その5
- ナノ -



先生の配慮 5

 そうして、いよいよ六年生と委員会活動をする期間に入った。そのころになると、図書室で六年生を手伝い、時には自分たちで仕事をしてみている同級生をうらやましく思いながらも、さすがにあきらめはついていた。私は図書委員にもその他の興味があった委員にもなれなかったけれど、強制的に委員会を決められたわけではない。あのあと、まだ担当者が決まっていなかった委員会の中からとはいえ、自分で手を挙げて自分で決めたのだ。
 それなら、もうその委員会で精いっぱいやっていくしかない。
 落ち込んだままの自分はまだどこかにいたが、私はなんとかそう決心することができた。
 私が苦難の果てに選んだ委員会、それが環境委員会だった。中学でも、そして現在でも、「そんな委員会があったの?」と聞かれ続けてきたけっこう珍しい委員会だ。なぜ、この委員会をやろうと思ったのか。それは自分でもよく分からなかった。けれども、残った委員会の中では一番ピンと来るものがあったのである。もしかしたら無意識に消去法でもしていたのかもしれないが、そのとき私は自分の乏しいカンを信じた。
 仕事が楽な委員会を希望する人だったら私のカンは正しかったことになるだろう。環境委員会は毎日の活動もなく、仕事がないときは本当に楽な委員会だったから。しかし侮ってはいけない。放送委員会の放送や、集会委員会の劇などのよく目立つ仕事でこそなかったが、環境委員会はいろいろな細かい仕事を受け持っていたからである。
 昼休み、黒板消しクリーナーのコンセントが抜かれているか、部屋が明るいときはちゃんと電気が消してあるかなどを週に一度調べる「省エネ運動」、当番制で、決まった曜日に、朝運動場に落ちているゴミを拾う「ゴミ拾い活動」、環境について理科室においてある本を調べ、情報用の新聞一枚、クイズ形式の新聞一枚を作る「環境新聞作成」などなどだ。途中から環境省が運営する「こどもエコクラブ」に環境委員全員が加入した。会員の証として手帳がもらえ、その中に書いてある環境の情報は時々新聞作成にも使ったりしていた。こうしてみると、その当時はめんどうくさい活動だったが、今ではけっこうすごい活動をしていたのだなというふうに感じる。




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