第四話「傲慢な線引き‐1」


 貴方と同じでいたい。隔てる物など全て壊して。








「いやあああああ! いやあああああ!!」
「おい大声出すから回数忘れただろうが。仕方ねぇな、もう一回最初っからだ」
「いやあああああ!!」
「やってるなアルベルト、ズッキーニ使うか?」
「いらねぇよ!」
「イゾラ隊長油売ってないで早く戻って下さい!」

 絶好のフライト日和にも関わらず、フェルディオは熱せられたアスファルトに這いつくばっていた。「誰が止まっていいって言った?」地の底から響く声に、体の悲鳴を無視し急いで腕立て伏せを再開する。
 感覚が上手く伝わって来ない。腕と下半身の神経が麻痺してしまったようだ。それなのに、脳はしっかりと蓄積した疲労を認識している。いっそ思考すら遮断されてくれれば。淡い期待は泡沫より脆いと、学生時代から既に悟っている。

「はいはい、フェルディオくんお尻下がってないよー」

 固いブーツの先が尻の割れ目を突き刺し、フェルディオは悶絶した。完全に気を抜いていた。正面でカウントするアルベルトに気を取られ、背後に立つジャンの存在を失念するなんて。

「それで? 今日は何したの」
「いつも通り焦ってやらかしただけだ。なぁフェルディオ」
「ひっ、スイマセっ、」
「止めんなカウントまた一からやるぞ」
「スイマセンんでした!」

 もう何回この単純作業を繰り返しただろう。アスファルトに点在する染みは、全て自分の汗が作り出した物だ。どれだけの時間が経過したのか。考えてもただ無駄な疲労が増すだけだろう。フェルディオはただただ与えられた作業に没頭した。
 機種転換訓練は比較的順調に進行している。上手く行けば、来週からは編隊飛行訓練に参加出来るかもしれない。あのアルベルトが直接そう言ったのだ。社交辞令でないことくらい、付き合いの短いフェルディオでも理解していた。

「そんなんで編隊訓練に移れると思うか? 気合い入れろ」
「はっ、はい! でもっ、ジャンさん、ちょっと足っ、止めて!」
「うん? なーにー?」

 優しい、あやすような声を発しながら、ジャンは靴底をフェルディオの尻に乗せた。力負けしてしまう程でも、かと言ってただ乗せているだけでもない、フェルディオの負担だけを増やす絶妙の力加減だ。
 思わず感心してしまう辺り、もう自分はジャンに躾られてしまったのだろうか。

「可愛い後輩のお手伝いでもしようと思ったのに、酷いなぁ」
「だっ、まっ、コレっ、ただの嫌がらせっ、ひぎゃっ!」
「仕方ないね、先輩はどうしたって恨まれる物だから。君がいつか後輩を持った時僕の気持ちを理解してくれればいいよ」
「後輩の尻踏んで仏みたいに微笑む上司の心情なんて一生味わいたくないです!!」

 腹の底から叫べば、アルベルトから百回追加と命令される。肩越しにジャンを見上げても、逆光でその表情は窺えなくなっていた。
 何を言っても何をしても、上官から与えられた罰が軽減されることなどないのだろう。顎を伝う汗と共に、残っていた思考能力が地へと落ち、熱せられた地面の上で蒸発して行く。

「これが、女性の上官ならっ、ご褒美になるんですけどね! むしろ大歓迎!」

 一般空軍・IAFLYS共に、女性の戦闘機パイロットは存在する。だが、以前フェルディオがいた部隊に女性は所属していなかった。女性所か、ジャンのように柔らかい雰囲気を持つ隊員すら皆無で。隊長兼フライトリーダーに至っては、周囲から同情される程の恐ろしさだった。
 女性であっても軍人は軍人だ。決して、叱責が恐ろしくない訳でも、性別を理由に舐めてかかっている訳でもない。ただ思春期真っ只中の男としては、「どうせ叱られるなら同性より異性」くらい考えたっておかしくはないだろう。辛く地道な訓練と任務の中、妄想くらい自由にさせて欲しい。
 元々こう言った発言が多いと自覚している。今更特別な反応はないだろう。そう思っていたのに、返って来たジャンの声は、珍しく焦りを孕んでいた。

「ちょっと、フェルディオくん」

 何がまずかったのか。とにかく謝罪しようとしたが、予定されていた言葉は尻を襲う大きな衝撃にかき消された。突然の容赦ない攻撃に、今まで何とか耐えていた腕から力が抜け、アスファルトへ腹を思い切り打ち付けた。

「ひっ、どっ、ジャンさんやり過ぎですよ!!」
「いや僕じゃな、」
「どうした? ご褒美になるのだろう? 自分から言っておいて何を情けなく寝転がっている軟弱者」

 凛とした声に、起き上がることも忘れ思わず振り返った。
 IAFLYSの軍服を纏った女性が、真っ直ぐフェルディオを見下ろしている。
 冷徹な視線を彩る深い青に、体を包む火照りが飲み込まれる。帯びた色に相応しい凍った表情のまま、女性はフェルディオの尻へ、更に深く足を沈めて来る。痛い。口にすれば、当然だろうと一刀両断される。

「初めまして。IAFLYS第一分隊所属、ビセンテ・ファリャだ。お望み通り、期待の新人殿にこれから毎日ご褒美をくれてやる」

 アルベルトは頭を抱え、ジャンは腹を抱えていた。どちらがどんな表情をしているかなど、確認する間でもない。
 今はそれより、この浴びせられた言葉の氷を溶かさなければ。フェルディオは立ち上がろうと膝に力を入れたが、ビセンテはすぐ様尻から足を移動させ、体重のかかる爪先を勢い良く払った。支えを無くした体は再び地面と抱擁する。強かに打ち付けた鼻骨が熱と痛みに悲鳴を上げた。
 怯え震えもつれる意識の中、最小の動作で再びビセンテを見上げる。

「ありがとう御座います、は、どうした?」

 絶好のフライト日和だ。
 それなのに、フェルディオは相変わらず、空から一番遠い地面に這いつくばり続けている。



[ 20/71 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -