帳が下りる‐4


 クジェス特有の直線的な波模様に縁取られた平たい皿。その上で、多種多様なクッキーが今か今かと出番を待っている。もちろんただの焼き菓子が喋るはずもないが、少なくともユキトにはそう見えた。

「これさっきの薔薇入ってるんやって」

 ティーカップに注がれる紅茶。皿の上に鎮座するクッキー。そしてシャーヴェイ・ローズ――青紫の薔薇を、エノウが順に指差す。
 ユキトはそれを指でなく瞳で追いながら、最後にエノウへ視線を戻すと、浮かんだ疑問をすぐさま口にした。

「え、このクッキー青紫じゃないけど」

 言葉の端に食い込む速度で、エノウは盛大に紅茶を噴き出した。とっさに横を向いたのは彼なりの気遣いだろうか。お陰でユキト達もクッキーも被害を免れた。
 突然のことに思わずユキトは絶叫し体を仰け反らしたが、リネットは平然とした微笑を崩さない。
 腰を折り、上半身を机の下に隠したまま、エノウは途切れ途切れに震えた声を発する。

「そ、そらそやろ、青紫のクッキーとか俺、絶対っ、無理っゲホッ! ゴホッ、アッ、アハハハハ! ガホッ!」

 噎せ返る音としゃがれた笑い声が響き合い、最早心配する気も失せてしまった。机の向こうで丸まった背中が揺れる。これだけ笑われても、馬鹿にされた気がしないから不思議な物だ。
 冷たい視線に気付いたであろうリネットが、エノウの背中を擦りながら苦笑する。

「仰る通り、青紫はとても食欲をそそる色合いでは御座いませんので、花弁は細かい粉末状にして他の薔薇と混ぜてあります。少量でも、シャーヴェイ・ローズは芳醇な香りを楽しめますよ」

 リネットが話し終わる頃、エノウもやっと復活して来た。涙目な上に肩はまだ細かく上下しているが。
 ユキトはティーカップを手に取り、口元へと近付けてみる。紅茶の色は確かによく見かける淡い茶褐色だった。だが、詳しくないユキトでもその薫り高さは充分理解出来る。
 あれだけ高い物を入れればやっぱり良い物になるんだろうか。また脳内を硬貨が飛翔し、どうあっても切り離せない基準に自然と肩が落ちた。

「本当に……いい香りです……」
「ユキトちゃんなんで元気なくなってるん?」






 これは御厚意だ。これが彼女達にとっての仕事だ。そして自分も、それに全力で応えただけだ。だから、この空の皿も、ポットも、決して卑しさによって積み上げられた物ではない。
 現実逃避の為庭園を凝視しながら、ユキトはエノウに問い掛けた。

「人の欲望って果てしないわよね……」
「人の、って言うより、ユキトちゃんの食欲がって言うた方がえぇんとちゃう?」
「ぐああああ言わないで!! 薄汚く食い散らかすなって釘刺されたばっかなのに!! どうしようこっちの罰でも正体不明の液体鼻から注がれんのかなぁそれともいつも通り本の角で的確に痛い所を、」
「お宅等の関係性どうなっとるん?」

 エノウの口角が痙攣している。ああ、そうだこれが通常の反応だ。あの男と二人で行動していると、何処か感覚が麻痺してしまう。
 思う存分愚痴を吐き出したくなったが、そうするとサンザと出会った経緯にまで話が及ぶだろう。そんなことすれば鼻から液体どころの騒ぎでは済まない、ユキトは生唾と一緒に不満を飲み込んだ。

「まあ、諸事情でね。思い出すと後先不安だから別の話させて」
「アハハハそらまあ難儀やなあ。ほな、せっかく女の子と二人っきりなんやし、浪漫のある話でもしよか?」

 そう言うとエノウは机上の花瓶から薔薇を抜き取った。
 それはまさしく、ユキトの舌と腹を満足させたシャーヴェイ・ローズ。青紫の花弁は、白い机を背景としより存在感を増している。
 浪漫と言う単語は薔薇とすぐ結び付く。薔薇は、クジェスの文化では愛を象徴する花だ。男性が女性に送る「愛の証」の定番とも言える。ユキトは身を乗り出し、エノウの顔を覗き込んだ。

「薔薇持って浪漫のある話? 武勇伝でも聞かせてくれるの?」
「んー出来るモンならやってみたいんやけど、今回は別のお話」

 顔の横で薔薇を振るエノウは、何処か楽しそうに見えた。

「このシャーヴェイ・ローズってめっちゃ珍しい色やろ? せやから市場価格は高いんやけど、女性への贈り物としては大分不向きなん」
「そうなの? 高いし珍しいし、手っ取り早く女の子釣るには一番じゃない?」
「言い方容赦ないけど、うん、確かに。でも実はアカンのよなーこれが」

 二本目、今度は赤い薔薇を引き抜き、シャーヴェイ・ローズと並べた。どちらも大輪で見事なまでの鮮やかさだが、見慣れていないユキトはどうしても青紫に目を引かれてしまう。

「赤の対となる色は青って位置付けられてる。諸説あるんやけど、赤い薔薇が情熱を意味するのに反して、青い薔薇は冷めた心を表す場合が多い」
「……あー、じゃ、青い薔薇女の子に送ったら、修羅場ね」
「そ。特に付き合ってる子相手やったりしたらもーエラいコトやで。遠回しに「私はあなたに冷めました」言うてるんやから。でもこの薔薇は青やなくて青紫、また別な意味があるんよなー」
「うんうん」
「青紫は赤と青の中間色。「情熱」と「冷めた心」の中間、離れ行く「距離」を意味する、って考えられとる。送る時期としては、関係を見直したい時、単純に距離を置きたい時が最適」

 赤と青紫の薔薇を並べ、数回振った後その間から顔を覗かせる。
 話している内容はなかなか爛れているが、語り手の調子は相変わらず軽やかだ。色恋沙汰に縁のないユキトは、幸か不幸か思い起こす辛い体験など持ち合わせていない為、淡々と知識を吸収することが出来た。

「そんなの全然知らなかった。複雑なのね花言葉って」
「花言葉とはまた別モンやで? 主にお上品な方々が使う、恋愛の材料やから。それを知らん成金が調子乗って高いだけのシャーヴェイ・ローズを贈ったら、鼻で笑われて無知の太鼓判押される言うコト」

 ――そう言われてみれば、確かに金持ちがやりそうな駆け引きだ。彼等は何かと裏に隠された意味や間接的な表現を好む。
 思考と行動が直結しているユキトにはまどろっこしくて仕方ない方法だが、うら若い乙女はこう言った手法に弱いのだろうか。ユキトの中で「おいしい花」と位置付けられた薔薇は、幾重もの意味が宿る花弁を誇らしげに掲げていた。
 ここまでの説明で納得しそうになっていたが、ふと過去の記憶が矛盾を投げかけて来る。

「質問していい?」
「どーぞ?」
「私の知り合いで、友達からこの薔薇贈られた人がいたの。でも仲悪そうじゃなかったし、むしろ喜んでたんだけど?」
「そら、友人同士やからなぁ。恋愛対象にとっては悪い意味で「距離」の象徴やけど、それ以外の相手やったら、いい意味の「距離」になるんやろ」
「ごめんもっと詳しく!」
「距離が開こうとも私達の友情に終わりはありません――ま、そんなトコやろな。その友達、これから別な場所に行く人やったんと違う?」

 言い当てられ、閉口する。確かに、薔薇を受け取ったのはアパートの大家。送り主は、遠い街に嫁ぐ娘同然に可愛がっていた少女だった。
 成る程。男女の関係においては冷たい距離でも、変わらぬ友情を誓い合う者達にとっては、距離も絆の証明となるのか。余計ややこしく思える薔薇の重さに、ユキトは米神を押さえた。

「私、絶っっ対薔薇とか贈らない……意味考えるだけで面倒」
「そない寂しいコト言わんといてやーユキトちゃんが薔薇渡せばそこらの男なんかすぐ手玉に取れるで!」

 手玉。全く魅力を感じない言葉だ。それならその渡す薔薇を、紅茶の香り付けにでも使った方がよっぽどマシだろう。
 険しい表情のまま首を横に振れば、エノウは口を尖らせ「もったいないなぁ」と呟く。そう言う彼は今まで山程薔薇を送り、また受け取って来たのだろうか。
 無粋な推測は、新しい紅茶を運んで来たリネットの足音でかき消された。






 己の背丈よりずっと高い樹木を見上げた後、サンザは足元へと視線を落とした。
 水はけの良い土壌は程良く乾燥しており、指を這わせても土は皮膚から簡単に剥がれ落ちて行く。
 元は雨水の溜まりやすい土地であった一帯を、ルジェーロ・コリンスと夫人は一から開拓した。地道な努力の甲斐あって、視界を埋める程の緑で覆われたこの大農園は、シャーディの発展を支える拠点となったのだ。
 この農園で栽培されているのはほとんど全て「種油」の木だ。
 一度根を張れば痩せた土壌でも比較的育ちやすく、その実からは上質な油が精製される。しかも、植え分けさえ上手く行けば収穫時期は年に二回となる為、他の油の原料より多く市場へ出荷出来る。

 最大の利点は、古くなった油に混ぜれば不純物を吸収し、品質まで改善させる特色だろう。もっとも、それに使用する油は種油の中でもとびきり上質な物に限られるのだが。
 サンザは再び馬へ跨がり辺りを一回りすると、夫人と使用人が待つ農園の入り口へと戻って来た。




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