第四話「傲慢な線引き‐3」


 敵意の籠もった視線は、間違いなく自分へ向けられた物だろう。ジャックファルは遠ざかる足音にしばらく耳を傾けてから、眉間に皺が寄る程強く目を閉じた。

「何やってんのお前」

 凝り固まった眉間を摘みながら、ゆっくり瞼を上げた。だがビセンテは相変わらず、表情を崩しもせず、ただ瞳だけを不機嫌に歪ませている。
 航空学校時代から変わらない――むしろ悪化の一途を辿る刺々しさに、最早溜め息すら漏れなかった。

「新人いびりだが?」
「開き直ってんじゃねぇよ」

 ビセンテとジャックファルは、航空学校の同期だった。基礎訓練や講習は学年共通で行う為、選択学科が別でも自然と交流は生まれる。
 ジャックファルは今でも鮮明に記憶していた。まだあどけなさの残る新入生の中に、たった一人、世界の終わりを迎えるかのような面持ちの、真っ青な少女がいたことを。
 その少女は今、軍人となってジャックファルと対峙している。真っ直ぐ伸びた背筋も。痛い程引き結ばれた唇も。全ての馴れ合いを拒む青の瞳も、ずっとあの頃のままだ。

「お前さぁ、新人育てる気ねぇの? 始めっからあの調子じゃ萎縮しちまうぞ」
「ここは学校ではないと何度言えば分かる。任務を完遂する力を得るのが最優先だ。馴れ合う必要などない」
「馴れ合うかどうかは別として、個人的な感情で態度変え過ぎじゃね? 何でフェルディオのことそんな気に食わねぇの」
「貴様の質問に答える義務はない。上官としての指導は行う、それで――」
「上層部の決定にイラついてんのか? それとも別の理由? そーゆーの、八つ当たりって言うんだけど、IAFLYSの戦闘機パイロット様なら知ってるか」

 そこまで口にして、しまったと内心舌打ちする。挑発するような物言いを悔いたのではない。傷を抉る言い回しを行った、自らの浅慮さが、苦い記憶を掘り返す。
 ――戦闘機パイロット様。何て嫌味な表現だと、自責の念が込み上げて来る。
 だがそんな揺らぎは、目の据わったビセンテには届かなかったようだ。ジャックファルは誤魔化すように髪を乱暴にかき回した。

「随分と不遜な物言いだな」
「お前に比べりゃ可愛いモンだと思うけど?」

 微笑み、肩を竦めれば、ビセンテの瞳は限界まで細められた。
 ――ああ、本当に、この女はかわいくない。

「一体何が気に食わねぇんだよ」

 問えば、反響しそうな大きさで舌打ちが返される。

「我々は編隊を組み飛行する。奴の覚悟のなさが、部隊全体に悪影響を及ぼしかねないのなら、厳しく接して当然だと思うが?」

 だからお前は甘いんだ。暗にそう言われた気がして、ジャックファルは湧き上がる苛立ちに奥歯を噛み締めた。ナメるな。実働部隊でなくとも自分は軍の人間だ。厳しくするな、優しくしろ、そんな甘言を吐く気など毛頭ない。
 ビセンテが、どれだけ辛い過去を背負っているか。全てではない、それでも表面くらいは知っている。家族を持ち飢えず何も失わず生きて来た自分には到底理解出来ない、今尚戦い続ける姿は尊敬している。例え、個人の人格がどれだけ肌に合わなくても、それは事実だ。だが。

「八つ当たりじゃなくて? 覚悟もないフツーの人間があっさり入隊して来て、僻んでんじゃねぇの?」

 受けた屈辱を、浴びた非難を、全ての人間が共有出来るはずもない。そんなことも分からないのか。視線と態度に嘲りを含めれば、襟元の圧迫感と体を揺さぶられる衝撃が、ほぼ同時に襲って来た。
 空でもないのに青が近い。胸倉が一層強く握られ、呼吸まで阻害されそうだった。

「訂正しろ」
「覚悟、だって。便利だよなその言葉。悪かねぇけど、お前が言うのは大っ嫌いだわ」
「ジャックファル!」

 整備士とは言え、体術・護身術は訓練過程で叩き込まれている。抵抗は出来るだろう。それでもジャックファルは、両手を作業服のポケットにしまったままだった。必要ない。ビセンテの目的は暴力でなく、発言を撤回させることだから。

「違うなら人に頼らねぇで自分で弁明してみたら?」

 存分に侮蔑を込め吐き捨てれば、服に食い込むビセンテの指が、喉仏に強く押し当てられた。緩い吐き気が胃を襲う。本当にこの女は、かわいくない上に容赦がない。
 それでもジャックファルは怯むことなく、やっと表情を歪めたビセンテへ一気に畳み掛けた。

「覚悟覚悟って、あのさ、第一分隊が世界の全てじゃねぇの。お前等みたく、入隊した時から切羽詰まってる人間のが少数派なの。ビセンテ、お前その「覚悟」ってのが決まるまで、自分がどんな目に遭ったか思い出してみろよ」

 家族がいて、住む家があって、命の危険に晒されず、当たり前に愛情を注がれ育って来た一般の人間。
 第一分隊にそんな人間は一人もいない。偶然と言うには恐ろしい程、様々な事情を背負った者ばかりが集まっている。ビセンテも例外ではない。アルベルトも、ジャンも、フアナも、――チータも。
 努力したのだろう。歯を食い縛り、どれだけ惨めでも耐えに耐え、ここまで這い上がって来た。他の者はどうか知らないが、少なくともビセンテからすれば、自分も覚悟の足りない人間の一人か。そう思うなら好きに軽蔑しろ。否定しない。だがフェルディオに烙印を押すのは、どう考えても早過ぎる。

 思い起こされる瞳は、覚悟に染まっていた。
 自分と同じ金の瞳。それなのに、昨日まであった幼さなど微塵も残っていなかった。あれを覚悟と言うのか。だとすればそんな物クソ食らえだ。そんな物を誰も彼もが当然に抱える世界なんて、吐き気がする。
 ――なあ、お前は望んでるのか。零れた声は縋る子供のようで、今度は虚しい程の寒気に体が震えた。



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