帳が下りる‐1


 待合所まで連れ立って歩く道中、頭痛が治まらなかった。

「腫れて来てない? 思いっ切り行かれてたみたいだけどさ」
「うーん大丈夫とちゃうかなぁ、あのオッサン酔い過ぎて拳握られへんかったみたいやし……油断しとったから口噛んでもたけどぉ!」
「酒場の店員に注意されて逆に怒り出したんだっけ」
「せやからって俺に当たらんでもえぇやん! 危うく食ったサンドイッチ吐き出して朝飯代損するトコやったわ!」
「えぇー気にするのそこぉ? 殴られたの腹立たないの、私だったら股蹴り上げるくらいしてやるけど!」
「い、いやいや、女の子がそんなコト言うたらアカンやろ……!」

 まだ街中をほんの少し共に歩いただけの仲。出会ってから一日も経っていない。なのにこの二人は何故こうも、喧しく実りのない会話を延々と続けられるのだろう。妙に甲高い声が鼓膜を揺らす度、言い様のない不快感が腹からせり上がって来る。
 待合所の看板が見えて来ても会話は収束に向かわず、むしろ盛り上がりを増して来ているようだ。比例して頭痛も増す。
 眼前で呑気に歩く小さな黒髪と大きな金髪、二人揃って尻でも蹴り上げてやれば大人しくなるだろうか。

 確かにいつも通り過ごせと言った。言いはした、が。ここまで本調子を取り戻して、周囲と打ち解けなくてもいいだろう。
 王連院からの追っ手が確認出来ないとは言え、何処から情報が漏れるかは予測出来ない。見知らぬ人間との不用意な接触は避けなければ。
 待合所に着けば適当に話に割り込んで男を追い払おう。ユキトへの嫌味は、馬車の中でゆっくり浴びせればいい。

 視線に惜し気もなく苛立ちを滲ませれば、ユキトの隣を歩く男が首だけでこちらに振り向いた。
 人の良さそうな新緑の瞳と視線がかち合い、牽制のつもりで思い切り目を細めてやったのだが、男は怯む所か満面の笑みを浮かべながら立ち止まった。
瞳と良く似た色のコートと、降り注ぐ日光に溶け出しそうな金色の髪が、弱い風にもよく靡く。
 眩く目立つ配色なのに周囲の景色ともよく馴染む。何もかもに受け入れられているような、漠然とした余裕が身形その物から漂って来る。

 瞳に瞼を被せ、女のように小首を傾げ微笑む様は、沸々と湧き上がる不快感に更なる燃料を投下した。
 右頬が痙攣する。気安く笑いかけるなと毒づくが、口に出さなかっただけまだ我慢出来た方だ。

「改めまして、エノウ・アトラー言います。これも何かの縁やし、シャーディまでの道中、どうぞよろしゅう」

 ――嫌味は馬車の中でゆっくり、と思っていたが、訂正しよう。
 馬車に乗り込むまで待ってやる物か。
 エノウ・アトラーの挨拶を無視し、ユキトの尻に爪先を突き刺せば、みっともない悲鳴と耳障りな怒号が共鳴した。






 簡素な馬車に姿勢を安定させる座席などなく、ユキトは膝を抱えたまま項垂れた。
 黒獣出没の一報を受け、シャーディに向かう人間は確実に減少していた。普段この時間帯の馬車便に乗り込めば、間違いなく人の波で潰されていただろう。
 だが残る降車場がシャーディだけとなった今、広い荷台には三人の乗客しか見当たらない。その気になれば横になれる余裕を喜ぶべきか。閑散の原因が黒獣である以上、気楽には考えられない。
 隣に腰を下ろすサンザは、腕を組んだまま黙り込んでいる。
 偶に話しかけてみても生返事しかせず、食ってかかってみれば容赦ない鉄拳制裁が待っていた。ただでさえ乗り込む前尻を蹴り上げられ悶絶したと言うのに。
 イルクシュリの指示で街を立ってから一日半。道中はひたすら色霊の知識を口頭で説明され、定期的に理解しているか確認され、曖昧な回答などしよう物なら――

