第五話「隣人の釣り針‐3」


 踏まれた尻の痛みも、蹴られた脛の痛みも、まだ癒えない。そんな、ビセンテとの衝撃的な出会いから一時間も経たない状態で、残る第一分隊の隊員を二人紹介された。

「初めまして。チータ・グラスランドだ。挨拶が遅れて申し訳ない」
「フアナ・バルビエーリです! よろしくお願いします!」

 満面の笑顔は花のように愛らしく、駆け寄り手を取って来た少女から、フェルディオはしばらく目を離せなかった。
 男性の中でも“若干”小柄なフェルディオより、頭半分程背の低い少女。フアナと名乗った彼女もまた戦闘機パイロットなのか。唖然としていると、もう一人からも声を掛けられた。

「フェルディオ・シスターナくん」
「はっ、はい!」

 名前を呼ばれただけで、心臓が跳ね上がった。
 艶のある黒髪に、金色の涼しげな瞳。鼻筋も、唇も、肌が弾く光の艶も、計算し尽くされた彫刻のようだった。
 別格だ。思わず零れた本音はチータに届き、取り繕うのに随分と苦労した。顔が作り物のように整っているので、じっくり観察していました――なんて、説明出来るはずもない。 余りに挙動が不審だったからか、初対面でいきなり体調不良なのかと気遣われ、誤解が解けた後は食事に誘われた。フアナのように愛想良く微笑みはしないが、口調は穏やかで会話の内容も理知的。
 ビセンテの態度に心を折られかけていたフェルディオは、二人の柔和な佇まいに癒やしを覚えた。そうして、当然のように食事の誘いに応じた。

「フェルディオ、やはり体調が優れないのか?」
「いえ、いえ。全く。……いただきます」

 初めて顔を合わせてから、初めて一緒に食事をしてから、四日経った。それなのに、また同じやり取りを繰り返している。

「それだけ……か?」
「それだけって、あのちゃんとしたセットメニューですよ、平均ですよ、肉も野菜もスープもパンもちゃんとありますよ!」
「……そう、か、そうだな。自分の基準で考えてしまうのが、私の悪い癖だ。すまない」

 一日目は喜び、二日目は怯え、三日目は目を逸らし、四日目は――諦めた。
 チータは皿をカウンターへ片付けると、その足で新しい料理を注文しに行った。この光景を見るのは三回目だ。今日だけで、既に三回。三往復。その間、何種類の料理がチータの胃袋に消えたかなど、もう考えたくない。
 大食漢。そんなありふれた言葉に当てはめてしまって良いのだろうか。チータの食事は、摂取と言うより除去のようだった。皿の上に広がる食材が、あれよあれよと言う間に吸い込まれて行く。

「ねぇねぇ、私のシミュレートどうだった? 今日はね、目標数値より高かったんだよ!」
「フアナ、反省は食事を終えてからにしよう。頭が切り替えられなくなる」

 フェルディオの隣でフアナが頬を膨らませたが、チータに頭を撫でられれば、すぐに表情は綻んだ。
 フェルディオにとっては、机の上の惨状は戦場に等しかったので、切り替えも何もあった物じゃないのだが。この光景にも、いずれ慣れるのだろうか。意味なくマッシュポテトをフォークで潰し、すくいもせず放置した。
 何かと衝撃的な光景だが、居心地の悪さは感じない。チータとフアナの会話は、あまりに毒気がなくて、所々噛み合っていなかったが、それでも和やかな昼食と言って遜色ないだろう。

「午後からゆっくり息抜きをして来るといい。ここ最近ろくに休めていなかっただろう」
「フェルディオすーっごくがんばってたもんね!」
「え、あ、ありがとうございます、頑張って来ます」

 何を頑張るんだとチータに問われたが、曖昧な笑みで誤魔化した。これがジャンなら間違いなく追求して来るだろう。久し振りに味わうゆったりとした時間を噛み締め、フェルディオは食事を再開した。
 この後の、ほぼ間違いなく安らかでない休息時間に、思いを馳せながら。








 予想通りの姿で、ビセンテは街灯に背を預けていた。何の柄も装飾もない、シャツと、ズボンと、上着。髪も基地内で見る物と寸分違わず、フェルディオは詰まっていた息を一気に吐き出した。

「スイマセン、遅くなりました」
「……ジャンから何も聞いていないのか」
「えっ」
「不自然でないよう振る舞えと言われただろう」
「いっ、いや、さすがにタメ口はちょっと……」

 小走りで駆け寄り声をかけた途端、ビセンテから厳しい指摘が返って来る。――軍人だと気取られないよう、自然な言動をしろ。普段見ている物と変わらない姿に、落胆と自嘲が湧き上がった。
 当然だ。ここがただの街中で、いくら目的がただの買い物であっても。ビセンテが変化を見せるなんて、あるはずがない。
 風船を持った子供に衝突され、間抜けな叫び声を上げている間に、ビセンテは踵を返し歩き始めた。驚く子供の頭を撫で、飛ばされないよう風船の紐を手首に緩く結んでから、背筋の伸びた後ろ姿を追う。

「外部では普通に接しろ。間違っても敬礼などするなよ」

 了解です。言葉と同時に動きかけた右肘は、容赦のない平手打ちで止められた。建物側に隠れていたお陰で、道行く一般人には目撃されなかったが。関節を狙われ、指先まで痺れが広がった。

「同年代の者が固い敬語で会話すれば目立つだろう。普段――ジャックにするような、ああ言う態度でいろ」
「無理ですよ俺、さすがにそんな女の子に尻とか陰毛とか言えないしっ、」
「……あ?」
「ああっ!! スイマセン!!」

 どうして、どうしてこんなことになった。悲嘆に暮れれば、自然と狐のような笑顔が脳裏を過ぎる。
 ――せっかくだから息抜きしておいで、二人で。
 そう言って自分とビセンテを指差された時、フェルディオは自らの死を覚悟した。
 確かに、生活必需品の買い出しがてら、半日ゆっくり休まないかと提案されたのは有り難かった。休日返上で機種転換訓練に明け暮れ、心身共に疲労が蓄積されていたのだから。
 だが、何故、息抜きと称してビセンテが同行する。自分を認めていない、そう公言している上官と一緒に買い物なんて。これでは息でなく魂が抜けてしまう。


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