彼等の色‐5


 ついこの間も、王連院と強く癒着する貴族が晩餐会を開催し、招待客を装い潜入した。場所が場所だけに安物は着用出来ず、自分にとっては目も眩むような値段の一張羅を纏い参加した。
 それなのに、酔った男が躓いた拍子に酒を浴びせられ。しかもそれが赤珠酒だった物だからどうしようもない。あれの染みはとにかく頑固だ、抜ける前に生地が傷んでしまう。

「これも駄目になるのかナ……」

 脱ぎ捨てた上着を木の枝へとぶら下げる。
 山道で遭遇した以上、一張羅を仕立て直す運命からは逃れられないが。上着だけでも売れば購入資金の足しにはなるだろう。
 せめて少しでも綺麗に、と上着の裾を引っ張り皺を伸ばす。虚しく女々しい抵抗に溜め息が零れるが、いつまでも服の心配はしていられない。
 今からは自分の命の心配だけしなければ。
 イルクシュリは素早い動作でホルスターから銃を引き抜き、背後の木々へと銃口を向けた。
 降り注ぐ日光は、鬱蒼と生い茂った大木の枝によって殆ど遮られている。未開拓な森の奥深くと言うのは、何処も陰鬱とした物だ。
 銃口を向け静止した直後、薄暗闇の中から一層濃い影が躍り出る。イルクシュリは引いた右足に体重をかけ、体全体を後方へと傾けた。
 視界が木々の幹から空中に迫り出した枝で埋まり、緑の中を漆黒が舞う。イルクシュリに飛び掛からんとした黒い影は、正面から消えた標的を飛び越し、無防備な腹を銃口へと向ける。
 不安定な姿勢のまま、それでもイルクシュリは冷静に発砲した。銃弾は確信に相手の腹を貫き、火薬の匂いが鼻腔を掠める。
 仕留めたか。手応えを感じつつも、緊張感は緩めない。
 空いた左手を地面に突くと、そのまま体を一回転させ後方へと飛び退いた。爪先が雑草を踏み締めたと同時、手早く銃を構え直す。

「……やっぱり駄目ネ〜」

 銃口が睨み付けた先には一匹の獣がいた。
 腹を撃ち抜かれたと言うのに、四肢はしっかりと体を支え、くぐもった咆哮が痛い程に鼓膜を揺らす。
 今使ったのは、通常の銃に通常の銃弾。
 これで腹を抉っても死なない、それ所か激しい敵意を剥き出しにして来る。目の前の情報が導き出す答えは、最早一つしか残されていなかった。

「黒獣で間違いないみたいだネ。一般人に被害が出る前で良かったヨー」

 まさか黒獣が返事をするなどとは思っておらず。いつもの力無く腑抜けた笑顔を浮かべると、ゆっくり瞼を下ろした。

「お仲間がいるなら全部出て来て頂戴!!」

 一度の瞬きの合間に、銃は鮮やかな橙の色彩を纏った。
 イルクシュリが有する世界に一つだけの「ル・リニー」だ。

 色霊を武器とする場合、その使用方法は大きく二つに分かれる。
 一つは現存する武器を絢水によって強化する方法。そしてもう一つは、一から武器を絢水だけで作り出す方法だ。
 前者は未熟な色霊師でも比較的成功しやすいが、その分攻撃力は一から作り上げたそれに劣る。だが、今回相対するのは雑魚と言っていい黒獣だ。加えて周囲の安全に気を配る必要もない、深い森での戦闘。
 使い慣れた愛銃に色霊の力が加われば、殲滅は造作でもない。

 銃口は黒獣から逸らされ、イルクシュリは背後の藪へと大量の銃弾を放った。
 その弾丸すら色霊から作り上げられた橙の球体だ。これさえあれば弾を装填せずとも続けて発砲出来るし、大量の油と炎を用いずとも、再生能力のある黒獣を殺せる。
 銃声が重苦しい空気を切り裂き、驚き飛び立った鳥の羽ばたきすら打ち消して行く。そして更に、幾つもの唸り声が喧騒を深める。