「あれ……私この二日で何回ぶたれたんだろ……」

 膝に顎を置きぼんやりと思案してみた。が、思い起こされるのはここ最近の陰鬱な暴力措置ばかり。
どんどん苛立ちが募って来て、ユキトは堪らず舌打ちした。
 膝の上で両手を交差させ、更にその上に顎を乗せる。必然的に視線は正面へと向かい、しっかり開かれたエノウの瞳に気付いた瞬間、短い悲鳴が口を突いた。
 目を閉じ壁に頭を凭れさせていたので、眠った物だと思い込んでいた。

「うわっ! ごめんなさい起こした!?」
「や、元々起きとったんやけど……ゴメン。俺の足邪魔?」

 申し訳なさそうに座る位置を横にずらすと、エノウは掌を顔の前で縦にし再度「ゴメンな?」と呟いた。
 どうやら、ユキトの舌打ちが伸ばされた自分の足に向けられた物だと勘違いしてしまったらしい。確かにエノウはユキトの正面に腰を下ろしていたが、足は全くぶつかっていなかったし、そもそも邪魔になる程完全に伸ばしていた訳でもない。
  ユキトは慌て手も首も左右に振りまくり、否定の意志を必死に表した。

「違う違う違う!! 思い出し舌打ちしただけ! 気にしないで、エノウの足が長いのは見て分かってたから!」
「論点がずれています。オマケにうるさい。腕が当たっていますよ」
「うぎゃあっサンザいきなり会話入って来ないでよ!!」

 驚きの余り立ち上がれば、同時に馬車全体が跳ね上がるように上下した。
 静かに進んでいたのに、何も今揺れなくても。文句を浮かべた所でもう遅い。突然のことに踏ん張りがきかず体は大きく傾いてしまった。
 ああ、またサンザに嫌味を言われる。とっさに瞳を固く閉じるが、冷たい板へ身を沈めることはなく。一人では到底保てない不安定な姿勢のまま、ユキトは静止した。

「大丈夫? 怪我してへん?」

 あの一瞬の間にどうやって立ち上がったのだろう。しっかりと両足を床につけ、エノウはユキトの体を抱き込むように支えていた。

「ああああっ、りがと……」
「どういたしまして。でもあかんよ急に立ち上がったら。可愛い顔に傷でも付いたら、世の中の男がみんな泣くでぇ?」

 背中に回した手を肩へとずらし、腰を下ろすよう促す。
 礼を言う人間に対しての返答と言い、さりげなく手を引く動作と言い、その言動の全てが自然だった。
 ……これは女に触り慣れているな。
 浮かべた推測は余りに下品で、自分の思考に嫌気が差す。決して変な意味の「触る」ではない。誰ともなしに言い訳してみる。

「それにしても道が荒れ過ぎていますね。普段ならもっと……」

 一連の騒ぎに視線すら寄越さなかったサンザが、不機嫌そうに呟く。転びかけた連れへの言葉より、悪路への不満が先に零れるか。
 わざと荒々しく腰を下ろしてみるが全く意に介していないようだ。

「そこはしゃあない。主要道に黒獣が出たって噂なんやから」
「……主要道に? 黒獣の発生は郊外の山奥だと聞きましたが」

 ユキトに続いて座り込んだエノウは、胡座をかいたまま荷台の壁に凭れ掛かる。

「もう情報が錯綜してるんよ。今やったら野犬が藪の中うろついとるだけで黒獣が出たって騒ぎになるんとちゃう?」
「全く……傍迷惑な……」
「そう言わんといたってぇや、誰でも黒獣は怖いモンやん。多少過剰反応するんは当然やと思うで?」

 一般人が黒獣に対抗する術などないに等しい。可能な対処法と言えば、死ぬ気で走り警備兵の元へ逃げ込むことくらいだ。
 黒獣の脅威に晒されることなく育ち、道中色霊師のサンザが同行しているユキトでさえ、脅える人々の気持ちはよく理解出来る。成す術なく強大な存在に補食されるなんて、想像するだけでもおぞましい。
 そこまで考えて、ふと、目の前で笑う青年が異質に感じられた。

「元々シャーディは急激に発展した街やろ? 道の舗装が追い付いてへんから、主要道が、塞がるとっ、どうしてもこう言う悪路にっ、なっ、痛っ!!」
「……またですか……」
「あ〜も〜着くまでにケツ分裂するんちゃうか!?」

 荷台と共に跳ね上がった尻を押さえ、冗談を口にしながら快活に笑う。その姿からは威圧感や鋭利さは毛程も感じられない。
 刀を持っているとは言え、彼は暴漢に二発も攻撃を加えられていた。黒獣の脅威を物ともしない強靭な人間には、とてもじゃないが見えなかった。
 視線に気付いたのか、エノウは目を瞬かせている。その様もやはり、言い方は悪いが、優男と表現するに相応しい。

「貴方は、どうして黒獣と鉢合わせしかねないシャーディに?」

 抱いていた疑問を、サンザが代わりに投げかけた。まさか彼が他人の事情に踏み込むとは思っておらず、驚きの余り視線が一気にエノウから移動する。

「――そら、仕事やから。商売みたいなモンやし、贔屓にして貰ってるん無碍にも出来んよ」
「成る程。てっきり、腕に覚えがある物かと」

 サンザの視線はユキトと交わらず、エノウが持つ刀へと向けられていた。
 数時間前暴漢に奪われかけた、この辺りではあまり見ない湾曲した形状の物だ。エノウはサンザの言わんとすることを察したのか、ああ、と納得したように頷く。そのまま刀の鞘へと指を添え、慈しむように優しく滑らせる。

「これはハッタリ。下げとるだけでちょっとは脅しになるやん?」
「見事に喧嘩売られてましたけどね」
「あっ、れは、酔っ払い相手はもうどうもならへんわ!」

 確かに、エノウのような旅人は酒場でもよく見かけた。扱いこなせる訳ではないが、戦いを覚えた人間に見せる為、目立つ武器を携え牽制する。
 エノウの持つ珍しい刀は如何にも玄人好みで、一癖あるのではと身構える人間も多いだろう。

「じゃ、使えないの?」
「そら振り回せば斬れるやろうけど、エラいことなるで。絶対」

 エノウはベルトから刀を鞘ごと引き抜き、顔の前で振って見せた。
 長身の男性が刀を手にしている。本来なら危険な状態であるはずなのに、相手がエノウだとあまり危機感が感じられない。しかも馬車が揺れた拍子に鞘へ鼻っ柱を打ち付けてしまった物だから、もう、棒切れにしか見えなくなって来る。

「あかんメッチャ痛い!! まだ鼻付いてる!?」
「あっ、アハハハハ! 真っ赤になってるじゃない! 男前が台無しっ!」

 悶絶し転げ回る姿は滑稽で、我慢し切れずつい大笑いしてしまった。サンザが蔑んだ目で見下ろして来るがもう気にしていられない。
 ここ最近サンザと二人で行動していたせいか、こうやって馬鹿みたいな会話を交わせる時間がとても心地よかった。慣れ親しんだ、雑多で猥雑な酒場の空気を思い出す。
 涙の滲む瞳がユキトを捉え、涼やかな目元に少年のような無邪気さが宿る。性懲りもなく笑い続ければ、同じくらい大きな笑い声が返って来た。
 出会いはエノウにとって災難の場だったが。
 今は彼と同じ馬車便に乗り合わせられたことを、心から幸運に思う。



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