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赤井秀一の足跡を追うと決めたはいいものの、どこから情報を手に入れるべきか迷った俺は、まずは入国管理局に話を聴いてみることにした。彼が一体いつ、どんな理由づけで日本に来たのか、発給されているビザの種類を調べれば解るだろうと思ったのだ。

入国管理局は、日本における出入国管理、外国人の登録、難民の認定など、外国人にまつわる行政事務を管轄する法務省の内部部局である。個人情報を取り扱う部署なだけに、正面から攻めた所で欲しい情報をそう簡単に教えてくれるはずもなかった。
だが、俺はその入管内部に強力なタマ(協力者)を持っていた。

「えーっと、ごめん、……石川やったっけ?」
「谷川です。谷川颯」
「ああ、そうやったな!久しぶりやね、石山」
「だから谷川です。お元気でしたか?伊良部先輩」
「おお、元気にしよるばい。急にお前から連絡来たけん、びっくりしたわ。お前は元気にしとったか?」

東都に来てから十数年経つというのに、微妙に方言の抜け切らないこの男は、俺の肩に腕を回し、頭をぐりぐりと小突き回しながらけらけらと笑った。

彼の名前は伊良部雅之、俺の高校時代の剣道部の5年先輩にあたる男である。現役時代に直接接点があった訳ではないが、新年の寒稽古の時に歴代OB・OGがこぞって差し入れに来てくれていたため、そこで関わりを持ったのだ。高校時代はそれなりの進学校に通っていたため、同校OB・OGには霞が関勤務、所謂官僚と呼ばれる人間も多かった。これらの人間との繋がりをフルに活用することで、他の同僚にとっては得難い情報を、これまでにもいくつか横流ししてもらっていたのである。

伊良部先輩もその情報源のうちの1人だ。彼は入管には珍しい、若手キャリアの出入国情報分析官だった。ただし、運動部出身らしいがっしりした体格と精悍な顔つきは、キャリア官僚というよりむしろ俺達の同業者と言われた方がしっくりくる。

「いきなり令状もなしに個人情報を寄越せって言われた時には、胡散臭すぎて警察に通報しようかと思ったけどな」
「すみません、俺がその警察です」
「はは、そうやったな。そんで頼まれとった赤井秀一の件やけど」

そう言って先輩はゴソゴソとバッグをあさった。2号サイズの封筒を差し出され、俺は小さく礼を言ってそれを受け取る。

「それを読むんは本庁に戻ってからにしてくれ。不明な点があれば電話には応じるけん」
「解りました」
「それと、発給されたビザの件やけどな」

ここで先輩は言葉を区切った。俺が目顔で続きを促すと、先輩は声を潜めて身を乗り出した。

「ビザの発給は外務省の仕事やから、入管ではその種類やら発給の経緯やらは解らん。そんで外務省に勤める同期に、それとなく情報を回してもらった」
「えっ、そこまでしてもらったんすか。申し訳ない」
「よかよか。可愛い後輩のためやけん」

先輩は快活に笑い飛ばしたが、こちらとしては恐縮しっぱなしだった。本来のケースであれば、協力者から情報をもらう際には金銭が発生する。だが、彼の場合は少々レアケースだったため、ゼロから報酬を出してもらうことが出来なかったのである。

それというのも、実は俺は伊良部先輩を正式な協力者としてゼロに登録していなかった。通常、公安マンが協力者を獲得しようと思ったら、まずはゼロに報告して承認を得る必要がある。そうすることで登録番号と工作費が与えられ、対象者との接触が許されるのである。しかし、誰あろう先輩本人が、そうされることを嫌った。
その理由は単純である。法務省に勤める人間が警察という強力な司法権を持った行政機関に肩入れしていることが知られると、後々厄介なことになるからだ。少なくとも、彼の官僚としての人生は断たれるだろうし、こちらとしても癒着とも取られかねない繋がりは作っておくべきではない。そう判断した上で、俺は先輩を協力者としてゼロに登録しなかったのである。

「ありがとうございます。それならせめて、ここの勘定は俺が持ちます」
「アホか、後輩に奢らせるなんて飯がまずくなるわ。変な気を回さんでいいから、その代わり今度合コンセッティングしてくれよ」

そう言われれば、俺だって引き下がらざるを得ない。解りました、ありがとうございますと渋々ながら頷くと、先輩はわしわしと俺の頭を乱暴に撫でた。

「わわわっ、痛い、痛いっす先輩」
「いやいやー、持つべきものは可愛い後輩やな!また今度、居合の太刀筋を見せてくれや」
「最近はデスクワークが多いんで、多少腕が鈍ってるかも知れませんけどね」
「そんなら猶更、体動かして気分転換した方がいいやろ。こっちで道場行くことがあれば、俺にも声掛けてくれ」
「?……解りました」

いつになく強引だな、と思いつつ、俺はぐしゃぐしゃになった髪を撫で付けながら首肯した。この、やや不自然とも思える先輩の態度の意味を俺が理解するのは、警視庁に戻って、もらった資料に目を通した後のことだった。



本庁に戻って自分のデスクに着くと、俺はパソコンの影に隠れるようにして封筒から紙の束を取り出した。それを見る限り、赤井秀一はここ1年の間、不自然とも言える長さで日本に滞在していたことが解った。
例のプログラマーが事故に遭った1週間前に来日し、その遺体を引き取ると、1か月ほど滞在した後にアメリカへ帰国。そして半年経ってから再び来日し、それ以降はずっと日本に滞在していたらしい。

続きを読もうと1枚ページを捲った時、俺は声を上げることなく息を呑んだ。この時の動揺が表情や仕草に現れなかったのは、ひとえにI・S時代の訓練の賜である。

―――2ヵ月前、来葉峠にて何者かに襲撃を受け、赤井秀一は死亡した。

そう、先輩がくれた調書には書かれていた。

(あの男が死んだ?一体どうして!)

俺は書類を繰る手を早め、外国人登録原票を隅々まで読みこんだ。先輩が情報提供料の要求もなしにあっさりと個人情報を開示してくれたのは、こういうことだったのだ。行政機関の保有する個人情報保護の法律は、日本人は勿論外国人登録の人間にも適用されるが、その範囲は「生存する個人に関する情報」に限られる。そのため、正式な開示請求をせずとも情報を得やすかったのだろう。

だとしても、俄かには信じがたい情報である。あれほどの男がそう易々と、何者かの襲撃を許すなんて。そして大した抵抗の形跡もなく、簡単に死んでしまうなんて。

外務省が発給したビザは90日間の観光ビザとなっており、発給日時は約3ヵ月前となっている。アメリカ人が日本に滞在する場合、90日以内の滞在であればビザの申請が免除されるため、半年前に再度来日してビザ無しで90日、ビザを申請して90日と考えれば発給のタイミングにも辻褄が合う。だが、FBIの捜査官が日本で半年間ものうのうと観光をしているなんて前代未聞だ。何者かに襲撃されたという死因の不自然さから見ても、現場が人通りが極端に少ない来葉峠という場所であることを見ても、恐らく彼が日本に滞在していた真の目的は他にあると思った方がいいだろう。

(観光を装ってでも日本に滞在しなければならなかった理由って、一体何なんだ?)

アメリカで起きた事件の容疑者が日本に高飛びして、それを追って来たのだろうか。しかしそれなら日本警察に捜査協力を申し出て、身柄の確保に乗り出せばいい。それをしなかったということは、日本警察と正面切って連携する気が向こうにはなかったということだ。であれば、それは越権行為以外の何物でもない。

(降谷さんが知ったら、烈火のごとく怒り狂いそうだな……)

あの愛国心の塊のような人が、よその国の捜査機関がコソコソと日本で何かを嗅ぎまわっていることを知ったら、すぐさま追い返そうとするだろう。それでなくてもあの人は、やけにFBIを敵視する嫌いがあるのだから。

そこまで考えて、俺の脳裏にとある考えが閃いた。

俺は降谷さんが普段どんな仕事をしているのか、詳しいことは聴いていない。ただ、キャリア出身の警視という立場にしては珍しく、現場に“投入”されているらしいという話は風見さん経由で知っていた。投入というのはこの場合、人間を媒介とした諜報活動、所謂ヒューミントを行うために、身分を偽って敵対組織に潜入することを指している。
降谷さんが投入されている組織の名前や詳細は知らないが、ひょっとしたら赤井秀一も、似たような任務のために日本にやって来たのではないだろうか。そして組織の手によって粛清された、と考えれば、不自然な死因にも納得がいく。降谷さんがやたらとFBIを嫌うのも、ひょっとしたらその組織内で赤井秀一と何らかの関わりがあり、軋轢を生んでしまったからではないだろうか。

(降谷さんに話を聴いてみるか、それとも赤井秀一が死んだ時に遺体を鑑定した検視官に話を聴くか)

2ヵ月前の情報なら、科捜研か科警研にまだデータが残っているはずである。殺されたときの状況によっては、捜一か組対四課あたりにも記録が残っているはずだ。

色々な部署を盥回しにされ、赤井秀一の亡霊に踊らされているような気がしてきたが、こうなればとことん追求してやらなければ気が済まない。俺は気合を入れなおして、最初に降谷さんにアポを取るために、慣れたスマホをタップした。

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