第五話「隣人の釣り針‐4」


 休日と浮かれる様子もなく、ビセンテはいつも通りの顰めっ面を浮かべていた。むしろ貴重な休暇をフェルディオに潰され、苛立っているのではないか。だから基地内でなくわざわざ外で待ち合わせたのではないか。
 悪い想像は逞しく育ち、どうしても隣に並べない。底が厚めな靴を履いているのか、ビセンテの身長はどう見てもフェルディオより高かった。
 所属年数も、年齢も、恐らく身長もビセンテの方が上。基地を出る時、ジャンに「これを機に打ち解けておいで」と言われたが、到底遂行不可能な任務だった。

「フェルディオ」
「はい! ――あーっ違います! 違う! なっ、何!?」

 敬語を注意されると思ったが、意外にもビセンテは自分の隣を指差した。
 とっさに反応出来ず目を見開くが、歩く速度が落とされてようやく意図を理解した。
 小走りで駆け寄り、逸る心臓を叱りつけながら隣に並ぶ。何も言わない所を見ると、フェルディオの判断は正しかったらしい。
 だが、そこから何も指示はなく。昼下がりの、のどかで暖かな公園を、無言のまましばらく進んだ。
 続く二つの足音。温度が上昇し始めた空気を、柔い風が散らして行く。右隣のベンチには親子が腰掛け、注意を向けている間にランニング中の若い女性と擦れ違った。人々の談笑に混じり、能天気な鳥の囀りが頭上で回る。

「……え、何なのコレ」

 状況が理解出来ず、堪らず疑問を口にした。ビセンテと、肩を並べ公園を歩く。お互い笑いもせずただ黙々と。何なんだこの休日は。

「び、ビセンテさ、」

 発しかけた言葉は、小気味良い舌打ちに遮られた。敬語が駄目なら敬称もか、何故こんなに真面目なんだ。擦れ違う他人の会話を、一々記憶する人間が、果たしてこの公園にいるだろうか。
 それでもビセンテ相手に反論など出来ず、フェルディオは無理矢理会話を始めた。

「あのさ、他に用事あったら済ませて来てくれていいよ! ジャンさんも、監視してる訳じゃないし……別行動したって、バレたりは……しないと……」

 思います。
 消え入りそうな声で、最後に付け足した。やはりビセンテ相手に友人のような口調など、出来そうもない。

「他に用などない」
「あ、そう……か。だったら尚更何か、ゴメン、付き合わせて」
「いちいち謝るな。他にはないが、お前には用がある」
「ほっ!?」

 驚きの余り奇声が飛び出た。限界まで見開いた瞳で、無表情のビセンテを凝視する。用がある、自分に。何だ。一体どんな失態を犯した、どんな失言を零した。
 目を逸らすことも出来ないまま、ここ最近の言動を省みる。思い当たる節で記憶が埋まっていた。

「おおおおお俺が何をあのいやスイマセンもう決してわざとじゃ、」
「……お前の発言はしばらく無視する。先に私の用事を済ませるぞ」

 靴音が二回響く。無意識に空けていた距離が、ビセンテから詰められるとは思っていなかった。睫毛の本数を数えられそうな程、顔が近い。
 何をされるのか。怯えた推測を立てる前に、今までの物と何ら変わりない声が、一直線にフェルディオを通り過ぎて行った。

「私は遮断区域の出だ」

 どうしてこうも、この人は、痛々しいまでに真っ直ぐなのだろう。








 性格が悪いことも、素直でないこともようく自覚している。ここまで相手の姿が見えて来ないのなら、もう形振り構ってなどいられない。
 垂らした釣り針は、獲物を海中から引きずり出す為、容易くその肉を貫く。
 かかってしまったらそれで最後。捕らえずとも、逃がそうとも、針を抜けば開いた傷口は広がるしかない。それを承知で、油断し切った仲間の中に糸を垂らした。
 餌を飲み込んだ自覚はあるのか。それとも、ほんの少し引っかかっただけでは、気付きもしないか。何も知らず泳ぎ回る内に、針は身体の奥深くへ沈んで行くと言うのに。
 職場で擦れ違い、いつも通りの笑顔が向けられる。太陽のような――些か綺麗過ぎるかもしれないが、そんな表現が真っ先に浮かんだ。明るい感情を求められ、当然のように答え続ける彼の、深淵に等しい部分はまだ知らない。
 猫撫で声で名を呼べば、広い背中が分かりやすく震えた。

「なんっだよ女みてぇな声出して」
「いやぁ、真面目に働く後輩を労おうと思ってね。アルベルトみたいに、無愛想な声で話し掛けるよりいいんじゃない?」

 長椅子へ逆向きに座り、顎を背凭れに乗せてみた。肩越しに振り返るジャックファルの、金の瞳が怪訝そうに揺れている。

「よーし分かった、吐け、俺に何聞こうとしてんだ? うん?」
「何それ」
「ジャンがそうやって労いとか気遣いとか言う単語口にすんのはなぁ、大体嫌な話する前なんだよ! 今度は何だ!? 俺、最近は大人しくしてるから、苦情とかそんな、入ってない、……はず、だ、けど……」

 最初の威勢は何処へやら。尻すぼみになる口調が、「身に覚えがあります」と声もなく宣言していた。
 思っていたよりも、自分の癖を悟られていたらしい。元々頭の回転は早い子だ。普段の立ち振る舞いが軽薄でも、こうした瞬間にその事実を再確認する。
 ボールペンで頭を擦る少年の頭には、何が浮かんでいるのだろうか。女遊びに関するトラブルか。酔った際に演じた失態か。後先考えず零した失言か。泳ぐ視線が、彼の抱える不安を辿って行く。

「思い当たる節があるんだねぇ? さーて、どれにしよっかなー」

 わざとらしくじらせば、面白いように反応が返って来た。いじられた時の対応はフェルディオと似通っているが、ジャックファルの場合本心では楽しんでいるのだろう。抗議の言葉を紡ぎながら、その口元には見慣れた笑顔が浮かんでいる。

「決めた」

 意地の悪い笑みを心掛けた。ジャックファルの瞳は、おもちゃの投擲を待つ猫のように、爛々としたままで。


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