第七話「野良犬、宣戦布告‐5」


 聞いた。
 聞いた聞いた。
 聞き飽きた単語の繰り返しは、街中で耳を掠める物とは全く異なっていた。
 誰かと誰かが付き合っていただの、何処ぞの店が閉まるだの、そんな平和な内容ならどれだけ下らない噂話にでも付き合おう。

「エラントが通信施設襲撃したってな」
「その上領空接近中に、面と向かって宣戦布告だろ? 完全にスイッチ入ってんな」

 通り過ぎた人垣から、また不穏な単語が転がり出て来る。フェルディオは苦々しい表情を隠しもせず、彼なりの大股で壁際へ逃れた。
 鼻っ柱がじくじくと痛む。さっきの衝撃がまだ残っているようだ。

「フェルディオ、お水」

 心配そうにフアナが差し出して来たペットボトルを、それが何なのか認識出来ないまま受け取る。
 昨日、ガスパールが言っていたのはコレか。
 エラントがやらかしたのは、ヴィオビディナ国境付近に点在する通信施設への襲撃だ。正確な被害状況はまだ入って来ていないが、施設を占拠される最悪の事態は免れたらしい。それでも地上部隊が襲撃したと聞いて、施設内の悲惨な光景を勝手に想像してしまう。

「鼻血出た?」
「えー、あー、……平気、そう」

 対人の制圧訓練中、それはもう見事に一発で伸されてしまった。相手は非戦闘員だと言うのに情けない。未だグラウンドで大男を投げ飛ばし続けるジャックファルは、フェルディオの惨状など気にも留めていないのだろう。
 体格に恵まれていて、あれだけ優れた身体能力も有しているのに。何故実働部隊に入らなかったのかと聞けば、ジャックファルはいつも「んな度胸ねぇし」と笑った。
 臆せず大立ち回りを繰り広げる姿からは、その度胸が嫌と言う程伝わって来るのに。
 ペットボトルで鼻と顎を冷やしながら、隣のフアナに礼を言う。彼女は彼女で、十人抜きを達成し褒美の休憩中だ。賛美されれば自慢気に胸を張る、無邪気な姿は十六歳の少女によく馴染む。

「フェルディオも、ジャックに当たるまで三人抜きだったし、次は大丈夫だよ! とりあえず五人抜きしたら地獄の走り込みは免除されるんだし!」
「よっ、よーし頑張ろっかなー! 俺次誰と当たるの!?」
「アルベルト」
「地獄一直線!!」

 やけになりペットボトルの水を頭から被ってみる。通りかかった通信部隊の隊員が目を剥いていたが、フアナは声を上げて笑っていたので、まあ良しとしよう。

「大丈夫だよ」
「う、うん……アルベルトさんならいっそ一思いに仕留めてくれるだろうし、」
「それだけじゃなくって。もっと沢山。不安がらなくて、大丈夫だよ」

 零れ落ちそうな程大きな緑の瞳が、フェルディオを覗き込む。何もかも見抜かれたような気恥ずかしさを、ペットボトルの底に残った水を飲み誤魔化す。

「……フアナちゃん、何か新しい情報聞いた?」
「ううん。やっぱりみんな、ヴィオビディナ周辺の施設をエラントが襲撃するとは思ってなかったみたい。下手な報道もできない状態なら、しばらく私達みたいな一般隊員には何も下りて来ないと思う」

 反政府組織であるエラントと、最早一国以上の権力を有したヴィオビディナ。裏で手を組み暗躍する物かと思っていたが、今回の襲撃が事実ならば、交渉が決裂したのだろうか。
 所属部隊を問わず、軍に籍を置く者は皆その話題で持ちきりだった。

「情報が下りて来るのは、実際出撃する時かな……」
「どうだろうね。国防軍としては、まだどっちを取るか決められてないのかも」
「どっちって、エラントとヴィオビディナ?」
「そう。上手くエラントと和解してヴィオビディナの弱味を握れば、あの国の資源を全て国防軍が管轄できるし。逆にヴィオビディナを懐柔できれば、国防軍もエラント総攻撃の大義名分を共有できる」

 理路整然と落ち着いて語るフアナは、幼さや純粋さが残るかんばせに兵士の瞳を乗せていた。
 やはり行き着く先も、思考が停止する先も皆同じか。
 国防軍により大きな利益をもたらすのが、レジスタンスか裏のある巨大国家か。どちらを選択するにしても、この先世界の勢力図が書き換えられる事態は避けられないようだ。
 停滞し始めた議論を、湧き上がる歓声が押し流した。ジャックファルが十人目をアスファルトへ叩き落としたらしい。癖毛をそこらから引っ掴まれ、称賛とからかいの声を浴びている。

「わー、今日は調子いいねぇジャック!」
「振り向き様に人の鼻っ柱粉砕するノリだからね……絶好調だろ……」

 人垣から抜け出したジャックファルは、猫のような瞳を爛々と輝かせながら、フェルディオとフアナの元へ駆け寄って来た。

「フェルディオ、鼻ーー付いてんな!」
「付いてるよ。肘で鼻こそぎ取るとかお前サイボーグか」
「フアナーフェルディオがサラサラストレートの髪自慢しながら拗ねてる〜」
「拗ねてねぇし自慢してねぇし! 陰毛がやっかむなよ!」
「んだとテメェ今度こそその鼻着脱可能にしてやろうか!」

 突き出した右腕をひらりと交わし、ジャックファルはフェルディオの髪を思い切り掻き乱して来た。十人連続で相手したとは思えない動きだ。体力の差に絶望しながら、首がもげそうな程の衝撃に悲鳴を上げる。


[ 45/71 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -