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1週間後の午後2時、科捜研で得た情報を手に、俺は警視庁本部庁舎の17階に向かった。このフロアには都内の有名ホテルが直営している喫茶室がある。朝は前日の宿直員の朝食、昼間は本部各部の来客の応接、夕方は幹部の時間調整に使われることが多い。ここの窓からは国会議事堂を眼下に見下ろしながら食事ができるのだが、国会議員を見下ろしながら優雅にお茶をするのは悪い気分ではなかった。

俺が喫茶室の入り口に近付くと、そこには既に目立つ金髪の後ろ姿があった。いつものグレーのスーツ姿ではなく、幾分ラフなジャケットを着ている。この人がそんな恰好をしていたら、ますます年齢不詳に見えてくる。というかそんな恰好で、よくここまで入ってくることが出来たものだと感心してしまった。

「降谷さん、呼び立ててしまってすみません」
「……っと、谷川か。気配がないからびっくりしたよ」
「特に気配を消しているつもりはないんですがね」

俺が苦笑しながら返事をすると、降谷さんは俺の足元をまじまじと見つめてきた。

「どうしていつも君の気配に気付かないのかと思っていたんだが、ひょっとしたらその靴のせいかもな」
「へ?これですか?」
「ああ。普通の革靴に見えるが、足音が全く聴こえなかった」

降谷さんの視線を追って、俺も自分の足先を見つめる。何も特殊なオーダーなんてしていない、ごく普通のスニーカーである。

「ただのウォーキングシューズですよ。見た目は革靴っぽいですけど、靴底はスニーカーと同じ素材で出来ているので、歩くのが楽なんです」
「そういうタイプのスニーカーが販売されているのは知っていたが、これがそうなのか。僕達公安にはうってつけの靴だな」
「俺のおすすめのメーカー、降谷さんにも教えましょうか?」
「ああ、頼む」

他愛も無い会話を交わしながら、俺達は並んで喫茶室に入った。比較的空いている時間帯であったため、お目当ての“国会議事堂が見下ろせる”広いカウンターの右隅の席は無事に確保することが出来た。

「そう言えば、交通課に聴きましたよ。降谷さん、また車潰したんでしょう?」

アメリカンコーヒーを2つ頼むと、俺は揶揄うように降谷さんの横顔を上目遣いに見やった。正確には、事故を起こしたのは僕じゃなくて“安室透”だがな、と言って降谷さんは肩を竦めた。

「今回は仕方ないだろう。子供が誘拐されていたから、早急にカタを付ける必要があったんだよ」
「いやいや、別に批難してる訳じゃないっすよ。ただ、もう生産されてない車なのに、犯人確保のためなら思い切りがいいなーと思っただけです」
「まあ、そのせいで彼女を巻き込んでしまったことだけは、反省しないといけないとは思うがな……」

降谷さんの独白に、俺はそうっすね、と深々と頷いた。降谷さんの言う“彼女”というのは、彼の協力者の本田さくらのことだ。一昨日の深夜、降谷さんは王石街道の上り路で、1台の乗用車と追突事故を起こしていた。目的は彼が語った通り、降谷さんの知人の少年が誘拐され、その車を強制的に停車させるためである。彼女はこの時、降谷さんの愛車の助手席に座っており、そこに突っ込んできた乗用車に足を挟まれ、全治2週間の怪我を負って入院する羽目になったのだ。俺も以前、降谷さんの運転する車に乗っていて死ぬような思いをしたことがあったのだが、あんな思いを一般人に味わわせるのは褒められた行動ではない。

「まあでも、降谷さんのことだから、アフターフォローも完璧なんでしょ?」
「今日も朝イチで見舞いに行ってきた。やっと目を醒ましてくれて安心したよ」
「へえ、よかったですね。肩の荷が1個下りたじゃないですか」
「肩の荷と言うか……、まあ、そうだな」

降谷さんは珍しく歯切れの悪い返事をした。その時、降谷さんの左手首に見慣れないものが嵌っていることに気付き、俺はあれ?と首を傾げた。

「降谷さん、時計変えました?」

以前はシンプルな革製の腕時計をしていたように記憶していた。それが今は、スリムなデザインの黒いデジタル時計に変わっている。
俺の指摘に、降谷さんは図星を指されたように苦笑した。

「本田さくらに貰ったんだ。貰ったと言うか、正確には購入したんだが」
「ってことは、彼女が開発に携わった製品なんですか?」
「ああそうだ。彼女が日本企業と連携して開発した、最新式のスマートウォッチらしい」

