帳が下りる‐2


 他愛もない雑談を交わしていれば、時間などあっと言う間に過ぎる。エノウは次から次へと話題を提供し、それにユキトが遠慮なく答えれば、内容は二倍にも三倍にも膨れ上がり退屈を押し潰した。
 サンザの不機嫌そうな表情が気になったが、問い掛けた所で返事はなく。心配するエノウの脛を蹴り付ける暴挙に出た後、目を閉じ何も話さなくなってしまった。
 これは流石に――、ユキトの抱いた不安は、乱れない明瞭な笑顔が見事消し去る。
 サンザに冷たくあしらわれても、ユキトがやかましく声を荒げても、淀みなく回る馬車の車輪と同じようにエノウは笑い続けた。本当に愛想の良い青年だ。長く一人旅をしているらしいが、彼の人柄なら街から街へ渡り歩くのも苦ではないだろう。
 辺りを漂う空気が黒く染まりそうなサンザをよそに、二つの笑声が幾度も重なる。そしてその声音は、三人揃って馬車を降りた時、この日で一番高らかに鳴り響いた。

「アハハハハハっ、腹痛い腹痛い、嘘やろっ、ここまで一緒やなんて!」

 俯き爆笑し続けるエノウの横で、サンザが呆然と目の前の建物を見上げていた。
 御者が気を利かせ、降車場より奥の「ここ」まで馬車を回してくれたのだが――喜ばしい事態であるにも関わらずユキトの表情は浮かない。
 眠るアッシアの顔へ落書きして、こっそり逃げた時のように。強張る足を引きずり音もなく移動する。一歩二歩、最終的には立ち尽くすサンザの背後へと。

「で、お二人はコリンス夫人に何の用事なん? あっ、もしかして使用――」
「アトラー様、ニッセン様!」

 目尻の涙を拭うエノウは、言葉を止め振り返る。
 三人の背後には、赤と白の薔薇が伝う重厚な門。そして、更にその後ろには、「豪邸」と表現するに相応しい立派な屋敷がそびえ立っていた。門と屋敷の間に広がる庭は広大で、薔薇以外にも多くの花々が咲き誇り、日光を受けそこかしこで色の付いた影が揺れている。
 その中に横たわる小道を、二人の女性が駆けて来る。先を行くのは四・五十代に見える白髪の女性。後を追っているのは、服装から見るに侍女だろうか。

「奥様っ、出迎えは私共が!」
「貴女は御茶の用意をなさいリネット。遠路遥々お出で頂いたのですから、私が直接お伺い致します」

 エノウはさっさと門をくぐり女性の元へと駆け寄った。
 薔薇のアーチの下、色彩の海へと歩み入る後ろ姿は、まるで絵画のように幻想的だった。
 初めての訪問ではないのだろう。一挙手一投足に迷いがない。エノウは騎士のように跪き、女性の手を取るとその甲へ口付ける。

「アトラー様、お待ち申しておりました」
「ご機嫌麗しゅう、コリンス夫人。夫人自ら出迎えて頂けるとは、光栄の極みに御座います」
「嫌だわそんな他人行儀に。どうぞいつものように楽しいお話をなさって下さいな」

 幾度も耳にする聞き覚えのない名、ユキトはとりあえずサンザの背中を見詰めてみた。だが彼は、それこそ絵画を鑑賞するかのように動かないでいる。

「ね、ねぇサンザ、機嫌……直ったの……?」

 そろそろと背後まで近寄り、ユキトにしては珍しい小声で問う。

「……最早機嫌の問題ではありません。何ですかあの男は、何故ここまで同行しているんですか」
「わっ、私に聞かないでよぉ……! そんなことより、ほらっ、わざわざ出迎えてくれたんだから挨拶!」

 初対面である自分が先だとおかしいだろう。背中を押しながら呟けば、サンザは渋々庭へと足を踏み入れた。
 庭の中央ではエノウが女性の右手を取り、エスコートしている。随分と手慣れた様子だが、今までの行動を顧みると納得出来る。サンザは手を腹に当てると、女性に向かい恭しく頭を下げた。

「お久し振りです夫人」
「ニッセン様、またお会い出来て光栄ですわ。道中さぞ御不便だったでしょう」
「夫人に御配慮頂く程の物では」

 コリンス夫人と呼ばれたその人は、上品な笑みを湛えていた。
 白い髪は結い上げられ、深緑のドレスに目立つ装飾品は見当たらない。だが彼女自身から伝わる凛とした空気が、その身の高潔さを如実に表している。
 今まで接したことのない相手だ。ユキトの背筋は自然と伸び、口は真一文字に結ばれた。

「まあ! 何て可愛らしいお嬢さん」

 薄茶の双眸に射抜かれ肩が跳ね上がる。とにかく挨拶を、そう思うのだが何と口にすれば良い物かさっぱり分からない。
 戸惑うユキトを知ってか知らずか、サンザは淡々と女性に語りかける。

「申し訳ありません、同行者がいるとお伝えしていませんでした。不都合でしたら下がらせますが」
「とんでも御座いません。人選は全てそちらにお任せ致しております」

 コリンス夫人はエノウの手を離れ、ユキトと向き合った。

「はっ、初めまして! ユキト・ペネループと言い、――申しま、す」
「どうぞ畏まらないで下さいな。初めまして、フランシスカ・コリンスです」

 差し出された手を恐る恐る握り返す。所々皺の刻まれた手だが、指一本一本に篭もる力が侮る隙を与えない。
 よくこんな高貴さの塊のような人と、平然と話が出来る物だ。ユキトは両脇に佇む馬車便仲間をねめつけた。

