第八話「譲渡多難‐4」


 香りの違いで悩んでいると、端末が震えた。ビセンテに断りを入れて画面を確認する。緊急の呼び出しでないことを祈ったが、どうやら徒労に終わったようだ。

「もしもし、フアナちゃん? どうかした?」

 端末越しに、弾むような少女の声。その可愛らしい音程に気が抜ける。
 聞けば、マスコットキャラのストラップが配布されていて、貰って来て欲しい。と。そこまでして欲しがる顔面の熊には思えなかったが、人の好みは自由なので、了承した。途端フアナの声は一層弾み、幾度も礼を繰り返された後通話は終了する。

「あの青熊のストラップ貰って来てって……」

 冷えた青い銃口から、容赦なく呆れの籠もった弾丸が放たれる。注がれる視線が途方もなく痛い。今のビセンテの姿こそ、青い熊と呼ぶに相応しいのではないか。
 逃げるように店員の元まで駆け寄り、ストラップを受け取った。よりにもよって一度差し出された物を断っていたから、気まずさは天井知らずだったが、仕方ない。
 引きつった顔でストラップを掲げれば、ビセンテは当然のように他人の振りをした。
 ーーこうして何の変哲もない日常を過ごすのが、とても心地良い。当然の時間を当たり前に過ごしてより強く思う。これを気晴らしと呼んでいいのか分からないが、心に思う内容は、昨日よりずっと鮮明になった。

「いいんだよ、フアナちゃんが喜んでくれるなら、俺はそれで……」
「私にもフアナと同じようにしろ」
「え?」

 会話の流れが見えず固まってしまう。愚鈍な反応を叱咤されるかと思ったが、ビセンテは一度息を吐いただけで、落ち着いた声で会話を続けた。

「話し方だ。元々、お前と私に立場上の差はない。先輩だからと言うのなら、フアナにも敬語を使うべきだろう?」

 ーーこれは、つまり、基地内でも今のように話せと言うことか。
 浮かんだ疑問をそのままぶつければ、それ以外に何があると一蹴される。間違いではないのか。だとすれば、何故?

「それとも話し方を変える理由があるのか」
「……特に、理由はないんだけど……」
「なら尚更問題はないな。これからはその話し方でいろ」
「ちょっと待って、あ、いや、ーーどうしたの急に。敬語使って、何か不都合あった?」

 嘘を付いた。理由はある。単純に、相手の差だ。
 フアナは最初から親しい接し方だったし、有り体に言ってしまえば、威圧感がなかった。ーービセンテは、その真逆だ。出会いが出会いだったし、彼女の普段の言動を見るに、馴れ馴れしい態度は許されないと思っていた。
 だが、そう言えば。「馴れ合うつもりはない」と言われはしたが。業務中敬語を使えと指示された記憶は、ない。
 
「白々しいからだ、お前のそれは」

 真正面から見たビセンテの表情と、店内に充満する間抜けな音楽の差が、あまりに激しい。まるでビセンテだけがこの空間の外にいるような違和感は、唐突な怒号によってかき消された。

「えっ、何、」
「酔っ払いだろう。迷惑な……」

 人々の視線が集まる先で、体格の良い男が店員に絡んでいた。
 顔は赤らんでおり、呂律も回っていない。しかも喚く内容が「さっき買ってすでに飲み干した酒の味がおかしかった返金しろ」だったので、もう、間違いないだろう。

「警備員だな」
「あっ、うんお願い、俺が、」
「呼んで来てくれ。それまで私が止める」
「んおお!! それはダメ!」

 とっさにビセンテの肩を掴んだが、自分よりよっぽど逞しい筋肉の感触に心が折れる。頭(かぶり)を振ってから何とか前に出ると、ビセンテは不服そうに眉を寄せた。

「ビセンテちゃんだったら多分、や、いいやとにかく俺が宥めて来ます!」
「おい!」

 怒号はより一層激しさを増している。気が付けばビセンテの後ろに、何事かと集まって来た人々が壁を作っていた。それは前へ前へと迫って来て、二人の距離を更に広げ、フェルディオを人混みの先頭へ押し出した。
 良かった。これで早く動ける。
 視界の端で、相変わらず眉を寄せるビセンテが息を飲んだ。途端後頭部に衝撃が走り、酔っ払いのターゲットが自分に移行したのだと、内心胸を撫で下ろした。

「何だテメェっ、文句あんのか!?」
「や、止めましょう! とりあえず止めましょう! 話し合いましょー!!」

 ほんの一瞬だと思っていた。離れる、なんて大層な出来事じゃなく。ほんの少しの、諍いの仲裁で。
 今になっても考えてしまう。このほんの僅かを、彼女から離れず、過ごしていれば。見栄など張らず、隣にいれば。
 きっと何も止められなかっただろうけど。
 今になっても、考える。


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