06





目的の相手はすぐに通話に応じてくれた。

「はい、もしもし」
「降谷さん、95の谷川です」

95というのは警視庁公安部公安総務課のコードネームである。ゼロの人間は公安部の人間の中でも限られた人間しか接触できないことになっているが、俺や風見さんはその限られた人間の内の1人だった。

「谷川か。どうした?」
「実は、直接降谷さんにお話を伺いたいことがあって。どこかで時間を取ってもらえませんか?」
「すまない、こっちはしばらく手が空きそうにないんだ。1週間後の午後なら会えると思うが、そっちはどうだ?」
「火急の用件じゃないんで、自分もそれで大丈夫です。それじゃ、1週間後の一四〇〇にサッチョウの合同庁舎に向かいます」
「ああ、そうしてくれ。……いや、やっぱりちょっと待て。偶には国会議事堂を見下ろしながらお茶でもしないか?」

降谷さんの提案に、俺はああ、と短く相槌を打った。

「了解です。んじゃ、17階でお待ちしています」
「ああ。今回も面白い話が聴けるのを楽しみにしてるよ」

こんなにもあっさりとアポを取れるとは思っていなかったので、少々拍子抜けする。だが、1週間という貴重な時間を、ただぼけっとして過ごすつもりはなかった。

(降谷さんに会う前に、俺は俺で情報を仕入れておこう)

俺はさっそく刑事部のツテを使って鑑識課に連絡を入れることにした。赤井秀一の遺体を検視した検視官に話を聴こうと思ったのだ。

警視庁の鑑識課は刑事部に属している。だが、実際には刑事部の事件だけではなく、交通事故捜査を除く組対、生安、そして公安全ての事件に対応するため、総務部に鑑識課を置くべきだという提案も何度かなされている。しかし警視庁だけではなく、警察庁の刑事局内に鑑識が置かれているため、組織改革がままならないというのが現実だった。
だからこそ、鑑識課に話を聴くには刑事部を通す必要があった。

「よお、佐藤。2カ月ぶりだな」
「えーっと、確か、……谷川君?急に連絡してきてどうしたの?」

偶には同期のグループラインにも顔を出しなさいよ、と小言を言うのは、警察学校の同期同教場だった佐藤美和子である。彼女は刑事部捜査一課のマドンナ的存在で、階級は俺と同じく警部補である。

「実は、鑑識課に話を聴きたいことがあってさ。お前の方から根回ししといてくんねーかなーと思って」
「鑑識課に?一体いつの事件の話を聴くつもりなの?」
「それはちょっと言えないんだ、悪いな」
「またそれ?公安っていつもそうじゃない。こっちには内緒でよく解らない捜査ばっかりして」
「そう言うなって。捜一と共有すべき情報なら、真っ先にお前に知らせてる。今までだってそうしてきただろ?」
「まあ、他ならぬ谷川君の頼みなら、口を利いといてあげるけど……」

佐藤はぶつくさ言いながらも、俺の希望通り鑑識課に根回しをしてくれるようだった。

「サンキュ、助かるよ。ここに連絡したらいいんだな?」
「ええ。言っとくけど、刑事部の事件に首を突っ込むのだけはやめてよね」
「解ってるよ、手柄を横取りなんかしないって。じゃあな」
「解ってるならいいわ。……谷川君も、あんまり無茶しないでね」

気遣わしげな声に頷くと、俺は教えてもらったばかりの鑑識課の担当者に電話を入れた。電話を受けたのは鑑識課で検視官をやっている管理官で、2カ月前の来葉峠の事件について話を聴かせてくれと告げると、それなら、と彼は愛想よく笑った。

「科捜研の方に回しましたよ。遺体の損傷が激しかったもんでねぇ」
「科捜研というと、法医係ですか?」
「そうです。仏さんは全身に大火傷を負っていたんですが、それ以外にも気になる傷跡があったんですよ」
「全身に大火傷……?」

伊良部先輩からもらった資料には、赤井秀一の死因については書かれていなかった。何者かに襲撃された、という文面からは、そこまで読み取ることは出来なかったのだ。

「はい。詳しいことは、科捜研の方で聴いてもらったほうがいいかも知れません」
「解りました、情報提供ありがとうございました。また確認したいことがあれば、連絡させてもらいます」

これは思った以上に根が深い事件なのかも知れない。その火傷が直接の死因なのか、それとも死んだ後で遺体を焼いたのかは解らないが、どちらにしても並みの殺意ではない。
俺は気を引き締め直して、改めて警視庁科学捜査研究所の生物科学分野法医係に連絡を入れた。俺の求めに快く応じ、警察合同庁舎7階にある科捜研の入り口で俺を出迎えてくれたのは、俺と同年代の白衣を着た女性の研究員だった。

