都道府県のテスト
- ナノ -


都道府県のテスト

 今日、六時間目の総合の時間に社会の都道府県名テストがありました。テストのプリントを見たら、きんちょうしてどわすれしそうになったけど、今日のテストで初めて全てのマスをうめることができました。なんだか今回は自信満々でした。
 そして答え合わせが終わってみると……。
「やった! 満点だ!」
 本当に、とてもうれしかったです!

                          ―― 六月六日



 都道府県の位置と名前を答えるテスト。
 それは誰もが通ってきた道なのではないか、と私は思っている。しかもたいてい完璧に覚えるまでテストは続く。この日にあったのはどうやら三回目の都道府県テストだったようだ。それも一、二回目のテストと全く同じ内容である。
 私の記憶に間違いがなければ、この後も数回テストは続けられた。しぶといものだ。しかし考えてみれば私が全ての都道府県名とその位置を覚えられたからといって、他のみんなも全員覚えているとは限らない。なるほど、何度もテストがあるわけだ。
 私ははじめ、「何でこんなのを全部覚えんといけんのん」とかなり面倒くさがっていた気がする。まだ小さな世界で生きていた私にとっては、自分の住んでいるところや比較的近くの場所以外は、とても遠くてぼんやりとした手の届かないところだった。イメージが湧きにくく、あまり興味もなかった。
 ところがそれほど勉強もせずに二回目のテストと練習のプリント(もちろんこれも同じ内容!)をやっていくうちに、ちょっとした変化が起こった。
 テストが配られる。学年組名前を書く。分かるところを答えていく。そしてすぐに手が止まる。時間はあるがこれ以上は分からない、というところまでくる。
 私はすることもなくただテストを見つめる。
 答えた問題と問題の間に平然とした顔をして空欄が並んでいる。鉛筆の黒の中にぽっかりと空く白。この白がいやだ、と私は思った。何か書きたい。色合いは黒より白の方が好きだ、しかし今はそんなことを言っている場合ではない。私はそこにとにかく文字を書きたいのだ。
 でも何を書けばいいのか。
 でたらめを書くか。
 それもいやだ、と思う。
 では正しい答えを思い出して書くか。
 だめだ、もう何にも覚えていない。
 気にしちゃだめだと思った。こうなったらそれしか手はないだろう。
 と思っても、いつの間にか目は空白の白に注がれている。それでもどうすることもできずに、結局にっくき空欄をやっつける前にタイムオーバーになってしまうのだった。
 そんな奇妙な感覚がたびたびつきまとった。それで私はどうすればいいのか考えた。答えは簡単だった。つまり正しい答えを完璧に覚えていればこうじれったく思わなくてもいいということである。
 ということでこの際だから白状してしまうが、都道府県名を学びたいからがんばってテスト勉強をしたのではなく、空欄と言う私の心をかき乱す存在をなくすために勉強した、という方が正しいのではないかと思う。「覚えてなくて悔しい」のではなく、あくまでも「書けなくて悔しい」のである。私とはそういう人間のようだ。今でもじつは度々そんな気持ちになる。空欄と私はどうも仲が悪いらしい。
 理由はともあれ、何とか無事に都道府県名とその位置を覚えた私は、この日とてもうれしくて日記にありあまる喜びを託した。その後の都道府県テストでもほぼ満点をとれ、このテストに限っては空欄は全く私の敵ではなくなった。少しずつ成長していくにつれて、だんだんと都道府県名と位置を覚えていることの重要さにも気付くようになった。日常の会話やテレビ、新聞などで聞いたり読んだりした都道府県がどこにあるか分かるというのはとても便利なことである。それに、私は今でもほとんどの県の名前と位置を言える。
 完璧だ。
 しかし私はひとつ、大切なことを忘れていたのである。


「あれ……いばらぎのいばらってどうだっけ」
「やまなしのなしが思い出せない」
「ぎふって漢字で書けない……」


 恥ずかしながら、未だに都道府県テストとの真の決着は終わっていないようであった。



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