも尚力を緩めず、引きずるようにして庭園まで連れ出した。

「痛い痛いっ、服伸びる!」

 昼間、ユキトとエノウはこの庭園で暇を潰したのだと聞いた。人の仕事中にいい御身分ですね。ユキトへ発した嫌味に、何故かエノウが「そんな妬かんでえぇやん!」と答え、脛を蹴ってやった記憶が蘇る。
 庭園の中心で立ち止まると、何か言おうとしていたエノウの右腕を掴み、有無を言わさずランプへ息を吹きかけた。頼りない蝋燭の炎が掻き消え、星月夜の元で光源はサンザの持つランプだけとなる。
 腕から手を離せば、エノウは数度瞳を瞬かせた。薔薇の蔦が這う垣根に挟まれ、夜風が吹く度花弁の擦れる音が庭園に響く。

「なあ、いくら何でも酷ない? 俺そろそろ怒った方がえぇんかなー」
「貴方に話があります」
「無視かーい。……ま、構えへんけど。どうせそんなトコやろ思うたわ」

 含みを持たせた笑みに、苛立ちが募る。
 初めて顔を見た時――酔っ払いに絡まれ、刀を奪われかけていた、あの時から。この男は不自然だった。ただのあやふやだった予感。だがそれは、馬車の中で確信に変わった。
 コートの中、常に仕込んでいる小瓶を指でつついてみる。液体の揺れる感触、彩水はいつものようにそこにあった。

「単刀直入に聞きます。貴方は何者ですか?」

 自らのランプをエノウに押し付け、数歩下がった。暗闇の中、万が一を考えれば、自らの姿を晒さず間合いを取った方が得策だろう。ランプは簡易式の物でかなり小さい。今も、エノウの上半身を僅かに照らすので精一杯だ。
 小瓶のコルクに親指を引っ掛け、いつでも取り出せるようしっかりと握り締めた。
 エノウはランプだとサンザを交互に見比べ、何かをそっと呟いた。そよ風に霞む程小さな声を発した後、その口元には笑みが浮かぶ。
 何故笑う。出会ったばかりの、威圧的な風貌の男を前に、この状況で何故笑える。歪むサンザの双眸は、夜の帳の中エノウへと届いているだろうか。

「何やの、それ。夕食ん時に改めて自己紹介したやん。俺は画家と客の仲介者やって」
「そんなことを確認する為に、むさ苦しい男をこんな所で引きずって来ると思いますか」
「いや? ……俺やったらせぇへんなぁ」

 風が出て来た。頬に張り付く髪が鬱陶しいが、構ってはいられない。
 向こうからサンザの姿は朧気にしか見えないはず。御伽噺に出て来る、猫の類の化け物でない限り。

「……まあ、一般人です、としか言えやんわなあ。この状態では」

 エノウは焦りなど微塵も滲ませず、真横で咲く薔薇を眺めていた。

「一般人があんな刀を持ち歩きますか」
「護身用のはったり、って理由はもう信用してくれへんか」
「これでも実戦経験をそれなりに積んでいるので。刀を握る姿を見れば、扱い馴れているかどうかくらい判断出来ます」

 いきなり胸倉を掴まれても。視界を闇に覆われても。平然としているこの姿の、何処が一般人だと言うのか。力を持たぬ人間は、異常事態に陥ると身構え警戒する物だ。どれだけ取り繕おうとも、動揺は視線や指先に現れる。
 エノウにはそれがない。だからここに賭けた。

「偶には勘が外れることもあるんとちゃう?」

 エノウの視線が動く。左に泳いで、真後ろを射抜いた。サンザは間髪入れず上着から小瓶を取り出し、掌の中で一回転させる。

「なら確かめましょうか、実際に」

 勢い良く駆け出す直前のように。腰を折り、身を屈めた。
 エノウは予想通り背中など見せず。一度上体を逸らしてから、右足で勢い良く地面を蹴った。ランプの光が不安定に揺れ動く。サンザは右手に小瓶を携えたまま、左手を支えにし前方へと飛び出した。
 頭上を気配が走る。右足を軸に勢い良く回転し、鮮やかな回し蹴りを繰り出すエノウの姿を、見上げた。