「グアアアァァッッ!!!」

 狼の姿をした黒獣が、一匹、また一匹と増えイルクシュリを取り囲んだ。
 そのどれもが口角から黒い液体を吐き出し、唯一黒以外の色を持つ牙には、黒と見紛わんばかりの深い赤が纏わり付いていた。
 全部で何匹いるのか、理解すら出来ない内に黒獣が地面を蹴る。
 イルクシュリは身を反転させ黒獣の突進を避けると、黒に埋もれた首筋へと蹴りを叩き込んだ。悲鳴を上げ地面に這い蹲った黒獣の、目があるであろう部分を靴底で踏み付ける。
 不快な水音と共にズボンの裾が重みを増す。黒獣の体からは黒い液体がとめどなく溢れ出し、本能的な不快感をこれでもかと引きずり出した。
 這い上がる悪寒を振り切り、弾丸を漆黒の体へと撃ち込む。そのまま跳躍し手頃な枝を掴むと、宙ぶらりんになった足に食らい付こうとする黒獣の鼻っ柱を蹴り飛ばした。

「一、二ぃ、三っ……!」

 全てで六頭いることを確認すると、群がる黒獣の頭上を舞った。着地する前に放った弾丸は、二匹目の首を容易く貫く。
 軽い足取りで黒獣達の牙を避け、距離を詰められた場合は袖口に仕込んでいたナイフで応戦する。 五頭は入れ替わり立ち代わり襲いかかるが、所詮統率の取れていない獣の集団、深追いせず距離を保てばどの攻撃を回避出来た。

 隠し持った武器を駆使し、次々と標的を駆除して行く。
 ――そう、これは「駆除」だ。戦い、と呼ぶには、余りにも稚拙で一方的。足元に転がる死骸を踏み付け、イルクシュリは銃口を残る一匹へと向けた。
 何の為にこんな姿になった。
 何の為にこんな力が生まれた。
 一般人として生きていたならきっと一生目にしなかった、目に痛い橙の銃が、鋭い日光によって光沢を帯びる。撃ち殺される彼等も、自分も、全て「ロウ」が意図した物なのだろうか。
 ならば、奴は今尚何処かでこの光景を傍観していると言うのか。
 おぞましい憎しみが最後の弾丸へと籠もる。こんな鮮やかな色なのに、作り上げる精神はあまりにも屈折していて。
 どうか、新しい力に目覚めたあの子は、真っ直ぐな色を携えられますように。
 切実な願いは、一際激しい銃声と共に森の奥へと消えた。







「ええー! シャーディ直行の馬車便そない減ってるんですか!?」
「そうらしいんだよ。だから次の逃したら一泊することになるぜぇ?」
「あっぶなー、俺悠長に昼過ぎの便でもえぇかなって思てましたわ」
「そりゃ運が良かったな兄ちゃん。早い目に待合所行っときな」

 屋台で購入したサンドイッチを咀嚼しながら、青年は自らの幸運に胸を撫で下ろした。
 シャーディで黒獣が出た“かもしれない”と言う噂は耳にしていたが。まさかここまで早く馬車便が削減されるとは思っていなかった。

「で、アンタはシャーディに何しに行くんだ? 仕事か?」
「んーまぁそんなトコですねぇ。こないだまではヘレブエスにおったんですよ。時期悪かったかなぁ……」

 手際良くパンにナイフを通す屋台の主人は、仕事なんざそんなモンだと快活に笑う。その姿は、ヘレブエスで餞別を寄越してくれたパン屋の主人によく似ていた。
 パンはもうとっくに平らげてしまったし、少女から貰った薔薇も枯れてしまった。
 それでも簡単に捨てるのは忍びないと、花弁を二枚栞代わりとして手持ちの本に挟み込んでいる。背後を通り過ぎる女性から漂った花の香に、数日前の記憶を思い起こすと、心中に穏やかな感情が満ち溢れて来る。

「ごちそうさん、オッチャン。また機会あったら寄るで」
「おお気ぃ付けてな、――、おっ、おいっ!!」

 店主の満面の笑顔が一気に歪む。
 何事かと尋ねる前に、青年の腹を衝撃が襲った。

「――っいっ……!」

 鈍痛に葉を食い縛り、条件反射で視線を降下させれば、見知らぬ男がとんでもない力でコートを掴んでいた。
 その瞳は焦点を定めず、グルグルとそこら中に向けられてはまたすぐ逸らされる。

