第四話「傲慢な線引き‐2」


 第一分隊の隊員は、フェルディオを除いて五人いる。それは聞いていた。
 アルベルトとジャン。残る三人は、別の基地へ出張中。それも聞いていた。
 いずれ合流するのだから、詳しい紹介は直接会ってから――聞いていた。覚えている。だからこそフェルディオは激しく後悔した。あの時、残る隊員はどんな人物なのか、詳しく聞いておけば。
 数歩前を淡々と進む背中にすら、フェルディオは恐怖を覚えた。
 IAFLYSを象徴する、武骨な輪郭の電子羽。軍服の背面に刻まれたそれは、彼女――ビセンテ・ファリャによく似合っていると思った。褒め言葉でないと自覚しているから、決して口にはしないけれど。いや、例え褒め言葉であっても、今彼女に自ら話しかけるのは不可能だろう。無言から伝わる確かな怒気が、フェルディオからみるみる生気を奪って行く。
 出張から戻った残る三人の隊員は、一人は本部へ報告、一人は定期検診へ向かったと言う。何故、唯一戻って来たのがビセンテだったのだろう。よりにもよってあんな状況であんな発言を聞かれてしまうなんて。

「おい」
「ひょんっ!?」
「貴様、そう言う趣味があるのなら今すぐ辞表を提出して来い。IAFLYSの恥曝しだ」
「へっ、趣味!?」
「どうすればそんな風になる」

 振り返ったビセンテに倣い、ゆっくり視線を下降させれば。上着の裾をベルトに挟み、挙げ句ズボンのチャックを全開にした下半身が視界に飛び込んで来た。

「ほぎゃあああああ!!」
「黙れ、騒ぐな、見苦しい」

 訓練後シャワーを浴びている最中、廊下からジャンに声を掛けられ慌てて飛び出した。内容が「僕達出て来るから、ビセンテちゃんと二人で仲良くしててね」だったのだから、焦って当然だろう。
 上着を引きずり出しチャックを上げながら、フェルディオは必死に言い訳を重ねた。

「わざとじゃないです! そう言う趣味じゃないです! スイマセン!」

 誤解を解こうと努力する程、ビセンテの眉間の皺が深くなって行く。瞳と同じ青の髪をかき上げ、頬を一度痙攣させると、無言のまま再び廊下を進み始めた。チャックに挟まった下着と格闘し終わったフェルディオは、急いでその後を追う。
 斜め後ろから覗き見た横顔は、一片の感情すら滲ませない。アルベルトも確かに威圧的だ。それでも彼には、表情と言葉がある。愛想が良いと言えなくとも、人を受け入れようとする隙が、アルベルトからは伝わって来た。
 一方ビセンテには隙間が全く見当たらない。目の前の人間がそうしたように、フェルディオは頬を痙攣させた。

「あ、あの」
「何だ」
「えっと、挨拶が、遅れました。一般空軍第五飛行部隊から、今月一日付けで異動となりました、フェルディオ・シスターナです。まだまだ未熟者ですが、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます」

 ビセンテが足を止めると同時、フライトリーダー――前部隊の隊長に叩き込まれた敬礼を行う。射抜いて来る瞳は相変わらず静寂しか映さない。ビセンテの身長は、フェルディオとそう変わらないだろうか。女性にしては長身だ。
 鋭い瞳が更に細められ、フェルディオは無意識に生唾を飲み込んだ。

「協力は惜しまない。だが馴れ合いは期待するな」

 あまりに率直な拒絶に、敬礼したまま立ち尽くすしかなかった。
 ダンテからも言われた、「誰もお前に期待していない」と。だが、否定のように思えて、実際はフェルディオの枷を外す発言だった。今の発言にも別な意味があるのだと、記憶に縋ってみたが、いくら考えてもそのままの意味しか浮かばない。
 ただ特異細胞が発現しただけの未熟なパイロット、注がれる敵意はきっと痛いのだろう。想像しただけで覚悟出来たつもりになっていた。実際この身に受けると、本当に、ただただ痛い。

「……び、ビセンテさん。俺のこと嫌いですか」
「ほう、臆病者に見えて、いらない度胸だけはあるようだな」

 ビセンテが初めて見せた笑みは、何処からどう見ても嘲笑だった。ああ、もう、何故自分は実際口にしないと失言を認識出来ないんだ。

「機種転換訓練すら終了していない新人相手に、どうやって好意を抱けと?」

 謝罪すべきか、反論すべきか。決断する前に、聞き覚えのある声が二人の間に割って入る。

「怖ーい新人いびり怖ーい」

 発音も音程も滅茶苦茶で、ふざけているのは明らかだった。フェルディオは激しく表情を歪ませたビセンテから、視線を逸らすことが出来ない。近寄って来る足音がジャックファルの物であることは、とっくに確信していた。
 作業服姿のジャックファルはフェルディオの隣に並び、逞しい腕を肩へ乗せて来る。明るい金の双眸は、いつもと違う光を帯びていた。作業帽のつばが落とす影のせいだけでは、ない。

「フェルディオ、お前に客」
「客? 俺に?」
「そ。ジャンに確認取ったから、行っていいぜ。第二待機室だとよ」

 だが今は、ビセンテと。一瞬逸らした瞳に映る彼女は、嫌悪感を剥き出しにしていた。真横で舌打ちが聞こえ、フェルディオは息を呑む。間違いなくジャックファルが発した物だが。普段女性を相手にしている時の態度
と今のそれは、似ても似つかない。
 二人の顔を交互に見比べても、漂う空気は解消されなかった。フェルディオに対して厳しい発言をした。それだけで、ジャックファルがこんな対応をするとは思えない。

「ジャック……ビセンテさんと知り合い?」
「知り合いも何も、そりゃ同じ部隊だからな」
「いや、そうだけど、なんつーか……」
「いいから行けよ、怖ーい先輩は俺が宥めていてやるからさ!」

 取り付く島もなく、ジャックファルはフェルディオの体を反転させ、痛い程の力で背中を押した。
 足がもつれ、堪えることも出来ないまま数歩進む。振り返れば手を振るジャックファルと目が合ったが、そこにいつもの笑顔は見当たらない。ただ口角を上げただけの、空虚な表情。思わず跳ねた肩に、フェルディオ自身が一番驚いた。行け。ジャックファルの唇が音のない命令を下す。

「し、失礼、します」

 上擦った声。反応はどちらからもなかった。親しい友人が現れたと言うのに、何故居心地の悪さが増したのだろう。半ば自棄になったフェルディオは、とにかく第二待機室へ向かうことにした。
 客がいるなら待たせてはいけない。単なる逃亡に理由を付け、ただ真っ直ぐに。



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