第八話「譲渡多難‐3」


 今となっては、この沈黙を平生として受け入れる。
 むしろ「貴方に怪我がなければそれでいい」とでも言われよう物なら、ルーカスは一目散にこの部屋から逃げ出していただろう。

「人の良さそうな見た目も考え物ですね。いらない面倒事まで呼び寄せる」
「……私、まだ餌撒かないといけませんか?」

 小首を傾げ、自身を指差しながら問えば、リュディガーは無言のまま立ち上がった。
 男性にしては小柄なその体躯を、黒いコートが覆う。彼もこの後出掛けるのだろうか。公務内容を把握している訳でも、付き従う身分でもないので、詮索する必要はないのだけれど。

「そろそろ追う側に回って頂きましょう」
「わっ、本当ですか? ではではすぐにでも取り掛かりますね」
「……ご子息も、調査隊に加わるようですが。挨拶はしなくても?」
「あの子も立派な軍属の人間です。お役に立てることを光栄に思いますよ、それだけです」

 ーー冷酷ですか?
 再びの質問に答えはなかった。リュディガーは無言のまま、視線だけで卓上の書類を示す。促されるまま手に取れば、息子とそう変わらない年代の、幼い顔立ちが写真に収められていた。
 窓から風が流れ込む。眼前でリュディガーのコートに刻まれた電子羽が、揺れる。
 IAFLYSのエンブレム。鳥のそれとは対照的な、無骨で刺々しい鉄の羽根。国防軍統治区域を模した星の上で、空を守らんと羽ばたいている。

「エラントのパイロットが、言っていましたよ。鉄屑の使い心地はどうだ、ーー次は右腕だ、ツァイス。と」

 背中の後ろで組まれた、手袋の下の左手。
 表情なんて浮かべるはずのないそれを、じっと視界に焼き付けるだけで、郷愁とも悲哀とも付かない感情が燻り始めた。
 一歩、前に出る。荒く鳴らした足音に反応し、それでもゆったりとリュディガーが振り返った。緑の瞳を見据えてから、胸に手を当て、腰を折る。本来なら敬礼すべき場面だと分かっていても、ルーカスは改めようとしなかった。

「なら私達は、先に彼等の翼を奪ってご覧に入れましょう」

 人が作った、不自然な翼。風だけでは飛べず、羽根の一枚でも無くせばすぐ地上へ落下する。肌に突き刺さる鉄を負いながら、それでもリュディガーは歩みを止めようとしない。空にいた過去も。地上に生きる、今も。

「ルーカス・シュトラウス。貴方に新たな任務を命じます。ーー期待していますよ」

 自分達は空へ上がれない。
 ならば、撃ち抜いてみせよう。
 悠々と空を舞う彼等の、最大にして唯一の武器を。






 マスコットキャラの青い熊が、四徹でもしたのかと疑いたくなる濁った目で、そこらに点在している。
 品揃えも品質も平均以上だが、このセンスの悪さだけはどうにかならないか。手にしたボディーソープのパッケージにまで、「ウォーバークマート一押し印!」の文字と共に死んだ瞳の熊がプリントされていて、無言で見つめ合ってしまった。

「お前、そのトチ狂ったキャラのファンか? 専門コーナーなら奥にあるぞ」
「やっ、止めて! 違う! て言うかビセンテちゃん、の、買い出しってプロテインだけ!? シャンプーとかは!?」
「支給品の石鹸があるだろう」
「……そろそろ、同じ石鹸で体も髪も洗うの、止めた方がいいと思う……」

 フェルディオの買い物カゴには、香り付きのシャンプーやクリームが入っていると言うのに。ビセンテは違いのよく分からないプロテインを数種類買い込んでいるだけだ。これでは、どちらが年頃の女性か分からなくなる。

「清潔になればどちらでもいいだろう」
「それ十八歳の女の子の台詞じゃな、あ、これ、これは? 顔も体も洗える低刺激の石鹸!」
「髪は?」
「あ、洗え、ない……」
「ならいい」

 青い熊のバルーンに八つ当たりしながら、フェルディオはビセンテの隣に並んだ。一般市民の休日と被ってしまったせいか、店内には家族連れが多く、どこを歩いていても子供の声が耳に入る。
 ーー同じ日に、同じ場所へ出かけると聞いて、思わず「じゃあ一緒に行く?」と誘ってしまった。ビセンテが応じてくれたのは意外だったが、こうして見れば、可も不可もないから拒否されなかったのだろう。
 何も恥じらって欲しかった訳ではないが。どうして、とも、聞かれなかったのは少し寂しい。目的が果たせたと言うのに随分とワガママな物だ。

「他に買い出しはないのか」
「えーっと、ジャックへの土産に、シャンプー、ボディソープ、クリーム、靴下に端末カバー、……コンディショナーもついでだし買っとくかな……」
「どうせ使うなら買え」
「う、うっす。買います。ビセンテちゃん男前過ぎる」

 お前が女々しいだけだ。しかめられたビセンテの顔を、以前よりはずっと直視出来る。基地の外で禁止された敬語も、ほとんど出なくなった。未だに「ちゃん」と付けて呼ぶのは躊躇うが。


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