- ナノ -



どうしようもなくひきつけられる
2021/10/17 21:53

それをとても好きだからする。
魅力的に思うから、やってみる。
そういうものが、みなさんにもあるかもしれません。
それはひとによって絵を描くことだったり、何かを作ることだったり。
歌うことだったり、踊ることだったり。
読むことだったり、語ることだったり。
いろいろ、いろいろあると思います。
私にもあります。そして、そのなかで私がひときわひきつけられるもの。
それが他でもない、「書くこと」なんだなあって最近身に染みて思うんです。
それから最近、こうも思うようになりました。
私にとって書くということは、もはや、好きということ以前にからだやこころが自然と動いてしまうような、
どうしようもなくひきつけられてしまうものなのだと。
無意識によく勘違いしてしまうのですけれども、
好きなことならば、それをするときに苦しみやつらさを感じないのかといえば、
必ずしもそうではありません。
たとえば私の場合、書くことがいくら好きであったとしても、
表現したいものがうまくことばにならないとき、
書きたいのに、あふれ出てくるものがなくて筆を執ることができないときなどなど、
つらいこと、苦しいことは数知れません。
そのつらさや苦しさから解放されるには、たったひとつのことをすればいいんです。
ほんとうに、たったひとつ。
書くことをやめる、ということです。
そうすれば、そのつらさや苦しさを味わわずにすむ。
それなのに、やってしまうんです。
書き始めてしまう。ことばが出てこなくても、行き詰ってしまっても、
極の違う磁石のように、ぴたりとひきつけられてしまうんです。
書くことはもちろん好きです。
でもわかり始めたような気がするんです。
それはきっと、私にとって「好き」という気持ちに至るもっと手前にすでにあるもの。
つらいこと、苦しいこと、どんなことがあったとしても、
どうしてもやらざるを得ないほどの、自分のなかのコアにほど近い場所にあるものだということが。
好ききらい、上手かそうでないか、もうそういうところを超えたところの、
食べるような、寝るような、それに近いレベルでの欲求に近しいものを感じます。
なにかがあって筆を置いてしまっても、必ず戻ってきてしまうところ。
離れられない、そんな何か。

好きなもの、好きなことはたくさんあります。
けれども私の場合、そのなかでもいっとう、書くことに対してどうしようもなくひきつけられてしまうようです。
だからこれからも書き続けていこうと思います。
これはきっと、私にとって必要なこと。
そしてそういうものを見つけられたことは、きっとしあわせなこと。
そう思います。大切にしたいです。

願わくはみなさんにも、そのように思えるほどの自分にとって大切なものが見つかりますように。見つかっていますように。





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