第五話「隣人の釣り針‐5」


「――フェルディオは、こっちに何も関係ねぇよな」

 ジャックファルの瞳は、すぐに曇った。昨日今日の発言でないと言うのに、彼は瞬時に、正確な記憶を蘇らせたのだろう。

「何のことか分かる?」

 念の為問いかけてみれば、数拍の間を置いた後、消え入るような声で「検査日の……」と返って来た。やはりジャックファルは、アルベルトへ向けたこの言葉を覚えている。
 笑顔が消えた顔は、特別珍しくもない。天真爛漫なジャックファルとて聖人ではないのだから。理不尽に憤ったり、己の未熟さに悔いる姿は何度も見て来た。
 けれど、この、意図的に感情を遮断した表情は特別だ。自分より年下であるはずのジャックファルから、ジャンは言い知れぬ威圧感を感じる。
 手札は読めない。そもそもこの賭けが賭けとして成立しているのかも、定かではなかった。それでも分隊の副隊長として、それなりの場数を踏んで来た自負がある。針にその身を掠らせた獲物、みすみす逃がす慈悲など捨てた。

「そう、さっすがだよね、ジャックくんって何処か鋭い所あるじゃない、野生の勘って言うのかな、あ、馬鹿にしてる訳じゃないよ? ただ、僕がフェルディオくんを研究室に引っ張ってったって聞いただけで、よくすぐに“こっち”――特異細胞と結び付いたなーって。思っただけ」

 フェルディオは最初から一般空軍所属だった。入学検査・入隊検査を共にパスし、何の疑いも持たれていなかった。異動となる以前からの知り合いだったジャックファルなら、よく分かっていたはずだ。
 なら何故。偶々敵機と交戦し、IAFLYSの分隊隊長に命を救われ、IAFLYSの分隊副隊長に研究室へ連れ去られただけで。フェルディオのこちら側への関与を疑ったのだろう。
 普通は結び付かない。一般人と細胞保持者を、線で繋ぐなど、普通はしない。

「……ジャックくん」

 わざわざ人目に付く場所で、目的地を告げてから連れ去った。誰でもいいから掛かれば上等だと思っていた。まさかこんな結果になるとは思っていなかったけれど。
 相変わらずジャックファルの表情は動かない。何を言っているのか理解出来ないと。もっと分かりやすく説明しろと。いつものように、喚けばいいのに。
 何だその、こちらを値踏みするような、光のない視線は。

「気付いてたの?」

 どのような定義に当てはめても、ジャックファルは「仲間」と分類されるのだろう。
 自分自身が一番よく、分かっていながら。








 第一級兵器災害の原因である「兵器」がどのような物であったか、未だに結論は出ていない。それでも、全貌の見えない存在の為、様々な制限が設けられている。
 中でも一番身近な制限が、「遮断区域」だ。
 兵器による甚大な被害。その爪痕が未だ残る区域は軍によって管理され、一般人の立ち入りを厳しく制限していた。
 毒ガスがまだ残っているだとか、未知のウイルスが蔓延しているだとか、憶測は嫌と言う程聞いて来た。だがフェルディオにとって、原因よりも現在の状況の方が気がかりだった。遮断区域に定住する者は、その外への移動を原則として禁じられている。軍にとって、遮断区域の内部はそれだけ都合の悪い状態なのだろう。
 万が一、不法退出を行い、遮断区域の外に出た場合。発見され次第例外なく強制帰還となり、抵抗した者が射殺された事案もあった。
 なら今目の前にいるこの人は、どうして生きてここにいる。

「母が私を身籠ったのは遮断区域にいた頃だが、出産したのは不法退出をした後だ」

 何でもないことのように過去を語る横顔は、いつものように精悍だった。
 適当なベンチに腰掛け、フェルディオはビセンテの説明に耳を傾けた。昼と夕方の合間、中途半端な時間に差し掛かり、公園の人影はどんどん減って行く。

「軍に見つかったのは八歳の時だ。例え生まれた場所が区域外とは言え、本来なら私も家族と共に強制帰還されるはずだった」
「……でも……」
「コレが見付かったからな。入隊することを条件に、私だけ残ることが許された」

 ビセンテが「コレ」と言いながら指差したのは、自らの身体。ほんの一ヶ月前のフェルディオなら首を傾げていただろうが、今はすぐに意図を理解出来る。
 特異細胞が見付かったから、ビセンテは残った。家族がどうなったのか聞く気にもならない。まず間違いなく強制帰還、その際抵抗すれば、最悪の結末だって充分あり得る。
 フェルディオ自身、遮断区域の現状は把握出来ていない。少なくとも、身重の女性が逃げ出したくなるような何かが、そこにはある。確信出来るのはそれくらいだった。

「同じ分隊に所属する以上、先に話しておこうと思った。――用件はそれだけだ」

 特別悲壮感を滲ませる訳でも、無理に明るく振る舞う訳でもなく。いっそ不気味な程、ビセンテは何も変化を見せなかった。何も変わらず、背筋を伸ばし拳を握り、前を見据えている。
 どうして、そんなに真っ直ぐなのだろう。叱咤される恐怖を、無垢な好奇心が上回った。

「どうして……話そうと思ったの?」
「同じ分隊に所属するからだ」
「でもさ、もしも俺が、反遮断区域思想に傾倒してたら、どうするつもりだった? 普段外に出してなくても、腹の中で差別してる奴なんて五万といるのに」

 ビセンテが知らないはずもないだろう。遮断区域からの不法退去者は、身を隠す為正規の職には就けない。生きて行こうと思えば必然的に、――法に触れる何かへ関わることとなる。売春であったり、密売であったり、もっと直接的な強盗や窃盗と言った犯罪行為だ。
 世の犯罪、全てが遮断区域出身者によって起こる訳ではない。それでも、自分達と違う存在が行った悪事は、どうしても印象に残る。フェルディオも、遮断区域出身者に対する侮蔑の言葉を何度も聞いて来た。
 もしフェルディオが、出身者を嫌悪する人間だったなら。ビセンテは、その可能性を考えなかったのだろうか。



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