その10
- ナノ -



先生の配慮 10

 今思えば小学生の頃はそんなに環境を意識して仕事をやっていたわけではなかったのだ。どちらかというとそれは私にとって、与えられた仕事を一つ一つきちんとやっていく、という形で意識された委員会の活動だった。しかしそのような中でも環境の知識はいつの間にか私の中に蓄積していったらしい。中学生になって、二番目のテストがあったとき、理科の問題に「二酸化炭素などの温暖効果で地球の温度が上昇する現象をなんというか」というのがあった。答えは今でこそ知らない人はいない、地球温暖化。確か教科書にきちんと出ていたことでもなく、先生も授業で詳しくはやっていなかったのだと思う。答え合せのとき、「これは知っている人はできたかもしれませんね」と先生がおっしゃった。私はそのときの理科の点数はさっぱりしないものだったが、ばっちりそこの問題は合っていた。てっきりみんなできている問題かと思ったら、そのときはそうでもなかったようで、驚いてしまった。
 このときになって私は初めて、「ああ自分は、環境のことに興味があって、小学生の間に環境委員会でいろいろ学んでこれたんだな」と自覚した。それは大きな発見だったし、環境についてさらに興味をわかせるのに十分なものだった。そうして、私は自分で環境をちょっと意識してみることができるようになった。新しい世界が開けたようだった。
 今なら言える。これが「先生の配慮」であったのだと。
 委員会を決めた時はただひたすら図書委員がやりたくて、それでその願いをかなえてくださることこそが「先生の配慮」であると思っていた。でもその考え方は間違っていたのだ。本という、一言でくくれてしまいそうな分野に大きな興味がある私。だが、本当に本を知ろうとするのなら、それで終わってしまってはいけない。ファンタジー、エッセイ、論文、ノンフィクション、歴史書……本にはいろいろな、数え切れないほどの分野がある。私はその一区画しか、いや、一区画も見切れていなかっただろう。そんな私に、先生はもっと外を見るように無言のうちに示して下さったのかもしれない。結局はそうすることが、大好きな本たちをより深く知ることにつながっていくのだから。
 あのとき、ジャンケンに勝っていたら。あのとき、わがままを言って無理やり図書委員をさせてもらっていたら。思うことはたくさんある。でもこれでよかったのだ。少し漠然とした言い方になるが、私はきっと、なるべくして環境委員になったのである。
 心の窓を広く開いておきたい。好きなことを深めるのはもちろん大切だが、きっと。


 そうすることでまた一つ、新しい世界が広がる。


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