はじめに
- ナノ -


はじめに

 小学生の頃はよかったな、としみじみ思うことがある。
 小学生なら今より多くの時間を遊びに費やせる。夏休みは自由研究という大きな敵が待ちかまえてはいるが、それとこまごました宿題を乗り越えることさえできれば、あとは遊び放題だ。課外授業もなければ部活もない、もちろん休みあけのテストもない。
 そしてなんといっても、勉強自体がおそろしく簡単である。これほど大きな特典はないであろうと高校生の私はつい考えてしまう。中学、高校とあがっていくうちに、私たちの生活は勉強に占領される時間がどんどん増えてきた。それでもまだ、中学の時は義務教育なので救いがあった。しかし高校には欠点という存在がある。まあいいや、今回はあきらめようと思ってスッパリ勉強をやめたとすれば、欠点が度重なって進級できなくなるかもしれないのだ。これはとんでもないプレッシャーだ。こうなると否が応でも勉強しなければならないというものである。
 日常では使いそうもない数式や知識なんかを頭に詰め込みながら、小学五年生の妹を非常にうらやましく思う。そのたびにあの頃はよかったな、となにやらおばさんくさいフレーズが頭の中をかけめぐるわけだ。
 だが、妹をよく見てみると、どうも彼女にとって今の勉強は簡単じゃないというところも多いようである。私も彼女の困り顔をみたのは一度や二度ではない。ということは、小学五年生だった私もこのように悩んでいたのであろうか。
 「思い出は美化される」という。今考えてみると楽だったと思うことも、もしかするとその時はつらかったかもしれないのだ。それなら、小学五年生の勉強がどのようなもので自分はどう感じていたのか確かめてみるのが一番はやい。
 ここに小学五年生の時自主的に書いて先生に提出していた十冊の日記帳がある。今読み返してみるとこのようなものを先生に提出していたのかと少々恥ずかしくなるが、これらは正真正銘私が小学五年生として生きたという大事な証である。他人の目をはばかることも知らないありのままの日記の中から、小学生だった私が勉強をどう思っていたのかもう一度見つめ直してみよう。
 そして今の私がそれをどう感じるのかも。




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