「初めまして、えっと、……秋山主任?」
「谷川です。公安部の谷川颯」
「失礼しました。私は法医係の野村と申します」

彼女は東都大学の薬学部の出身で、科警研での所定の研修を終えてDNA型鑑定員の資格も取った、所謂“科捜研の女”である。4年次の授業で法医学を学んだことがきっかけでこの分野に興味を持ち、科捜研の採用試験を受けたとのことだった。

「赤井秀一の遺体の鑑定に協力してもらったのは、東都大学の医学部病理学科法医学教室の、私の恩師です。こちらがその資料ですね」

野村研究員は俺の“赤井秀一という男の遺体の状態について、できるだけ詳しく教えてほしい”という漠然とした問いかけに対し、淡々と口を開いた。

「彼の遺体は2発の弾痕の他に、車の火災によって負った火傷のためにひどく傷んでいました。顔なんかはもう判別がつかない状態で、上肢も下肢もほとんどが焼けてしまっていました」
「火傷については聴いていましたが、2発も弾痕があったんですか?」
「はい。右側頭部に1発、それから胸部に1発ですね。胸部の方は肋骨に弾丸が当たってヒビが入っていたために判明したんですが、頭部を打ち抜いた弾丸と口径は一致しています」
「肺を打ち抜いて動きを鈍らせ、頭部でトドメを刺した訳ですね。火傷はその後に負ったものですか?」
「恐らくはそうです。死体蹴りという言葉がありますが、これはそれより更に酷いですよ」
「やり方が非常に残酷というか拷問染みているというか、素人のそれじゃない。彼を襲撃したのはやっぱりプロの人間ということか……」

やはり赤井秀一が日本で内密に捜査をしていた謎の組織の人間が、FBI捜査官の彼を邪魔に思って殺害したと考えた方がしっくりくる。だが、これはいくら何でもやりすぎではないだろうか。こんなに派手な殺し方をしたら、FBIの、ひいてはアメリカ合衆国の報復感情を煽る事にもなりかねないと思うのだが。

「この遺体が赤井秀一のものだと断定するに至った根拠は何ですか?遺体はほとんどが焼けてしまっていたんですよね?」

俺が頭の中の情報を1つずつ整理しながら問いかけると、彼女は我が意を得たりとばかりに頷いた。

「それがこの遺体の奇妙な所なんです」
「と言うと?」
「彼の遺体はほとんどが焼けてしまったんですが、両手だけが辛うじて焼け残っていたんです。彼の着ていた耐火加工されたズボンのポケットに、手を突っ込んでいたお蔭でね」
「何者かに襲われて自分の命が危ないって時に、ポケットに両手を突っ込んでいた……?それは確かに不自然ですね」
「ですが、科捜研の鑑定結果に余計な推測を挟むことはご法度です。私達は依頼された通り、焼け残った右手から採取した指紋と赤井秀一の指紋の一致率を調べ、その結果を鑑定の依頼主であるFBIに伝えました」

その一致率がほぼ100%であったため、遺体は赤井秀一のものであると断定するに至ったのだと彼女は語った。

「赤井秀一の指紋を、どこかで入手していたんですか?」
「彼が生前使用したことのある携帯電話に、焼け残った右手と同じ指紋が付着していました。携帯電話の提出元は彼の同僚であるFBIで、彼女は遺体が赤井秀一のものではないことを必死に祈っているようでした」
「使用したことのある、というのは?」
「その携帯の本来の所有者は小学生の少年なんです。たまたま彼にその携帯を貸し出す機会があったとかで、彼の右手の指紋がそこに残っていたんです」
「右手の指紋、ねえ……」

以前あの男が携帯電話を使う所を見たことがあるが、左利きである彼は左手で携帯電話を操作していたように記憶していたのだが。

(どうにもしっくり来ないな……。全体として筋は通っているんだが、むりやりその筋書きに当てはめたかのようなちくはぐさを感じる)

だが、ひとまず欲しい情報は得られたのだ。これ以上科捜研に居座る必要はない。あとは降谷さんに直接訊くなり何なりして、納得がいくまで調べてみればいい。

「ありがとうございました、野村さん。詳しくお話を聴けて良かった」
「いいえ。警視庁の方のお役に立てるよう、情報提供をするのが私達の勤めですから」

そう言って最後ににっこりと微笑んだ“科捜研の女”は、俺よりいくつも年下の初々しい女性に見えた。

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