彼等の色‐4


「いい加減にしなさイ。悲観を押し付けるなって言ったの、忘れちゃっタ?」

 樽にたっぷり満ちた冷水を、全身に浴びせられたようだった。
 簡素な宿の、例に漏れず古びた廊下。力を込めれば容易く蹴破れそうな壁に凭れ、イルクシュリは正面に備え付けられた窓を眺めていた。
 視線を一切合わせず、それでも彼の唇は滑らかに動く。いつもの彼からは想像も出来ない程冷え切った表情は、やはり冷水に例えて正解だったと思う。

「……サンザ、中途半端に慈悲を与えるのは止めて頂戴ヨ」

 大地の赤茶に太陽の眩しさを足したような、暖かみに溢れた柔らかな色合いは、イルクシュリの笑顔によく馴染む。
 踏み締められようが抉られようが揺らがぬ根底。どれだけ凄惨な目に遭おうとも、彼は当然のように同じ場所で立ち続ける。
 だが、一度その均衡を崩してしまえば。
 自分は今、痛烈な日照りを背に受けながら大地の裂け目の淵に身を置いているのだと、気付いた時にはもう遅い。イルクシュリの瞳は、瞬く間に冷えた紅茶のように熱を失っていた。

「俺に文句言って解決する訳ないでショー? 自分が正しいと思うなら正々堂々元帥閣下に抗議して下さイ」

 瞳の冷徹さはそのままに口角だけが吊り上がる。イルクシュリは壁から大きな動作で背を離し、今となっては薄ら寒く感じる笑顔を向けて来る。

「難しいコトは言ってないでショ? 次の黒獣討伐、ユキトちゃんと一緒に行って下さイ。それだけのコトだヨ」

 言葉が音符を含んだかのように彼は喋る。
 それがどんな意味を持つのか、サンザとて理解している。だからこそ、イルクシュリがユキトに提案したと同時、彼の首根っこを掴みここまで引きずって来たのだ。

「アレをいきなり戦わせるつもりですか? それが元帥閣下の御意志だとでも?」
「早とちり良くなーイ。同行させて、黒獣と戦うってどう言うコトなのか理解して貰いたいだけなノ。分かル?」

 いつも語尾を疑問系にしておきながら、反論させる気なんてないのだ、――この男には。奥歯を噛み締め、有らん限りの侮蔑を視線に乗せてみるがそれも虚しく。
 アッシアを見くびっていたのではない。
 イルクシュリに期待していたのではない。
 だが、心の何処かで、彼女はこのまま保護されるのではないかと、根拠もなく確信していた。
 幾ら驚異的な力の発現が期待されているとは言え、少女の域を出ない一般市民だ。徐々に徐々に、理解させ近付けて行くのだと、そうであって欲しいと願っていた。
 ――いや、本当は、気付いていたのだ。
 浅はかにも、脳内でイルクシュリ達を甘い人間に仕立て上げ、きっと時間を置くだろうと誤魔化していた。「自分」が「色無」に同行させられた時点で、大抵の目論見は予想出来ていたと言うのに。

「……守ってあげなさイ。二の舞が恐ろしいなら、あの子だけを守りなさイ」







 三日振りの外出。三日振りの喧騒。
 ユキトは軽やかな足取りで、舞うように石畳の上を進んで行く。

「みっともない、普通に歩きなさい」

 今はちょうど昼食時。朝の倍程の人々が行き交う大通りで、肺の深くまで目一杯息を吸い込む。
 嬉々とした表情のまま振り向いたのだが、後ろを歩いていたはずのサンザが消えていた。身を捻らせてみれば、平然と進むサンザの後ろ姿が視界に飛び込んで来る。

「ちょっ、ちょっと待ってって! 三日振りの外出を喜ぶ乙女の気持ちが理解出来ないの!?」
「家畜小屋からの脱走にはしゃぐ子豚の気持ちは味わったことがない物で」
「ぬあああああ!!! よくもまあそんな堂々と人を豚扱い出来るわねっ!」

 地団駄を踏めば、靴底を衝撃が突き抜け足裏までじんじんと痛む。
 急いでサンザの元まで駆け寄り顔を覗き込んだ。相変わらずの無表情で、視線は正面でなく下に向けられている。

「……これから向かうのは討伐です。はしゃぐ余裕が何処にありますか」

 吐き捨てるような言葉は、舌打ちの次に零された。ユキトは瞠目し息を詰まらせると、先程までの喜びようが嘘のように肩を落とした。
 それくらい分かっている。だからこそ、今くらい明るく振る舞っていたいのに。
 この男はそんな空元気すら許してくれないのだろうか。

 ここから東に二日程進んだ街、シャーディで、黒獣と思わしき異形の目撃事例が相次いでいるのだと言う。
 イルクシュリはサンザに状況の確認をするよう伝え、ユキトもそれに同行するようにと笑顔で告げた。
 理解出来なかった。王連院の危険性がひとまず否定出来たなら、もっと腰を据えてこれからの話をすると思っていたのに。これから何をするか、何処へ向かうのか、そう言った――想像出来る未来の話だ。
 色霊も色無も特殊で稀有な力。それは理解した。 でもそこまでだ。非日常の幕開けから四日も経ったと言うのに、薄っぺらい単語のしか手に出来ていない。
 ユキトの表情は段々と暗くなり、サンザと同じように下を向いてしまった。陽気な打楽器の音色に聞こえていた、石畳を踏みしめる足音が、途端意地の悪い重低音に思えて来る。

「ねぇ、聞いていい?」
「……」
「否定しないなら聞くわよ。……私さ、黒獣討伐についてって一体何すればいい訳?」

 イルクシュリは、戦わなくても構わないと言った。ただ、改めて黒獣と対峙し、そのままの感情を持ってくれればいいのだと。
 いくら言葉の裏に隠された意味を探ろうとしても辿り着かない。黒獣と対峙したって、ただ怖くて苦しいだけに決まっている。それとも、戦わなくてもいい・と言うのは建て前で、いざとなったら黒獣の前に放り出されるのだろうか。
 悲観的な思考が、頭の中をこれでもかとかき回して行く。

「この先、元帥閣下がどのような判断を下されるかは推測しかねます。ですが、貴方は“必ず”色無を扱いこなせるようにならなければいけない」
「……必ず?」
「ええ、必ず。でなければいつか後悔する。これも、“必ず”です」

 ふと隣の熱が消えて、立ち止まれば冷ややかな瞳に見据えられた。普段力の抜けている瞼はしっかり開かれ、確信めいた光が眼球の上に広がっている。

「このままだと、また無意識の内に力を使っちゃったりするってコト?」
「そんな物で済めば良いですが……」

 わざとらしく項垂れるサンザに、背後を歩く通行人の視線が突き刺さる。
 明らかに不満のこもった態度だがそれも仕方ないだろう。大通りの真ん中で二人共立ち止まっていれば、邪魔で仕方ないはずだ。ユキトはサンザの腕を引き、人の流れから逸れた路地の入り口まで導いた。

「……カトンの森で私はあなたの武器を消した。それは、色無の力が暴走したせいなのよね」

 自分のそれより一回りも二回りも太い腕を掴んだまま、続ける。
 イルクシュリの説明でこれくらいは察していた。どんな嫌味を返されるかと思ったが、サンザは無表情のまま何も反論して来なかった。

「……私が、やったのよね」

 この世に生きる全ての物には、色の力が宿っている。
 一人一色の「色型」と呼ばれる定められた色を有し、力ある者はそれを自在に操り使役する。
 「色型」は自分の意志で決められる物ではない。
 イルクシュリは橙、サンザは赤。どちらも気が付けば彼等の色になっていたと言う。
 しかし色無は、その名の通りどの色も持たない。
例えるなら透明、それ故、どの色にも容易く浸食し、力の乗っ取りを可能としてしまう。
 あの時自分は戦いの消滅を祈ってしまった。そしてその朧気な願いは、色無の力によって実現された。色霊が作り出した鎌に「消えて欲しい」と願えば、それだけで強制的に無力化してしまうのだ。
 色無とは、そんな滅茶苦茶を形とする力。

「あの森は、貴女にとって思い入れのある土地です。黒獣に蹂躙される様を見て感情が高ぶったのでしょう。その辺りも学んで頂かなければ、無差別に力を発動されては話になりません」
「……だからついて行けって?」
「色霊と言うのは誰かに教わるだけではないのですよ。それも、時間が経てば分かります」

