3‐1
- ナノ -


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 ところで、自分の中でもそういうごたごたがありながら、中学時代もまた、クラスや学年全体の人間関係がごたごたと落ち着かない時期でした。
 いくつかは、あなたたちにも話したでしょう。
 それはたいてい友達同士……友達グループの問題で、誰かが仲間外れにされたり、ある特定の人の悪口がどこでも言われたりしているという事でした。
 私自身は、自分が過去に友達を傷つけてしまっていた、ということに対してひどく罪悪感を持っていましたから、これ以上誰かを傷つけたくなくて、一緒になって悪口を言ったりよくないことをしたりすることはありませんでした。
 また、悪口をいう、などということはまわりまわって結局誰かに嫌われてしまう、ということです。ですから、嫌われたくない、一人にされたくない、という思いを持っていたことも、幸か不幸かそうしたことをしない理由につながっていたと思います。
 しかし、いくらそう思ってそのごたごたに自分からかかわろうとしなくても、同じ学校の同じ学年の出来事です。完全に無関係でいるわけにはいきません。
 そのうち、いつもどのような方向からか関わることになり、次第に何でこんなことが起こるんだろうと悲しくなってきました。
 止められるものなら、止めたかったです。
 しかし、いつも一緒にいる友達にさえ自分の気持ちをうまく伝えられなかった私です。
 悪口を言ったり、よくないことをしたりしている人たちに向かって自分の意見を言うことなんて到底無理なことでした。
 それに現実的に考えて、「やめろ」といったところで本当に状況がよくなるかといえば、どうしてもそうは思えません。少なくとも私がその人たちの立場なら、そんなことでは絶対やめないでしょう。むしろ、そう言われて逆にヒートアップしてしまうかもしれません。
 それなら、本当にいろんなことを良い方向に向かわせたいならば、どうしたらいいのか。
 そして私には、いったい何ができるというのか。
 そう思い続けて、私はこんな考えにたどり着きました。
 ひとつは、悪口を言われたりしてつらい思いをしている人に対しても、自分が他の人にするのと同じように普通に関わっていくということです。
 それに加えて、何かに気付き、アドバイスできることがあれば、その人に言ってみることにしました。人間関係のごたごたは、最初は双方のごく小さな食い違いから始まることが多いと、だんだんわかってきていたからです。その食い違いの原因を知って、お互いに相手を認めることができれば、少しは何かが変わっていくのではないかと思ったのです。
 そして、私が自分なりに特に一生懸命考えたことの答えは、もうひとつ別のものとしてありました。
 それが、つらい思いをしている人たちだけではなく、その人たちにそう思わせている人たちでさえも敵にせず、自分の中で受け入れてしまうという事です。
 悪口を言っている人、ひどいことをしている人、彼らは確かによくないことをしていると言えるでしょう。
 しかし、だからといってその人たちをただ一方的に責めたりするだけでは根本的な解決にはならないのではないか、と私は思いました。なぜなら、その人たちも何かいろいろな苦しみやつらさを持っていて、その不安や苦しみをうまく逃がす方法を知らないということが原因で、誰かを攻撃してしまうのかもしれないからです。
 もしそれが理由の一つなら、たとえひとつの問題を解決できたとしても、また同じことが繰り返されてしまう可能性も少なくありません。
 本当の意味で解決するとなると、その人たちの苦しみ、つらさ、不安といったものにも気づき、そしてできることなら少しでもそれらを和らげてあげなければならないでしょう。
 あの人は悪い人だからと最初から取り合わないのではらちが明かないのです。
 だから、理解しようという姿勢がとても必要なんだと、私は思いました。




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