「ぐっ……!」

 固い物同士の摩擦音とくぐもった声を背に受けると同時。足を滑らせ、低い姿勢のままエノウの背後へと回り込んだ。エノウは体を一回転させ、ちょうどサンザと向き合う形で足を地面に下ろす。そのままランプを足元に置くと、躊躇することなく隣まで駆け寄って来た。
 影が蠢いている。輪郭を仄かに照らす炎は、すぐ様ランプごと叩き割られた。
 乾いた破裂音に、乾いた靴音が続く。

「さーて何処のオッサンや、物騒なことしてくれたんは」

 一面の闇。だが、月明かりと慣れ始めた目のお陰で、うっすらと相手の居場所は把握出来た。

「いつからいたか、気付いていましたか?」
「俺等が庭園に出てすぐと違う? サンザの真後ろまで寄って来たんは、刀の話始めた辺りかなぁ」
「鼻が利きますね」
「素直に褒めてぇや」

 茶化したように笑うが、瞳は今までの物と異なる色を帯びていた。サンザの背後に忍び寄っていた何者か。蹴りは上手く腕でいなされたようだと、エノウが悔しそうに呟く。
 二人の正面に陣取った影は、大きく動こうとしない。様子を伺っているのか。数で見ればこちらが有利だが、向こうの目的が明確にならない以上、先手が不利となる可能性も捨て切れない。
 元々が当てのない賭けだ。ここはいっそ、更なる大博打を打ってみようか。
 選択肢が一つ増えた所で、サンザは勢い良く振り向いた。人影はない。花弁の鮮やかさを覆う闇が、果てしなく続いているだけだ。

「サンザ、通路迂回してアイツの後ろに出れやん? それまでやったら気ぃ引く、って、ちょっと何処見とるん」
「却下です。それ所ではない」

 発しようとしたのは不満か疑問か。エノウの唇から零れた音は、咆哮によってかき消された。

「グアアァァアアアアアア!!」

 ――黒獣。
 呟いたのは、エノウか、名も知らぬ人影か。どちらにしても、正解だと告げている余裕はなかった。
 サンザは踵を返すと、一目散に駆け出した。エノウが引きつった声で自分の名を呼び、二つの足音が追って来る。

「おい、何やねん今の! 黒獣か!?」
「そうでしょうね。あんな不細工な声を出せる人間はそうそういませんので」
「そらそうやな! ほな、俺に何か恵んでくれへん? 今なーんも持ってへんねん」

 ユキトと言いこの男と言い、不測の事態に限って頭がよく動く物だから、何とも腑に落ちない。
 上着やズボンのホルダーを漁り、仕込んでおいたナイフを取り出す。刃渡りは掌よりほんの少し長い程度。サンザでも、不意打ちの攻撃くらいでしか使わないような、頼りない代物だ。
 取り出した物の、これが恵みになるのだろうか。何か他になかったかと記憶を遡っている間に、ナイフはあっさりエノウに奪われた。

「借りてえぇんやな!?」
「使い物になりますか」
「上等上等、相手さんから奪わんでえぇだけ大分マシや!」

 左手で器用にナイフを回転させながら、エノウは右足を地面に滑らせた。砂利の擦れる音と共に、サンザの隣から人の温度が消え失せる。
 立ち止まったエノウは一度だけサンザを見やると、ナイフの刃を柄から引き出し、構えた。一際強く吹いた風に、緑のコートが大きく膨らむ。

「まあ博打や思うて、こっちは任せといて」

 自身の浮かべた単語を言い当てられ、サンザの胸中で自嘲めいた感情が渦巻く。博打も博打。大博打だ。しかも賭けるのは、素性も知れない今日出会ったばかりの男。ほんの少し前のサンザなら考えられない、無謀な手段だった。
 一体誰に毒されたんだ。今度は自嘲をはっきりと口にし、サンザは入り組んだ庭園を駆け抜けた。



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