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自分が今まで見ないふりをしていた、一番大きくて怖いものに向き合った後、私は自分に隠していたものがそれだけではなかったということにも気づきました。
たとえば、それは怒りや憎しみや、恨みなどの暗い感情です。
私は自分にそのような感情があることを嫌い、自分の中のその存在を否定してきました。
たくさんの人を受け入れようとしていたことや、誰からもよく見られたいと思っていた私にとって、それらは忌まわしく邪魔なものでしかなかったからです。
特に受け入れることについてはそうとう無理して自分の感情を押し殺していたのでしょう。だから大部分の人に悪いイメージを持つこともなく、受け入れられているような気がしていたのだと思います。
しかしそれらの感情は表面では消すことができたように見えても、完全に消え去ってはいなかったようです。
たまっていった暗い感情を見るのを恐れて、私はいつの間にか、自分の心の奥をのぞけなくなっていました。
それは、その場所にもともとあった、自分の一番素直でとうめいな気持ちや感覚さえ見ることができなくなるということです。
私は「文章が人を表す」という言葉が正しかったことを知りました。
よほど注意しなければ本当の気持ちをまっすぐに書くことができず、気がつくと見た目ばかりが美しい飾りで書き並べられていた私の文章は、素直な部分で生きることができない代わりに完璧な自分を作っていた私そのものだったのです。
作った自分は本物ではありませんから、自分の中でさえ意見や考えが矛盾したり、何をするにも自信が持てず、人の顔色を気にして行動したりしていたのでしょう。
大切なのは暗い感情をなかったことにすることではありませんでした。
それらは確かに自分の中にもある、と、受け止めることだったのです。
人間が、明るい部分と暗い部分、どちらかだけで生きることはきっとできません。一見、悪いことにしか関係していないように思える暗い感情も、それはどこかで必ず何かの役割を果たしているはずです。
自分を大切にするということは、自分が感じた明るい感情だけではなく、そんな暗い感情をも認めてあげるということでもあったのです。
心のコントロールはそうした上ですればよく、それは暗い感情をなかったことにしていたときよりも、ずいぶんとやりやすいことでした。
そう気づいてから、理由のない不安や自信のなさは次第になくなりました。
自分が思っていることを、以前よりもそのまま表現できるようになりました。
失敗することにおそれを感じなくなりました。
自分を作ることをやめて、人と楽に接することができるようになりました。
そして、感覚をとぎすますことができるようになりました。
悲しみを嘆かず、ファンタジーのような物語にすがらず、自分から少し離れたところでその両方の良さを知ることができるようになりました。