食堂にて





焼きあがったクッキーの包みを抱えたまま、私達は連れ立って食堂に足を運んでいた。昼休みの食堂は戦争である。どれだけ早く席を確保し、食券を購入できるかで午後の授業の集中力が変わってくる。

「みずほ、先席取っといてー。アタシら、親子丼買うたらすぐ行くわ!」
「はーい、あの辺にいるねー」

私はお弁当を持参していたので、食券を買いに並んだ和葉たちと分かれて席の確保に向かう。

「うーん、どこも空いてない……?」

きょろきょろと辺りを見渡すと、ちょうど食事を終えて立ち上がる人影が見えた。6人掛けのテーブルを2人で占領していた傍迷惑な人影は、遠くからでも誰のものなのかはっきりと解った。
何故なら、その2人組はこの暑い中でも真っ黒なコートと帽子に身を包んだ、マフィアかと見間違えるほど怪しい2人組だったのである。

「ジンさん、ウォッカさーん!そこ空いてますかー?」

私が大声を上げて手を振ると、食堂にざわめきが広がるのが解った。まるでモーセの十戒のワンシーンのように、私と彼らの間の人の波が引いていく。

「……大声で名前を呼ぶな」
「まーたこの女ですかい……」
「そんなこと言って、私に会えて嬉しいくせにー。……すみません調子に乗りました謝るからそのナイフ下ろしてください!」
「チッ、今日こそそのうるせえ口を封じられると思ったのによ」
「目が本気!」

ジンさんとウォッカさんはどう見ても高校生には見えない2人だけど、一応私の一つ上の学年に所属している先輩だ。ほとんど授業や学校行事に出ないせいで単位が足りず、何年も留年しているともっぱらの噂である。そもそも名前がお酒の名前な時点で、未成年だとしたら割とアウトな気もする。

この2人と知り合ったのは、私が他校のガラの悪いにーちゃん達にカツアゲされていた日のことだった。部活終わりの暗い夜道を一人で歩いていたところ、いかにも悪そうな面構えの男4人に取り囲まれたのである。
そこに颯爽と割って入って、恐怖に怯える私を王子様のように助けてくれたのがジンさんである。なんて、勿論嘘である。そんな少女漫画チックな演出は一切なくて、ジンさんはただただ偶然にその場を通りかかっただけだった。

道のど真ん中で団子になっている男どもが邪魔だったのだろう。ジンさんは超不機嫌そうな声で、男どもに「どけ」と命令した。
その声が聴こえるまで、これっぽっちもジンさんの気配に気づいていなかった男どもは、「何だぁ?喧嘩売ってんのかコノヤロー」と言いながら振り返った。

振り返った途端に腰を抜かした。

それもそのはず、いくらイキってみせたところで不良少年はあくまで少年の域を出ないのだ。ちょっと悪ぶってみたいお年頃の彼らと本物のマフィアにしか見えないジンさんとでは、はっきり言って役者が違う。ジンさんの低い声で「ああ?」と訊き返されるのは、少年たちにとっては恐怖でしかなかったらしく、私からお金を巻き上げることも忘れてその場から逃げだした。

その日から、私はジンさんを命と財布の恩人として崇め奉っている。迷惑そうな顔をされても気にしない。

「もうお昼食べ終わったんですか?早いですね!」
「俺がまともに授業なんぞ受けてると思うのか?」
「胸張って言う台詞じゃないですよねそれ」
「うるせえよ。……ほら、ここ座りてえんだろ」

何のかんのと言いつつ、ジンさんは優しい人だ。私が席に到着するまで、その場を動かずに待っていてくれた。

「ありがとうございます。次に会った時は何かおごりますね!」
「フン。年下に奢られるほど落ちぶれちゃいねえよ」
「えっ、アニキ、こないだ俺にフラペチーノ奢らせたあれは……」
「余計なことを言うな、ウォッカ」

ぶっきらぼうに言って、ジンさんはその場を立ち去った。フラペチーノ飲むんだ、あの顔で。まあジェットコースターにノリノリで乗っちゃう人だから、ジュースくらい当たり前に飲むのかもしれない。

