- ナノ -



花火を見る
2017/08/08 23:45

ただ、きれいだなあ、すごいなあ、楽しいなあ、と思って花火を見ていた、あのころ。
父や母、妹といっしょに自宅の前などで見た、暗い夜空に花開く色とりどりのひかり。
だれかが、空に向かって口笛を吹く。
だれかが、「たまやー」と、叫びだす。
だれかが、歓声をあげる。
だれもが、花火を見あげている。
ふしぎな、一体感。
屋台をめぐって、かき氷やクレープ、冷やしパインなどをほおばりつつ、
お店に入って涼しいところですこーし休憩したり、やってくるおみこしをわくわくしながら眺めたり。
いっしょにいるひと、偶然会った友だちや知り合いと、わいわい話したり。
そんな、にぎやかな夏祭りの締めくくりを彩る、たくさんの花火。
とても、楽しみでした。ある年は、打ちあがった花火を一生懸命見て覚えて、色えんぴつで日記帳に描きました。
描きながら、「ああ、花火って、いろんなのがあるんだなあ」と、ますます花火が好きになったのを覚えています。

大人になってながめる花火も、とてもきれいで。にぎやかで。
それなのに、なぜか、すこしさみしい。
桜を見るときと、ちょっと似ているかもしれません。
きれいなのに、美しいのに、どうしてか、ちょっぴり切ないんです。
それは、ちいさかったころのことを思い出すからかもしれません。
大切な、大切な、夏の思い出。
地元の夏祭りに行って、花火を見て、楽しかったねえ、って笑いあって。
そんな夏が毎年いつまでも続くと、なんとなく思っていたあのころ。

地元から離れて、家族とも離れて、
ひとり、空の広い橋のうえからながめる花火。
かなしいような、それでいてあったかいような、
あまいような、それでいて苦いような、
そんな花火は……いまも、やっぱり、きれいでした。

いつか、どこかで。花火をいっしょに、見たいひとがいます。
場所はちがっても、時間を隔てても、
花火は私たちひとりひとりを見守っていてくれているのかもしれません。
たくさんの、かけがえのない思い出とともに。
そしてときには……これから訪れる、未来の、夏の希望とともに。





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