- ナノ -



いまなら
2021/11/07 22:08

いまならわかる気がするんです。

高校時代。

私の通っていた学校は、とある運動部ににぎわいのある高校でもありました。

なにかとにぎやかなその部活のひとたちは、休み時間、帰り道、

よく、だるいとかきついとか言って、

その運動をすることがあまりたのしそうな感じではありませんでした。

そんなにやりたくないんならやらなきゃいいし、

好きならネガティブなこと言わなきゃいいのに、と、

私はずっと思っていました。

だけど、いまでも思い出せるんです。

彼らがとてもすてきな表情でその部活に取り組んでいたことを。

まるでその時間、その一瞬一瞬を輝かすように、

いきいきと、全力でからだを動かしていたことを。

たしかに運動量の激しい部活でした。

練習も、私が知る以上にハードでつらかったはずです。

それでもきっと、そんなにつらくてもきっと、

彼らはどうしようもなく、それが好きだったんだろうと思います。


好きであっても、苦しい。つらい。やりたくないなと思う。

それなのに、そう思うのに、やりたい。やってしまう。好きだから。


彼らは、私がいま、「何かを書く」ということを通じてやっとわかった気持ちを、

高校時代からすでに、知っていたのかもしれません。

そう思うと、過ぎ去っていった長い年月など飛び越えて、

彼らの表情が、よりまぶしくきらめき出す気がします。


好きだから、どうしようもなくやってしまうほどに、好きだと思えるものがあること。

打ち込めるものがあること。

夢中になれるものがあること。

それはほんとうにすてきなことなんだなあと思います。

高校生の私にはまだよくわからなかったけれど、いまなら、わかる気がします。

もう彼らには届かないかもしれない。

でも、ありったけの敬意と、

そのときにはわからなかったことへのごめんを少しこめて、

彼らに一礼をささげようと思います。












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