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そのときの自分には、嫌われたくなくて自分の意見を言わなかったり質問をしなかったりしていた意識はありましたが、自分の存在を認めてもらうために夢などを使っているという意識はありませんでした。
しかし特に夢については、追いかければ追いかけるほど離れていくような気がしていました。
そして、夢に助けられた時や、もっといえば何かを書いている時でさえ、よくわからないもやもやとしたものを感じることがありました。
自分は書くことが好きだし、いい目標だと思っている。
それなのに、どうしてもそれひとすじに身を投げ出せない。
具体的にいえば、作品がどうしてもすべて未完のまま終わってしまうということがあります。
これはなぜか私をあせらせました。
たぶん「これでは全然すごいと思ってもらえない」とどこかで嘆く気持ちもあったのでしょう。
この時、すでにもやもやと焦りの正体に気づける状態にはなっていたのかもしれません。しかし、きっとその正体を知りたくなくて、深く考えることを避けていたのです。
そうやって目をそむけ続けてきた結果、私はいつの間にか無意識に人の目を気にし、すべてにおいて完璧を目指すようになっていました。
もちろんたくさんのことをすごいと言ってもらって、自分を認めてもらうためです。
自分に負けないためにやっていると思っていましたが、勉強もまぎれもなくそのひとつの形だったのです。自分の本当の気持ちを表現することをほぼ封印してしまった私は、そういうことでしか、もはや自分をアピールできなかったのかもしれません。
しかし、失敗があってはいけない、欠点があってはいけない、何事も完璧でなければいけない……と、そのことがどんなに息苦しく、余計に自分を追い詰めていたことでしょう。
その苦しさが、私をまた感情的にもしました。
私は人の前では怒ったり、泣いたり、悲しんだりと強い感情を表には出しませんでした。
けれどもひとたび一人になったり、日記などを書いたりすると、時にそんな感情がすべて嘆きに変わって一気に出てきました。
ですから、このころの私の日記を見ると、日によって浮き沈みが激しくなっていることが分かります。
そのころは「自分の日記なんだから気分のままに書いても何の問題もない」と思って書いていましたが、感情がころころ変わってしまうということは、自分の気持ちをうまくコントロールできていなかったという証拠でもあります。うまい具合に外に向けてそれらを表現することができていれば、そんなことにはならないはずだからです。
また、ストレスからか孤独感や悲壮感に浸り、「なぜ私だけがこんなにつらい目に遭うんだろう」と思うこともありました。
小さな悲しみも、私は大げさに悲しんできたような気がします。
そしてそれは、確かに悲しいのですが、奇妙に心地よくさえありました。
小学生の時からひたすら物語を読んできた私は、苦しい状況において、まるで自分が悲劇のヒロインになったかのように考えていたところがあったのかもしれないと思います。
それは私にとって、憧れの物語の主人公に近づけるという点では、不名誉ではなかったということだったのかもしれません。
その一方で、私はやはり、誰かが私を助けてくれることを信じていたのです。
親友はどこからかやってくるものではない、自分の心次第でどこにでもいるのだと言うことに気が付く、ずいぶん前のことでした。