「さあ、お客様にこんな所で立ち話をさせる訳にはいきません。どうぞお入り下さい」

 導かれる先、屋敷の玄関では、使用人が揃いも揃って頭を下げている。――場違いだ。こんな風に歓迎される身分ではない、招かれたサンザやエノウと違い、自分はただのオマケなのだ。
 だがこの状況で誘いを断れる程図太くもない。歩を進める三人の後を追う以外、ユキトに選択肢は残されていなかった。







 案内された客間は、淡い色合いの家具が並ぶ一室だった。コリンスの身形のように一見質素に見えても、ふと目に入る細やかな装飾に心拍数が跳ね上がる。
 長椅子の肘掛け、机の縁、クッションの刺繍。決して主張しない箇所に凝らされた趣向が、逆に品を際立たせていた。
 出された紅茶に口を付けるが、予想通り味がしない。こんな高級品そうそう飲めないのになんてもったいない。カップに絡めた指が震え、紅茶の水面に波紋が広がる。

「……サンザ、って、軍の人……やったん?」

 隣で宙に浮くカップもまた揺れていた。それに連動し、持ち主であるエノウの口角も小刻みに引きつる。

「はい」
「何やそれぇぇぇ!! 全っ然知らんかったし!! あっ、でもせやな、蹴りメッチャ綺麗やったもんな! そら軍人やったら鮮やかな蹴りの一つや二つ繰り出せるわな! あの時はありがとう!!」
「どういたしまして」
「会話する気あらへんやろ!?」

 先程庭園で跪いた人間と、目の前で喚く青年が同じ人間だとは思えない。コリンスから許可を得たからか元々そのつもりだったのか、屋内に招かれて刀を侍女に預けたエノウは、すっかり「ユキトの知るエノウ」に戻っていた。
 やはり緊張しているのは自分だけか。居心地の悪さに肩を竦め、再び味のしない紅茶を嚥下する。

「せやったら、え、ユキトちゃんも……!?」

 疑いの視線を向けられ、ユキトは慌てて首から左手からそこら中を左右に振った。

「違う違う!」
「当然です。彼女は別件で次の目的地まで同行しているだけですから。一般人ですよ」

 え、と口を付いた驚愕に、サンザの反応はない。
彼女? 今、自分のことを彼女と言った? いつもなら「あれ」だの「これ」だの「子豚」だの好き勝手に呼ぶくせに。
 平生通りの丁寧な口調で会話するサンザは、それでもやはり高貴な身分の相手を前にし、見事な仮面を被っているようだ。対照的な行動を取るサンザとエノウに、ユキトの頭は一層強く痛む。
 騒がしいエノウを前にしても、コリンスの優雅な佇まいは乱れなかった。
 エノウに仕事を依頼した直後、黒獣の目撃が相次ぎ、軍本部へ文を出したのだと言う。エノウには日を改めてと伝えたかったらしいが、街を転々とする彼の足取りを掴む前に到着してしまった。
 自らの不手際で危険な場へ出向かせてしまった、謝罪の言葉と共にコリンスの頭(こうべ)は深々と垂れ下がる。それに慌てたのは他でもないエノウだ。すぐ様彼女の隣で膝を付き、彼女の両手をそっと握る。

「止めて下さい夫人。何より優先されるべきは黒獣の討伐です。絵なんていつでも描けますから、謝ることなんて何もありませんよ」

 絵。いきなり浮上して来た単語は、会話に参加していないユキトにもよく響いた。
 仕事を依頼されたらしいエノウが、絵なんていつでも描けると発言する。と言うことは、彼は画家なのだろうか。その飄々とした風体からは想像も出来ない肩書きに、ユキトは思わずまさかと零す。
 エノウの耳に微弱な否定は届かなかったのだろう。夫人に一礼した後、おもむろに立ち上がる。

「では、自分はこれで失礼します。また日を改めて伺いますので――」
「そう仰らずにアトラー様。やっとお部屋の支度が整いましたのに」

 そう言って客間に姿を見せたのは、庭でコリンスを追っていた若い侍女だ。真っ直ぐ背筋を伸ばし歩く彼女に、また別の侍女が数人続く。

「手間をかけましたねリネット」
「もったいないお言葉に御座います」
「アトラー様、ペネループ様、お部屋を御用意致しましたのでどうぞおくつろぎ下さいませ」

 促された訳でもないのに、コリンスとほぼ同時にサンザが立ち上がる。
 ユキトも慌ててそれに倣うが、勢い余って足がもつれてしまった。サンザから感じる憮然とした視線に、コリンスに向けていたそれとは全く違う無遠慮さを感じ、思わず拳を握り締める。
 コリンスからの指示を受け侍女等は散り散りになった。

「私はこれから黒獣が出没した農園に向かいます。貴女は屋敷で待つように。くれぐれも、勧められた菓子や飲み物を薄汚く悔い漁るような真似は謹んで下さい」

 ほらやっぱり、全然何もかもが違うじゃないか。胸中に蓄積される鬱憤は、差し出されたサンザの右手によって遮られなければ、陳腐な雑言となって溢れ出していたことだろう。
 掴まれていたのは細い紐で、その先には小さな瓶がぶら下がっていた。ユキトの掌へ落とされた拍子に、中に満ちた赤い液体が流動する。
 視線で疑問を返せば、サンザは一言「持っているように」とだけ呟く。
 また何の説明もないのか。不満に唇を尖らせようと、サンザから反応は返って来ない。

「落としでもしたら――そうですね。口以外の穴からそれを飲んで貰いましょうか」

 浮かぶ微笑に鳥肌が全身を包み込む。
 ーーこの男、本気だ。




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