4‐3
- ナノ -


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 そして私に大きな影響を与えてくれたものがもうひとつあります。それが、他でもない「書く」ということでした。
 高校生になり、私は部活で文章を書くようになりました。書くことが好きで入った部活ですが、部活なので今までのように書きっぱなしにしておくことはできません。
 それを覚悟し、また、そのような環境の中なら私も作品を仕上げることができるのではないかと半ば期待してもいました。
 けれども、「本当に書き上げることができるのか?」という疑問や不安は、日が経つにつれて少しずつ深刻なものになっていったのです。
 自分を励まし、時には弱音をはく自分をごまかしながらなんとか作品を書き進めていった結果、書き終えた後何よりも真っ先にきたのは、実は達成感などではなく大きな疲れでした。そして本当に目の前にある作品は私が書いたのか、という信じられない思いだけでした。
 自分がすごいということをこの作品で証明したいという気持ちや、純粋に自分の作品を見てもらいたいという気持ちも、この時確かにあったと思います。
 しかし同時に、「人の目」を気にする私が、自分の書いたものを人にどう見られるか気にしないはずがありません。
 こういう人だったんだ、この作品おもしろくない、とがっかりされたらどうしよう。
 そう思うと、でき上がった作品を誰かに見てもらいたいという気持ちはどんどんしぼんでいきました。



 そんなある日のことです。
 いつものように学校にきて、自分の席に座った私のところへ、ある友達がやってきました。
 普段は、あまり一緒に話すことのない友達です。
 私は、どうしたのかな、と少し不思議に思いながらその友達に笑いかけました。
 すると、その友達はこう言ってくれたのです。
 「作品読んだよ。おもしろかった」と。
 その時、私は今まで感じたことのないような気持ちがこみあげてくるのを感じました。
 それは熱いかたまりでした。たとえでもなんでもなく、心の奥が一瞬にしてかっと熱くなって、それが体の中を駆け巡ったのです。
 その不思議な気持ちの中には、ただ、「書いてよかった」と思う気持ちしかありませんでした。
 文を書くのは楽しいことなのに、これまでずっと感じていたもやもやしたもの。そして文を書くのは好きだ、得意だという思い。
 それさえ、一切感じられなかったのです。
 長年、それこそ毎日といっていいほど、好きで文章を書き続けていた私です。けれどもその間、一度もこのような気持ちになったことはありませんでした。
 私は自分に何が起こったのかよく分かりませんでしたが、その後少しずつ作品を完成させることが普通にできるようになっていきました。
 人に見せることですごいということを証明したいという心も、「がっかりさせるんじゃないか」「人に見せたくない」そんな恐怖も、徐々にではありますが、なくなっていったのです。
 それは私のなかの大きな変化でした。
 私は、心の底から生じた感動に動かされるということを知りました。




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