「ちょっ、何やねん!」
「寄越せ!!」
「えっハァ!?」

 男は青年が腰に携えた刀へと手を伸ばす。そこでやっと、噎せ返りそうな酒の香りに気付き、青年は更に表情を崩した。
 酔っ払いが刀に何の用だ? 疑問は誰に向けることも叶わず青年の脳内で反響する。
 とにかく刀を奪われる訳にはいかないと足を踵で踏みつけてみる、が、まるで怯む様子はない。通行人も何事かと立ち止まるが、男のあまりの剣幕に思わず後退る。
 そんな中でも屋台の主人は身を乗り出し切迫した声を上げた。

「おい兄ちゃん離れろっ、そいつ――!」
「離れたてもこのオッサンがしっつこいねん!!」

 男の乱れた髪を掴み引き剥がそうとするが、一向に刀の柄から手を離そうとしない。

「クソッ、あの野郎共馬鹿にしやがって、今すぐ……!!」
「アンタ酔うとるやろ? ちょっと頭冷やして来ぃや、な?」

 低姿勢で話しかけてみる物の、やはり手だけは離さない。
 ああ、クソ、苛立ちが言葉として零れた瞬間、青年の腹に先程の物とは比べ物にならない痛みが走った。
 息が詰まり、胃の中の物が飛び出そうになる。
 必死に吐き気を堪えながら俯けば、酒に惑い加減と言う物を失念した男の爪先が、無防備な鳩尾にめり込んでいた。
 続いて、呆然とする青年の左頬が思い切り張られた。

 一線を越えた暴力に、傍観していた人々も息を飲み、一部の男衆が間に入ろうと足を踏み出した。これはさすがに警備兵を呼ぶべきだ、誰かの悲鳴が聞こえる。
 ――だが、警備兵よりもずっと早く。
 軽やかな足取りで、背の高い影が騒ぎの中心へと躍り出て来た。

「邪魔です」

 何の感情も籠もらない声は、的確かつ無慈悲に繰り出された蹴りと共鳴するような冷たさだった。
 刀を奪わんとしていた男は軽々と身を宙に浮かせ、大通りを挟んだ向かいの食堂まで吹っ飛んで行った。その拍子に青年の腰から刀が引き抜かれ、男を追うように石畳の上を滑る。
 視界で灰色の髪が揺れる。青年の新緑の瞳は忙しなく動き回り、目の前の人影を凝視した。

「誰も彼も、こんな押し問答に見入ってなんです。馬車便の時間を教えて頂きたいのですが、何方か御存知ありませんか?」

 平均的な身長であるはずの青年より、高い位置から視線が降り注ぐ。
 漏れた驚嘆の声が喉に詰まった。目の前で、冷たい声の主は長い右足をゆっくり下ろしている。
 蹴った。この、褐色の肌を持つ男が、一発の蹴りで人間を吹き飛ばした。男は開いた口の塞がらない青年を見下ろし、美しい青緑の目を細めた。

「……聞こえていないのですか?」
「ちょっとサンザぁ!!」

 唖然とする群衆の間から、この場に似つかわしくない可愛らしい声が響く。
 スイマセン、通して下さい、通ります、スイマセン、口早に謝罪と断りの言葉を紡ぎながら、少女が長身の男二人の前に飛び出した。
 ふわふわとした黒髪と同色の双眸は大きく、好奇心一杯の子供のように、目の前の男達を真っ直ぐ見詰める。
 小柄で、別段珍しい外見でもないが、それでも可愛らしい子だなと思った。

「何なんですか、待っていろと言ったはずですが?」
「人の返事待たないでズカズカ進まないでよ! あっ、あの大丈夫ですか? これ良かったら使って!」

 そう言われてやっと、殴られた拍子に口内が裂け、口角から血が流れ出ているのだと気付いた。とっさに指で拭おうとすれば少女は胸元にハンカチを押し付けて来る。
 青年は礼を言うことすら忘れ、勧められるままに差し出されたハンカチを掴んだ。柔らかい布の感情を手袋越しに感じれば、少女の眩しい笑顔が視界を埋める。

 ……君等、誰?

 青年が問う前に少女は弾むような声を上げた。

「私達シャーディに行きたいんです。馬車便今日まだ出てますよね?」




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