空けてもらった席に座って和葉と服部君、沖田君と紅葉ちゃんを待っていると、隣の席のテーブルにトレーが置かれる音がした。

「ここ、空いてますか?藤原さん」
「え?ああ、5人で座る予定なんで空いてます、……!?」

軽く頷きかけて、思わず隣を2度見、いや3度見した。だって穏やかに微笑んで私の隣に座ったのは、

「あ、あ、安室先生……!」

そう、中休みに職員室でその姿を探していた、担任の安室先生だったのだ。テーブルの上には海鮮中華丼の載ったトレーが置かれていて、先生もさっきそこで注文を終えたばかりなのだということを知る。

「ど、どうしたんですか?こんな時間に食堂にいるなんて、珍しいですね」
「たまたまお昼ご飯を持ってくるのを忘れてしまったんですよ。久しぶりに学生気分に戻って、食堂で食事を摂ろうかと」

うわあ、うわあああ。何だこれ、何だこのおいしすぎる展開。
ていうかお昼ご飯って。昼飯でも昼食でもなくお昼ご飯って、何それ可愛すぎる。

安室先生は私達高校生に対しても、丁寧な言葉を使う。それでも気弱だと馬鹿にされることはなくて、茶目っ気もあるし叱る所はちゃんと叱るし、あとさりげにスポーツ万能だったりするので、偉そうにしないその態度は女子にも男子にも好意的に受け止められていた。

「安室先生なら、制服着たらまだまだ学生で通りますよ」
「あはは、褒め言葉として受け取っておきますね」
「ほ、褒めてます!その、馬鹿にしてるとかじゃなくて……」
「解ってますよ。ありがとう」

朗らかに笑う先生の顔が眩しくて、私は多分馬鹿みたいに頬を赤く染めていた。こんなに至近距離で、この人の笑顔を独り占めしてもいいんだろうか。幸運を使い果たして、明日ぽっくり死んでしまいそう。

「それは困りますね。藤原さんは、僕の優秀な生徒ですから」
「ふえっ!?私、声に出してました!?」
「はい、ばっちり」

ああああ、なんて恥ずかしいことを口走ってしまったんだろう。これ以上余計なことを言わないように、と自分の口を手で覆った私を見て、先生は堪え切れないと言いたげに吹き出した。

「藤原さん、本当に素直な反応してくれますね。景光から聴いた通りだ」
「景光先生が?」
「はい。あいつ、僕に自慢してくるんですよ。藤原さんに懐かれて羨ましいだろって」
「あ、あはは。そんな風に言っていただけるなんて、恐縮です」

少なくとも、景光先生は私がまとわりつくことを嫌がってはいないようだ。少しだけ安心した。それを安室先生に自慢する意図は解らないけど。

そこで先生はふと私の手元に視線をやって、それは?と尋ねてきた。目線の先にあったのはさっきの調理実習で焼いたクッキーで、2つとも自分で食べてしまおうと思っていたものだ。

「あ、さっきの調理実習で作ったんです。あげる人もいないし、自分で食べちゃおうかなーって」
「へえー、藤原さんが焼いたんですか。あげる相手がいないなら、僕が一つもらっても?」
「へ?」

一瞬言われた意味が解らなくて、私は素で惚けた声をあげてしまった。いつの間にかぺろっと海鮮丼を完食していた先生は、トレーを持って立ち上がる。
流れるような動きで先生の手が私の手元に伸び、あれよあれよという間にクッキーの袋を取られてしまった。

「食後のティータイムのお供に、味わっていただきますね」

良いとも悪いとも言えない私を置いて、先生は颯爽と食器の載ったトレーを返しに行った。

叶わないと思っていた願いが思いがけない形で叶ってしまったことに胸がいっぱいになってしまって、預かっていたカフスボタンの存在すら頭のどっかに飛んでしまっていて。
和葉や服部君たちが来るまで、私は自分のお弁当を開けることも出来ずにいた。


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