5‐4
- ナノ -


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 自分がいろいろなものに興味があるのだということも、わかったことの一つです。
 私はファンタジーが大好きだったので、ファンタジーを書く作家になりたいとずっと思っていました。
 しかし、それはある方向から見れば、自分の視野をとてつもなく狭める行為でもあったのでしょう。
 私は気づかないうちに、ファンタジー作家になるには、ファンタジーと作家にしか興味を持ってはいけないという固定観念にとらわれていたのです。
 それは私が中学までに読んだおびただしい数のファンタジーや、作家、小説の書き方についての本を見てみればよくわかります。
 動物や自然、いろいろな国、誰かの話……
 たくさんのことをおもしろそうだと感じてはいました。
 でもそれらは同時に未知であり、自分の夢には関係ないと思ったので興味を持っているとは見なされなかったのです。
 高校になり、自分に挑戦するためにファンタジーを封印して、様々なジャンルの本を読み始めたこと。
 夢が本当の夢ではなかったことに気づいて、なくなったこと。
 その二つが決定打となり、視野を狭める壁は砕かれていきました。
 結果、作家やファンタジーだけではなく、自分が興味のあることはそこら中にあふれるほどあると気づくことになったのです。
 もともとおもしろそうだと思っていたものにはもちろん、よくよく見てみると数学や科学などの苦手な分野にさえ、おもしろいな、と思えることはありました。
 一見興味のないことに思えるものでも、実はそれは日常のいたるところにあって自分の興味のあることにつながっていたのです。
 自分が好きなものからも、そうでないものからも、もっとたくさんいろんな「楽しい」に気づきたい……そう考えるようになって、ある日ふと、こう思いました。
 勉強というのはきっと、あらゆるものからおもしろさを知る、そのためにするのだと。
 私たちはたいてい、自分の興味のあることは自分から知ろうとしますが、興味のないことは知ろうとしません。
 でも、やっとことがないだけで、または自分がおもしろくないと暗示をかけているだけで、実はおもしろいと思えることはたくさんあるかもしれないのです。
 自分がはじめから好きなものだけを学び続けて、そういう「本当は興味が持てるもの、おもしろいと思うもの」に気づくことができないのはとてももったいないことだと思いませんか。
そう考えれば、自分の興味があるもの、ないものといろいろな分野をまんべんなく学ぶことができる学校の勉強は、自分の好きなことを深めると同時に、「本当は興味が持てる、おもしろいと思うもの」に気がつくきっかけを与えてくれる貴重な時間なのです。
 その時ある程度の量をこなすのは、基本的なことをしっかり身につけてよりおもしろさに気づきやすくしたり、「あれは苦手だけど、こっちのはなんかちょっとおもしろい」と思える可能性を増やしたりするということでもあるのでしょう。もちろん、その分野自体全部好きと思えるのはすてきなことです。
 しかしだからといって、無理にまるごとすべてを好きになる必要もありません。
 まずはどこか少し、ほんのちょっとでもおもしろいと思えるだけで、その分野への自分のイメージは明るくなるはずです。
 そうすればそこからまた新しい「おもしろいこと」を見つけられるかもしれないし、将来教科書などでその分野を思い返してみたときに、好きだったとはいかなくても懐かしい気持ちにはなれるかもしれません。
 もう振り返りたくないというものがたまるより、そういうものがたくさん増える方が楽しく暮らせるような気がします。あらゆるものからそのおもしろさを知るということは、生活する中で楽しいと思えることを増やすということなのです。
 それでもどうしても好きになれない分野もあるかもしれませんが、どんな分野も少しずつお互いにつながっているので、それを勉強することだってけっして無駄なことではありません。
 好きになれないことでも、学んでいく中で自分の興味のあることにつながる思わぬ道を発見できることがあります。その点では、間違いなく、自分の好きなことをより深く知ることに続いているのです。
 私には、今はとてもすべての人を受け入れるだけの心はありません。でも、たくさんのことをおもしろいと感じたり、その必要性を見つけたりするということは、その分野を好きな人たちやそれに携わる人たちに少し近づけるということだと思います。
 それは人を理解することにもつながっていくのではないでしょうか。
 その意味でも、私は多くのことを楽しみたいと、本当にそう思います。

 


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