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このようなことがあって、私の夢を追う意思が強くなっていったのだとしたら、状況は変わっていたでしょう。
確かに、文を書くことについては、以前のようにもやもやとした気分になることがなく、晴れやかな気持ちでそれに向かえる日が増えていきました。
しかし、一日一日に幸せを感じれば感じるほど、また「書いてよかった」という気持ちで心が満たされるほど、夢は私の心から遠のいていきました。
それどころか、むしろ後ろめたさを感じるようになっていったのです。
私は夢をうかつに口に出すことがなくなりました。
そして、夢に頼り、助けてもらうことがなくなりました。
思えば、私はその時すでに、自分からこれ以上逃げることのできないところまで追い込まれていたのです。
夢に感じるもやもやや後ろめたさが何なのかさえ自分で調べていれば、私はもうその時点で自分に直面していたことでしょう。
私はそうしませんでした。
でももうすでに、ここに書いたことも書ききれなかったことも、いろいろなことが私に起こっていました。
それらは互いに重なり合い、草木が土の下から懸命に芽を出そうとするかのように、私がいつか閉めてしまった心のふたを押し上げていました。
「自分はなぜ、勉強しているのか」
それに気付いた時、そのふたはついに、激しく音を立てて開ききったのです。
自分の人生の、一番大きな目標だったからというわけでもなく。
誰かを元気付けたいという願いのためでもなく。
作家に強くあこがれていたからでもなく。
夢を媒介にしてたくさんの人が認めてくれるからこそ、私はその夢を持ち続けてきたということに気付きました。
「よく見られたい」「認めてほしい」「生きる意味が欲しい」……その自分の強い欲望をかなえる重要な手段が、そしてさみしい私の心を落ち着かせてくれるかりそめの場所が、夢だったのです。
そんな欲と逃げの塊でできていた夢が本当の夢と言えるはずがありません。
私は長い間夢だと思っていたものが粉々に崩れていくのを感じました。
それは絶対安全だと思っていた足もとの床が、不意になくなったようなショックでした。