 ユキトは肌に馴染む黄色のつなぎを見下ろした。いつも酒場で着ていた気に入りの一枚を、イルクシュリがわざわざ届けてくれたのだ。
 胸元にそっと手を添えれば、もう綺麗に洗い流されたはずの赤が脳裏を過ぎる。
 戦いに消えて欲しかっただけだ。突き付けられた絶望的な状況から逃避したかった、ただそれだけ。傷付けるつもりなんて微塵もなかった。でも、だからと言って、サンザを危険に晒した事実は変わらない。
 下唇を噛み締めれば、憤りが増幅した。自分の中の得体の知れない力が、知らず知らずの内に他人を窮地に追いやっていただなんて。

「ごめん、やっぱりまだ頭回ってないわ……」
「元から回す程の頭がないだけでは?」
「だっ、から……!! ……もういい……」

 反論する気なんて、容易く削がれてしまう。
 やらなければならないことは至極単純なのに。いつもの自分らしく、「さぁやってやるか」と意気込めない。
 ああ、気色の悪い。
 サンザだって、いきなり訳の分からない女の護衛を命じられて、戸惑っているだろうに。気遣うことが出来ない。
 気が付けば、何度繰り返したか分からない思考の入り口に突っ立って、難しい顔をしてしまっている。額に手を当て俯けば、右手からサンザの腕が引き抜かれる。

「どうすれば貴女はいつもの状態に戻りますか?」

 辛辣でも、呆れた様子でもない純粋な質問に、ユキトは閉口してしまった。

「……はい?」
「今の状況は、そうですね、出荷直前の子豚が餌も食べずになかなか太らない、……そんな所でしょうか」

 また豚に例えられた。それだけは理解出来た。言葉を発する前に、条件反射で抗議の拳を突き出してしまった。
 サンザはそれを軽く受け止め、拳と共に一歩前へと踏み出された右足の臑を、容赦なくブーツの爪先で蹴りつけた。

「的確に一番痛い所ぉぉぉ!!!」
「うるさいですよ、何事かと思われるでしょうが」

 片足を上げ痛みに跳ね回れば、民家の外壁に後頭部を打ち付けた。
 もう何がしたいんだこの男は。こっちは、普段からは考えられないくらい真面目な心境だったと言うのに。
 涙の熱を目尻に感じながら、平然と腕組みするサンザを睨み付けた。

「色霊は使い手の心を如実に反映します。例え平生の貴女がどれだけ無知で浅はかで何食ったらこんだけ図々しくなれんだと頭が痛くなるような人間だったとしても、その頭が弱い状態で色霊を使いこなせなければ意味がないのですよ」
「え、ちょ、今物凄い量の悪口、」
「要は、小難しいことを考え込まず、普段通りに行動しろと言うことです」

 ふと、久し振りに呼吸した。
 肺一杯に空気が満ちて、体の隅々まで明瞭な感覚が行き渡る。実際に息を止めていた訳でなくともそう感じた。
 サンザの顔には相変わらず無愛想さだけが貼り付いている。だからこそ、今の言葉が気遣いから発せられた物だとは思えない。失礼極まりない単語の合間合間で、確かに彼は言ったのだ。
 返答出来ずにいるのを無言の抗議と勘違いしたのか、サンザはいつぞやの暴言について弁明し始める。

「ああ、逃げるかどうか、と質問したことですか? 貴女の性格上、あれくらい言ってもすぐ忘れると思ったんですが、予想以上に気にしたようですね」

 色霊は救世主。向けられる期待から、逃げるか否か。考えろと言ったのはサンザなのに、本人は気にしていないようだ。
 あの発言から何もかもが重苦しく受け止められてしまったと言うのに。

「……訂正します。今は、眼前の出来事だけに集中すればいい」

 同時に物事を考えられる程器用でないでしょう?
 付け足された嫌味も、あっさりと流れて行く。優しく微笑まれた訳でも、露骨に慰められた訳でもないのに。
 この男の言葉に何度踊らされたか知れない。
 理不尽だと怒りもした。反撃は容易く封じられ心底腹が立った。それでも確かに、再び歩み始めたブーツの底は、軽やかな音を打ち鳴らしていた。



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