そらへ
2017/03/10 23:33
そらを飛ぶ夢をよく見る。
おおきな一羽の鳥に乗っていたり、
信頼する竜の背のうえにいたり、
自分自身がかろやかな鳥になっていたり、
立派な翼と鱗を持つ竜になっていたり。
あるときは、この、ひとの姿のまま、
そらを飛んでいることもある。
そんなときは、たいてい、こんな考えが浮かんでいる、
「なぜ、いままで、飛べないと思っていたのだろう?」
飛んでみようとすれば、そう、
飛んでみようとしさえすれば、こんなにも簡単に、
ふわりとそらに舞いあがることができたのに、と。
朝や昼、夜のときもあるが、
そらはいつも、雲ひとつなく晴れ渡っている。
そんなそらを、どこまでも飛んでいく。
どこを目指すということもなく、
とにかく、遠くへ、まだ見たことのない、
はるかな場所へ向かって、
どこまでも、どこまでも飛んでいく。……
そう、これは夢だ。
目が覚めれば、どうということはない。
おおぞらに運んでくれた鳥も、竜もいなければ、
ひとの姿であるし、そのまま飛ぶこともかなわない。
けれども、ある日、
夢のなかでそらを飛んでいた、あの感じ、
あの感じを、この現実の世界でも、
たしかに知っていると思った。
それは、たとえば、好きなことをしているとき。
それは、たとえば、やってみたいことに挑戦しているとき。
それは、たとえば、まだ知らない、新しいことに出会ったとき。
それは、たとえば、大切なひとたちといっしょにいるとき。
それは、たとえば、……大好きなひとと、言葉をかわすとき。
世界が、どこまででも広がっていく。
この感じ。この感じを、私は知っている。
そしておそらく、その名前も。
……「自由」という、その名前も。
「なぜ、いままで、飛べないと思っていたのだろう?」
めぐる日々の流れに、さらわれそうになる毎日。
けれども、そっとつぶやいてみる。
飛んでみようとすれば、そう、
飛んでみようとしさえすれば、
ふわりとそらに舞いあがることはできるはずなんだ、と。
飛びあがることをおそれたり、ためらったり、
あきらめたりしているのは、
誰でもない、そう、ほかの誰でもない、
きっと、じぶん自身なのだ、と。
もっと、できることはある。
もっと、飛んでゆくことはできる。
もっと、遠くまで行ける。
そして今日も、そらを見あげる。
果てなく広がる、そのそらを。
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