そう言って降谷さんはトントン、とスマートウォッチの表面をつついた。

この1週間で、降谷さんは一気に本田さくらとの距離を詰めたようだった。スマートウォッチなんて安くもない買い物をあっさりとこの人に決断させる程度には、彼女の技術はこの人にとって不可欠なものであるらしい。この時計にしたって、単なるウェアラブル端末としての用途で買った訳ではないのだろう。普通に時計を買い替えるだけなら、わざわざ協力者の手を通す必要はないからだ。

「どんな機能が搭載されているんですか?」
「ヘルスチェックを行ったり、GPSで居場所を検出したり、通信機器としても使えるらしい。これで実際に通話をしてみたんだが、スマホと利便性の面では大して変わらなかったな」
「へえ。俺も1つ買おうかな。彼女を通せば、多少安くしてもらえるんですか?」
「さあな。気が向いた時にでも、彼女に掛けあってみるよ」

降谷さんはまったく期待できない口ぶりで素っ気なく応えると、湯気を立てるコーヒーに口を付けた。

「降谷さんって、案外独占欲強いんですねぇ」
「……何の話だ」
「いえいえ。自覚がないなら別にいいっす」

俺はさらりと躱して本題に入ることにした。降谷さんは釈然としない顔をしながらも、俺が真顔を作ったことでこちらがどれだけ真剣なのか解ってくれたらしい。唇を結んで、目顔で続きを促した。

「実は俺、今、とある人物の死因について調べてるんですけど」
「とある人物?」
「はい。赤井秀一って、降谷さんは」

ご存知ですか、と続けようとした言葉は、ガチャンと鳴ったコーヒーカップの音に遮られた。窓の外を見ていた大きな蒼い目が、ぎろりとこちらに向けられる。

「―――今、何と言った」

降谷さんの声は震えていた。この人がこんなに動揺を露わにする所を、俺は初めて見たような気がした。

「はい。FBI捜査官の、赤井秀一と言いました」
「どうしてお前が、あの男のことを知っているんだ」
「95に来るまでは、俺も色んな所を経験してきましたから」

この反応で確信した。やはり降谷さんは赤井秀一とは既知の間柄で、名前を聴いただけでここまで取り乱すほど深い関わりを持っていた人間なのだと。
俺は表面が少しだけ冷めたコーヒーを、自分の口元に近付けた。

「その赤井秀一が、2ヵ月前に来葉峠で不審死を遂げた。そのことは、降谷さんもご存知ですか」
「……ああ。とある筋から聴いて、知っている」
「その遺体の状況を俺なりに色々と調べてみたんですが、どうにもしっくり来ない点があるんです」
「しっくり来ない?どういう意味だ?」

俺がちらつかせた餌に、降谷さんは予想通りに食いついた。
だが、こちらもただで情報をくれてやるつもりはなかった。

「それをお話しする前に、降谷さんも教えてください。彼は日本に何をしに来たんですか?そしてどうして、あんな死に方をする羽目になったんですか?」
「それは……」
「赤井秀一ほどの男が、いくら不意打ちを食らったからって、簡単に殺されるとは思えないんですよ。でも、彼はほとんど抵抗する素振りも見せずに2発の銃弾を食らい、死亡している。だとしたら、その犯人も相当の実力を持ったプロだということになりますよね?」
「……まあ、そういうことになるな」

珍しく言い淀む降谷さんに、俺は次から次へと畳みかけた。

「俺の知る限りでは、日本にいる集団で、FBIが出張って来るほど世界的に危険視されている組織、またFBIやアメリカ本国と敵対関係にある集団は、各国のマフィアにも反社会的勢力にも、半グレの中にも居ませんでした」
「お前1人で、よくそこまで調べたな」
「これでも一応、ハムのあらゆるデータベースにアクセスできる程度の権限はあるんでね。あと、時間もたっぷりありましたし」
「だが、それでもお前は正解に辿り着けなかった。得意のお仲間に訊いて回ることはしなかったのか?」
「そんなの意味ないっすよ。降谷さんほどの人が極秘で投入されるくらいなんですから、ハムの中でも極一部の人間しか知らない相手なんでしょう?」
「…………」

だからあなたが教えてください、と俺は食い下がった。

「赤井秀一を殺した奴らが、一体どんな奴らなのか。そして、俺達が戦うべき真の敵が、一体誰なのかをね」

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