彼等の色‐3


 瞳を爛々と輝かせ二の句を待つユキトの姿に、何やら思う所があったのだろう。イルクシュリは弓なりの眉を上下させ、薄い唇の端を吊り上げて見せた。
 正面でベッドに腰掛けたままのサンザは、額に手を当てたまま頭(かぶり)を振る。また長い話が始まる――そんな嫌味が溜め息に混じって聞こえて来そうだ。

「えー、王連院の動きですが、不思議なコトに不審な点が見当たりませン」

 やっと始まった報告だが、すぐ様サンザの不機嫌な声が横槍を入れて来た。

「見当たらない? わざわざ使いをカトンに派遣しておきながら?」
「あー、うん、その辺りも説明するからちょっと待って頂戴ヨ」

 イルクシュリは倒れた椅子を持ち上げベッドの脇に下ろすと、強過ぎず弱過ぎない絶妙の力加減でユキトの肩を押し、木製の座面へと誘った。
 大人しく従い腰を下ろせば、広がる癖毛を掌が優しく撫でて行く。

「君達がカトンを出てから二日の間は使者の動きを追ったヨ、それはもう完璧だって自負してもいいくらいにネ。でも奴等は動かなかっタ。ただ黒獣が街の近くで発生し、一般人が巻き込まれかねない状況にあった不手際の説明を閣下にたっぷりさせて、嫌味ったらしく机上の空論吐き捨てて、その後特に動くコトなくさっさと帰って行きましタ」
「成る程、王連院はさぞかし暇人で溢れ返っているのでしょうね」
「俺もそう言ってやりたかっター! でも万が一裏で動かれてたらマズいし、こうやって変装して窓から宿に入った訳なんだけド……追っ手の気配もないしネ。拍子抜けヨ」

 両手を左右に広げ、肩を竦ませる様はおどけているようだが、眼鏡のレンズ越しに確認出来る双眸は全く笑っていなかった。
 思ったことはその場で形にし、隠し事をせんと画策する時は見事なまでに表情が崩れる。そんな単純――素直な人間の中で育ったユキトにとって、この笑顔は異質だった。サンザのように、微笑まずとも苛立ちが見て取れる人間の方が幾分かマシだ。
 イルクシュリが瞳を細めれば、まるで見えない銃弾が胸を射抜くかのように、つきりと鈍い痛みが走る。
 とっさにシャツの胸元を握り締めるが、ユキト自身その自己防衛に気付いていない。

「街自体は、まあ、落ち着いて来たかナ……黒獣の出現も自然発生じゃなく人為的な要因だったしネ。ユキトちゃんのコトは打ち合わせ通り説明しといたヨー」

 打ち合わせ。
 ああ、これは覚えている。
 サンザから様々な色霊の説明を受け、小難しいそれらは粗方脳内に留まらず零れて行ったのだが。
 昨日まで元気に働いていた少女が、黒獣の出現と共に突如姿を消すのだ。顔の広いユキトの不在は瞬く間に広がるだろうし、下手すれば王連院の使者の耳にだって入るかもしれない。
 だから、最初ユキトを隊舎へ搬入する際作り上げた口実――不法取引を行っていた商人の一人がまんまと逃げ切り、その際顔を目撃したユキトに、今後危害を及ぼす可能性がある――を、利用させて貰ったと。
 軍が保護し人知れず街を去ったと説明され、あの血気盛んな年の離れた友人達が納得したのだろうか。一気に不安が押し寄せイルクシュリを見上げれば、頬に触れながら「大丈夫ヨ、分かって貰えたかラ」と囁いた。

 途端、確信する。ああ、あの人達は、商人を取り逃がした軍の不手際に、鉄拳を持って抗議したのだと。
 本当は罪人も全て捕縛され、イルクシュリが責められる謂われなどないと言うのに。
 胸の中で疼く罪悪感に、ユキトは肩を落とした。

「――落ち込みながら話を理解出来る程、貴女の頭脳は優秀ですか? せめて顔を上げなさい」

 迷いない凛とした声色で、サンザは励ましなのか嘲りなのか判別し難い言葉を紡ぐ。
 弾かれるように顔を上げれば、温度の宿らない冷ややかな瞳と視線がかち合った。

「そーゆーコト言わないノ。……で、ね、ユキトちゃん。とりあえず王連院の動きはコッチで監視するから、君達は次に動いてくれル?」

 次?
 最早首すら傾げず、気の抜けた声だけで問い掛ければ、橙の眼(まなこ)が優しく歪んだ。






 朝と昼の丁度中間辺り、この時間帯に降り注ぐ陽光は、えも言われぬ清涼感を孕んでいた。
 一般兵の寝室が五つは入る広々とした空間に響くのは、羽根ペンが羊皮紙の上を滑るざらついた音だけ。
 黙々と執務に励むアッシアは、時折高く通った鼻梁の真ん中辺りを押さえ、気難しそうに眉を顰めた。

 真紅の瞳を瞼が覆ってしまえば、アッシアからは色彩が消え失せる。
 揺れれば銀細工のようにカランカランと音を立てそうな銀髪も、蝶よ花よと育てられた貴族の令嬢より透き通った肌も、全てが色鮮やかに輝くことを拒否している。
 滅私奉公――自らの欲を排し、民の為、国の為死力を尽くすアッシアの精神が、生まれもって有している配色から伝わって来た。自らを飾る華やかさなど必要ない――そう訴えられている気がする。

「少し休憩しましょう、閣下」

 重厚な板に腐食止めの脂を塗りたくった机は、素手で触れると曇りを帯びる。それを重々承知しているのか、アッシアの傍らに控える女性は皮手袋に手を通してから、仄かに湯気の上がる紅茶を運んだ。
アッシアの瞳が流れる黒髪に向けられる。
 女性は視線に気付き微笑むと、カップから手を離し机の正面へと移動した。

「閣下の心身が健やかに保たれるよう、管理するのも我々護衛兵の務めに御座います」
「畏まった言い方するな、気色悪い……まあ、紅茶は貰う。ありがとう」

 厳格な顔立ちに似合わない素直な感謝を口にすると、アッシアは紅茶を口に含む。
 女性は満足そうに微笑み――元より、常に笑みを浮かべている為、変化はあまり見受けられないが――肩にかかる艶やかな黒髪を払い背へ流した。藍色の瞳は、溶け出してしまいそうな程甘ったるい光を湛えている。

「……一滴残さず飲み干すのを見届けるのも、護衛兵の仕事か? イサルネ」

 カップを皿に戻し、アッシアは深く椅子に腰掛けた。
 名を呼ばれた女性――元帥付き護衛兵、イサルネ・ジルは、「どうでしょうね」と曖昧に呟く。
 女性特有の曲線がこれでもかと強調された肢体は、軍服に包まれても尚色香を収めない。人によっては「憂いを帯びた」と表現する双眸は、呆れたように頭を掻く主へと向けられた。

「見惚れてました」
「分かった。もういいから、お前も休んで来い」

世の男性なら大抵顔を赤らめそうな甘言にも、元帥閣下は微動だにしない。それが少しつまらないのかイサルネは唇を尖らせた。
 見えない小石をつま先で蹴り飛ばし、後ろに回した手を揺らしたりと、子どもにも見抜かれそうな嘘臭い演技を披露する。
 やはりこの男をからかうのは不可能か。身を反転させてみれば、面積の割りに物の少ない部屋が良く見渡せる。
 これはこのヘレブエス城全体に通じる特徴だ。
 貴重な白石を組み合わせ造られた床や壁。至る所に彫り込まれた優美な波模様。本来は高価な調度品を引き立てる役割であるそれらも、様々な贅沢品の消えた城内では、何処か滑稽に見えてしまう。
 アッシアが実質政権を掌握してから、様々な美術品が他国に売り払われた。
 歴史的価値のある品や、客人に見える範囲へ飾る物はさすがに残されたが、貴族や王連院から発せられる抗議は凄まじい物だった。いきり立つ彼等を涼しい顔で説き伏せ、黒獣討伐に充てる財源を次々確保して行ったアッシアの手腕は、今思い起こしても感嘆の吐息を生じさせる。

「閣下……」

 振り返りながら敬称を呼べば、アッシアは無言のまま、視線によって言葉の続きを促した。

「イルクシュリさん、もう着きましたかね」
「ん? ああ……アイツのことだ、とっくに到着してるだろう」

 何度も肉刺の潰れた太い指が、机を弾く。イサルネは溜め息に乗せ「そうですか」と返答し、数年前まで巨大なシャンデリアが飾られていた天井を仰いだ。

 ――いろなし。色無。

 おとぎ話のような救世主が、ほんの四日前この世に降り立ったのだ。
 力を有する少女は十六年前から生存していたのだし、本来なら「力が目覚めた」と表現する方が正しいのかもしれない。だがイサルネにとって、「彼女」は砂漠に突如湧き出した泉と同じ存在だ。
 前触れもなく現れた、希望の光。

「でもまさか、あんな年端も行かない女の子に色無が宿るだなんて」

 奇跡が舞い降りるなら、アッシアに――いや、せめて軍属の人間に。そうであればもっと身軽に動くことが出来た。

「王連院絡みの人間に発現するよりマシだ」
「そりゃそうですけど……今まで普通に暮らして来た女の子です。耐えられる保障なんてないでしょう?」

 おとぎ話の中の力は、現実世界に飛び出して来た。その力を背負うのは他でもない生きた人間だ。
 戦い続ける義務。アッシアなら耐えられただろう。それ以外の人間でも、戦いに従事する者であれば幾らか安堵出来たはず。
 力不足だと言いたいのではない。単純に気がかりなのだ。
 眉を顰めるイサルネとは対照的に、アッシアの表情は貼り付いた仮面のように動かない。カップの持ち手に絡めていた指を解き、同じ指を額にあてがった。
 再び真紅の瞳が閉ざされる。イサルネは今日この部屋に入ってから初めて笑みを消し、生唾を飲み込んだ。

「耐えさせる。それ以外に、方法があるか?」

 滅私奉公。
 自身で彼をそう評しておきながら、突き付けられた確固たる決意に、返す言葉が見つからなかった。



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