第七話「野良犬、宣戦布告‐6」


 一通り暴れ回った所でアルベルトの拳と蹴りを有り難く頂戴した。それぞれ頭と尻を押さえ悶絶すれば、フアナが腹を抱えて笑い、遠くからビセンテの舌打ちが聞こえる。
 いつも通りと呼べるようになった光景が、また変わって行くのか。
 言い表せない焦燥感と寂寥感に襲われ、尻を突き出した状態であることも忘れ物思いに耽ってしまった。ビセンテに「さっさと起きろ見苦しい!」と怒鳴られるまで、どれくらいかかっただろう。

「で、まーた色々考え込んでんのか?」
「心配なんだよね、エラントがこんな大きく動くことってそうそうないし」
「お前さーんな途方もないこと心配するくらいなら、今日の地獄ダッシュの心配しろよ。尻が六つに割れてもまだ走らされんだぞ? 今の内に遺書書く?」

 嫌味のように逞しい腕が肩に乗せられ、ジャックファルがすぐ隣で破顔した。
 そんなに人の地獄が楽しいか。痛いのが好きだと豪語するなら、付き合ってくれてもいいんだぞ。喚こうとすればアルベルトの瞳が見えない弾丸を放ち、的確に心臓を撃ち抜いて来る。

「そんなに人の不幸が楽しいかよ……俺もう二度とお前の証言してやらねぇからな」

 思っていたより大きな声が出てしまったようだ。フアナが「証言?」と首を傾げるので、適当に誤魔化した後、ジャックファルの後ろに回り込みその広い背中を防音壁代わりにする。

「証言って?」
「浮気だのブッキングだの何だので困った時の、だよ! アリバイとか、しょっちゅう証言してやってんだろ!」
「や、お前もうしてくれてねぇじゃん」
「は、ーー何言ってんだよ!」

 寸出の所で声を抑え、ジャックファルの耳に唇を寄せる。顔を傾け屈む姿に敗北感を覚えるが、今は流すしかない。

「何回も付き合ってやっただろうが、あっ、もしかしてこの前の、嘘の証言させようとしたアレか!? さすがにそれは無理だぞ、俺だって恨み買いたくね、」
「嘘じゃねぇだろ。お前が検査した日の晩、結構真面目な内容の通話したじゃねぇか」

 無意識の内に距離を開け、ジャックファルの様子を伺う。その顔に貼り付いていたのは見事なまでの「無表情」、見据えられただけで寒気が走った。
 ジャックファルが勘違いするのも珍しいが、否定されたからと言ってこんな顔を見せるのはもっと稀有な出来事だ。
 まさか本命とのいざこざだったのか。いや、それにしても揉め事を起こしたのは完全な自業自得だろう。文句と言い訳が脳内で交戦し、結局口からは「いやいやいや」しか出て来ない。
 ジャックファルは再び人好きのする笑顔を浮かべ、フェルディオを人影の疎らな水飲み場まで誘導する。

「マジで忘れてるみてぇだな……そろそろ自覚しろよ。それ、結構やべぇと思うけど 」

 忘れている、のかもしれない。だが、日常の中のふとした通話を、一度忘れただけでここまで追求される物だろうか。

「とりあえずジャンに伝えといたからよ、フェルディオには欠陥があるって。あいつの方が頭いいし上手く対処してくれんだろ」

 渡された情報があまりに多くて、とりあえず表面だけ掬い取って咀嚼した。欠陥がある、ジャックファルはそう言った。他でもない自分に。人とは違う、何かが。
 どう言うことだ。たった一度の記憶違いで、ジャックファルはフェルディオの何処に欠陥を見出だしたのか。問い掛けようにも張り詰めた空気がそれを許さない。何とか元の、ついさっきまで味わっていた日常の空気に戻せないかと、恥も外聞もかなぐり捨てて取り繕う。

「え、ちょっと待って……急に何、怖ぇよお前。脈絡なさ過ぎんだろ。悪かったって! 内容によっちゃ次から協力するよ!」

 粟立つ肌も、大地の感触が伝わらない両足も、欠乏する酸素も。全てが空の上の窮状と酷似していて、ここは地上かと疑いたくなる。
 呆れたように嘆息するジャックファルは、フェルディオが望む表情を与えてはくれなかった。視線だけで天を仰ぎ、深呼吸しながら大袈裟に胸を上下させる。

「そうじゃなくてよ、いい加減、……え」

 間抜けに口を開けたジャックファルが見詰める先。吊られて振り返れば、整備服を纏った女性が大股でこちらに向かって来ていた。
 班長。ジャックファルの声が震える。強烈な整備部隊の班長がいるのは知っているが、遠目でも即座に確認出来る辺り、ジャックファルは心底彼女を恐れているのだろう。
 一目で女性と分かる見た目でも、滲み出る気迫は凄まじい。若造共の虚勢など容易く薙ぎ払ってしまいそうだ。

「ジャァァァック!!」

 ーー訂正。しまいそうだ・ではなく、しまう・だ。先程までの冷たい表情は何処へやら、ジャックファルは叱られる直前の犬のように首を竦めている。フェルディオに至ってはジャックファルの背後へ脱兎の如く避難してしまった。

「はい! 今日はマヨネーズ仕込みました! 申し訳ありません!」
「なんの報告だ馬鹿たれ! 違う! お前、一体何した!?」

 掴みかかりそうな勢いで、ジャックファルは問い詰められる。今度は一体どんな悪戯を仕掛けたんだ、こんな剣幕の班長が探しに来るなんてよっぽどだ。

「何したって、心当たりありまくりなんスけど、どっ、どれですか!?」
「ーーヴィオビディナに、視察団の名目で調査隊が派遣される。そこにお前の名前が入ってんだよ」

 目を剥く、なんて表現では足りない。目尻が軋み、瞼が震え、それでも眼球は懸命に現実を捉えようとする。

「他は最低勤続五年以上の隊員ばかりなのに、青二才のお前が選出される。どう考えたって辻褄が合わない」

 見上げたジャックファルの瞳は、満月のように丸くなっていて。吊り上がっていた班長の両目は、苦し気に細められていた。今自分は、どんな目でこの二人を傍観しているのだろう。

「どっちにしろ行くのは確定だ。今の内に遺書書いとけよ」

 “今の”ヴィオビディナへ派遣される。いつ戦火が爆発してもおかしくないあの国へ。それが何を示すのか、フェルディオでも充分理解出来た。
 日常が明確に錆び付いて行く。
 気付くのは、あまりに遅過ぎた。


[ 46/71 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -