第八話「譲渡多難‐11」


「殴らねぇよ、馬鹿! んなことしたら倍返し所の騒ぎじゃねぇし!」

 頭が前後に揺れる程、強く肩を叩く。衝撃に唸りながら、それでもフェルディオは声を張り上げた。

「茶化すなよ! 心配なんだって、みんな! 当然だろ! 何でお前が選ばれたのか分かんねぇけど、怪我されんのなんて嫌だって、それだけは分かってんだよ!」

 分別が付かない子供のように、まとまらない言葉を喚き散らす。それでもーー何が嫌なのか、悲しいのか、隠さず叫べるフェルディオの方がよっぽど大人に見えた。

「……ありがとうな。フェルディオ」

 頭を撫でて、微笑んでみた。フェルディオの泣き出しそうな顔を見て、どれだけ無様な仕上がりだったか悟る。
 笑え。ーー笑え。後少しだけ。
 もう一度振り向いて、ビセンテを見た。相変わらず棒立ちのままだ。自分の腕の中にいた時、彼女はどんな顔をしていたのだろう。

「ビセンテも」

 隣の背を押し、ビセンテに向かって突き飛ばす。みっともない悲鳴を上げながら、フェルディオはジャックファルから離れていった。
 夕焼けが肌に突き刺さる。
 青と黒の空を繋ぐ、焼けるような紫色は。ほんの一瞬だけだと言うのに、消えない鮮烈な記憶を、去る人の心に残して行く。






「はい、署長さんをお願いします。……そうですねぇ。でしたら、今貴方の周りにいらっしゃる中で一番偉い方に、花束を預かっているとお伝え下さい」

 保留にさえされなかったのは、悪戯だと思われたからか。受付の声が遠くなった後、一度怒鳴り声がイヤホンを震わし、すぐ様呑気な保留音が流れ始めた。

「おやおや……悪いことをしましたかねぇ。怒られないといいんですが」

 愛車の運転席で、先程購入したコーヒーに手を付けながら、気長に待つ。通り抜けて行く車のヘッドライトが美しい。さっきまで鮮やかに流れていた夕焼けは、もうそのほとんどが夕闇に飲み込まれていた。
 自然の放つ強烈な色合いから、人工的な光の帯へと移り変わって行く。誰も彼もが暗闇を打ち消さんとする、この一瞬が、一日の中でもとびきり好きな時間だった。
 イヤホンから保留音が消え、すぐ様上擦った声が弁明を始める。ヘッドレストに凭れしばらく耳を傾けた。こちらが何も返答しないでいると、面白いように、相手の声から威厳が抜けて行く。

「……さっき応対した方、怒らないであげて下さいね。私を取り次いだのは初めてだったんでしょう」

 眉間を指で挟み、微笑む。カメラなんて繋がっていないが、この声は表情を伝えられると自負していた。

「さて、連絡したのは他でもなく。一人運び込まれたようですね? ーーええ、ええ、優秀な部下がいる物で。私も助かります。それでですね、その方、昼間ウォーバークマートにいらっしゃったと伺っているのですが。……成る程、それは素晴らしい。迅速な確認作業、感謝致します」

 小金を掴ませれば何でもする、破落戸だ。ルーカスから金を巻き上げようとした奴等と大差ない。だがその息が絶える瞬間に、男は見逃せない差異を残して行った。

「酔っ払いの騒ぎを見ていたと……その映像、こちらに回して頂けます? 後、遺体は丁重に預かって下さい。写真でなく、映像の記録をお願いします。ーーええ、すぐに向かいます。では」

 通話相手をなくした端末が、掌で沈黙する。
 スーパーマーケットから離れ一時間もしない間に、男は倒れたと言う。目撃者が、彼は薬物を使用していたに違いないと断言する程、見るに耐えない形相で。
 情報を常識の範囲内で拝借し、その死に顔を確認した上で推測するが、あれはーー

「人工の特異細胞持ちだったら、大事ですねぇ」

 真っ白な病室、横たわる最愛の人が見せた凄絶な最期と、同じではなかったか。






 さあ、自分を狙って下さい。
 今のあいつはそう言っているようだと、いけ好かない第二分隊隊長が漏らした。
 部下に頭突きと跳び蹴りを食らって、あの上がりっ放しの口角も少しは下がっただろうか。ーーでも駄目だ。まだ足りない。自分が心底取り繕った表情を崩してやりたいのは、無様な兄弟喧嘩を繰り広げた部下でも、自隊の副隊長に馬乗りになられた分隊長仲間でもない。

「こんな遅くまで本部に缶詰か? ご苦労なこった」

 通路の角で姿を見つけると、口も足も全て無意識の内に動いていた。
 壁を蹴り付けた足に阻まれ、そもそも他者の存在に気付いていなかったのか、書類を抱えたままジャンはアルベルトの膝に突っ込んで来る。
 突然の出来事に、細い目が見開かれた。閉じたままの口が余計な文句を垂れ流す前に、携帯端末のモニターを翳し、ヨ二からのメッセージだと告げる。

「あの糸目落とすなら今だ、だとよ。ーー付き合えや、ジャン」


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