第五話「隣人の釣り針‐6」


 ビセンテはフェルディオを一瞥すると、またすぐ正面へ視線を戻した。余計な詮索だと一蹴されればそれまでだ。フェルディオには、これ以上強く問い詰める技術も勇気もない。

「周囲の人間が差別者だったとしても、私には関係ない。仮にお前が、私が出身者と知らず、差別的な発言を行おうと。反論する気もない」

 求めていた答えが示された。だがそれは、フェルディオに何とも言えない寂寥感をもたらす。自身への差別感情に、何も感じないのか。強がりだとしても、本音だとしても、それはとても寂しい対応だと思った。

「だが同じ分隊にいる限り、私の素性はいずれ露見するだろう。その時、お前ならどう思う」
「おおお俺は差別者じゃないって!」
「仮の話だ」
「……そりゃ、マズいことしたなーって……気まずいと思う」

 ビセンテはフェルディオにとって上官だ。仮に、自分が反遮断区域思想を持っていたとしても、堂々と刃向かえる相手ではない。だからこそ、下手に取り繕うことも、真正面からぶつかることも出来ず立ち尽くすだろう。

「私は、「知らなかったのだから仕方ない」「気にするな」などと言う、薄ら寒い言葉を口にしたくはない」

 空と言うよりは、海の、水面のような深い青だ。清廉でありながら底の見えない青の瞳が、何処までもフェルディオを突き抜けて行く。
 彼女に揺らぎは見えない。それ故に、痛々しい。最初に感じた印象が、揺らぐことなく固まって行く。

「包み隠さず話して、判断は相手に委ねる。差別しようが、偽ろうが、上へ抗議しようが、制限するつもりはない」

 どうして。
 どうしてそんなに、恐れないでいられる。
 自分ではどうしようもないモノが妬ましくないのか。覆しようのない過去を、隠したいとどうして思わない。
 八つ当たりに似た感情が、フェルディオの中に顔を出した。何度も思う。折れない意志が、逸れない視線が、痛い。揺らぎ続ける自分の逃げ場が奪われる。ビセンテから、「自分に倣ってお前も真っ直ぐでいろ」と、命令された訳でもないのに。

「……だが……そうだな。話した以上、そちらの意見も聞いておこうか」

 ビセンテ相手に、こんなに長く、仕事以外の話をしたのは初めてだった。
 ここにはパイロットスーツを纏った人間も、滑走路を駆ける戦闘機もいない。ありふれた服装の、厳しい顔つきをした女性が隣にいるだけ。
 この人は前しか見ていない。自分とは違う。強くて誇り高くて、眩しい。

「ビセンテさんで良かったです」

 眉が顰められるより、こちらが二の句を継ぐ方が早かった。

「出身者だって分かった上で話するのは、ビセンテさんが初めてなんで、俺にとっての出身者はビセンテさんだけで、……はい?」
「聞くな」
「スイマセン、違う、えぇっと――最初に接したのが嫌な奴なら、きっとそのまま出身者自体も嫌いになってました。俺、心狭いんで。だから、ビセンテさんのお陰で、出身者を悪く思わないで済みます」

 厳しさは恐ろしいし純粋さは妬ましい。それでもビセンテは一人の人間として尊敬する。彼女のような人がいるのなら、例えこの先どれだけ卑劣な出身者に出会っても、その全てを嫌悪せずにいられるだろう。
 最初がビセンテで良かった。抱いた思いを素直に伝えた所で、ビセンテは表情を崩さない。それでも。

「話してくれてありがとう」
「諍いの火種にならないなら、それが一番だ」

 微風を受ける横顔が、今までと違って見えた。あっさり打ち明けられてしまったけれど、この人は、今までどんな思いで生きて来たのだろう。たった一人残されて、軍に属する道を与えられて。これからだって、事実が塗り替えられる日は一生来ない。
 同情しているのだろうか。ビセンテの目的がそこにないことは、理解している。これはフェルディオの自発的な考えだ。勝手に彼女が現在に至るまでを想像して、胸を痛めている。

「……ビセンテさん」

 不意な着信音に発言を妨げられ、ビセンテと向かい合っているにも関わらず、思わず目を細めてしまった。
 慌てて顔の前で手を振るが、さして気にもされていないようで出るように促された。わざとらしく「誰だよせっかくの休みに!」と呟いてから、通信機を確認する。表示された「ジャックファル」の文字を見た瞬間、噴水にその小さな端末を叩き込みたくなった。

「構うな、出ろ。席なら外す」
「いえ、どうぞそのままで」

 ディスプレイを叩き、端末を耳に添える。ほんの数秒後、フェルディオはビセンテと仲良く舌打ちを共鳴させた。

『フェルディオ――!! 三分! 三分だけ時間くれ!!』
「上の陰毛焼くにしちゃ長いだろ。燃料持って来い三十秒で消し炭にしてやる」
『おっ前ビセンテみてぇなこと言うなよ! まぁいいや、あのな、この前、えーっと日付、いいやほらお前が検査受けた日! ジャンに研究室に連れてかれた日! 悪ぃ嫌な日の話なんだけど、あの日、夜お前に電話したよな!?』
「女だな」

 即答すれば、ああ・だの、えぇと・だの、呻くような声が返って来る。
 珍しい話ではない。ジャックファルは遊び人だ。女性との約束が重複したり、複数との関係がバレそうになった時、こうやってアリバイを確認して来る。
 本人曰わく、「その場限りの関係だったのにこじれた」ケースが殆どらしいが、そんな物どうでもいい。通話していたことが潔白の証明になるのか。揉め事を避ける為発信履歴を一々削除しているから、こんなことになるんだろう。そんな指摘や疑問もどうだっていい。
 今重要なのは、ジャックファルが自分を巻き込もうとしている、その一点のみだ。
 ビセンテがいることも忘れ、フェルディオは腹の底から声を出した。

「アホか! 本当のことならいくらでも証言してやるけどなぁ、嘘なんざ付けるか! 正直に謝れ!! 謝って踏まれて罵られ――あーダメだお前だとそれご褒美か! とにかくっ、通話してねぇのはお前が一番よく分かってんだろうが! 頭冷やして来い!!」

 何か聞こえて来たが、無視して通話を終了させた。
 嘘のアリバイ作りに協力させようとするなんて。今までこんなことなでなかった。今回の相手はよほど恐ろしいのか。まさか上官相手にやらかしたのか。
 ゆっくり視線を上げれば、ビセンテが氷のような瞳で通信機を見詰めていた。またか。感情の消えた声に、はいと簡潔に答える。

「戻ったら去勢しておけ」
「ジャンさんに頼んでおきます」

 共通の敵を持てば、人と人との距離は縮まると言う。
 もういっそ、ジャックファルの全ての痴態を暴露してしまおうか。共に彼への不満を吐き出し合えば、更に友好的な関係を築けるかもしれない。
 そこまで考えて頭を振った。腹は立ったが、さすがに友人を売るような真似は出来ない。確実に目標を捕らえられる釣り針。フェルディオは手の内のそれを放棄し、勢い良くベンチから立ち上がった。


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