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この日、警視庁で行われた捜査会議で、僕は漸く国際会議場の爆発にNorというソフトウェアが使われていたという情報を開示した。勿論、直接それを伝えるのは僕ではなくて、会議に出席している風見である。

NorがコンピュータのIPアドレスを隠し、複数のコンピュータを経由した上で標的のコンピュータに不正アクセスを行うソフトであることと、その匿名性を解除するためにNAZUに協力を要請したことが伝えられると、会議の場をざわめきが包み込んだ。

しかしその途中、日比谷公園の雲形池の四阿で必死に耳を澄ませている少年の姿を確認し、僕は風見に捜査会議を中座させて呼び出した。盗聴されていることにも気付かずに、何をべらべらと喋っているんだ、あいつは。

そして僕は少年の背後に回り込み、躍起になって情報を得ようとしている無防備な背中に声を掛けた。

「捜査会議の盗聴かな?」
「っ!……何でここが!?」

何でも何も、博士の作った探偵バッジの発信機をギルバートに追わせれば、苦も無くコナン君の居場所は把握できる。以前彼が誘拐された時と同じように。
僕は質問には答えず、悠々と彼を見下ろした。

「毛利小五郎のこととなると、君は一生懸命だねぇ。……それとも、蘭姉ちゃんのためかな?」

彼が毛利小五郎の娘である蘭さんのことを特別に想っていることは容易に知れた。だからこそ、今回偽の容疑者として毛利小五郎を選んだのだ。

好きな女性のためなら、どこまでも必死になれる。その単純さが哀れでもあり、羨ましくもあった。

彼は何かを言おうとして、しかしもう一人の人間の気配を察知して口を噤んだ。僕はその相手が誰だか解っていたので、動きのあった茂みに向かって呼びかける。

「構わない。出てこい」

それに応じて姿を見せた風見は、不服そうな表情を浮かべていた。

「……何故、私を呼んだんです」

僕は無言で風見の近くに歩み寄った。降谷さん?と戸惑う声が聞こえるが、それも無視して彼の右腕を掴み、強引に捻り上げた。痛みに耐えきれず、風見は地面に膝を付く。
僕は彼の右腕の袖に手を入れると、そこから1枚のシールを剥がし取った。

ギルバートの進言通りである。そこにあったのは、シールの形をした超薄型の盗聴器だった。見せつけるようにそれを彼の目の前に持って行くと、僕は低い声でゆっくりと言った。

「―――これでよく公安が務まるな」

怒りを露に絶対零度の眼差しで奴を射抜くと、風見は漸く自分の失態に思い至ったらしい。

「す……すみません……」

本気で反省しているらしい声を聴き、僕は手に持った盗聴器を握りつぶした。小さく火花が飛んで、中から銅線が飛び出す。部下が簡単に小学生の手玉に取られて腹立たしいことに変わりはないが、さくらと共に人工知能を開発したという博士の実力には感心した。

仕掛け人の目の前で、彼の仕掛けた盗聴器を無力化する。この上ない心の折り方に満足して、僕は2人に背を向けた。コナン君の待って、という声が聞こえたが、僕は無視してその場を立ち去った。

「あなたも大概、人が悪い」
「何だいきなり。街中であまり喋らない方がいいんじゃないのか」

前触れも無くギルバートの声が聞こえてきて、僕は左手首を持ち上げた。彼は周りに人が居ないことは確認済みです、と答えて窘めるような声を出す。

「あなたも風見さんのことを言えませんよ。先日のニュースで流れた国際会議場が爆破した瞬間の映像に、あなたの姿が映っていました」
「何だって?」

もしもそれが本当なら、組織の人間に見られたら一発でNOCだとばれてしまう。半年前の二の舞はごめんだ、と僕が眉根を寄せると、ギルバートは安心してください、と朗らかに笑った。

「僭越ながら、あなたの声を使って公安警察のサイバーフォースセンターに働きかけ、その映像を編集してもらっています。今後同じ映像が流れたとしても、あなたの顔は映っていないことでしょう」
「…………。助かったよ、ありがとう」
「どういたしまして」

どこまでも有能な片腕に感謝しつつ、今度こそ僕は公園を後にした。

*****

私はギルバートのヘッドホンを装着し、自分で作ったアプリのモニタリングを行っていた。平たく言えば、たった今のコナン君と零さんの会話を、コナン君のスマホを通じて盗聴していたのである。

(よかった、あの子はまだ私のアプリを消してなかったのね。博士に根回ししておいて正解だったわ)

その博士は今、子供たちとお昼の準備に興じている。私も途中まで手伝っていたのだが、ちょうどドイツから仕事の連絡が入ったこともあり、キッチンを抜け出して、少しの間事件の顛末を追ってみることにしたのである。

零さんが立ち去った後も、彼の部下である風見さんとコナン君の会話を聴いていると、風見さんは驚くべき言葉をコナン君に告げた。

「君の言う、安室という男は……人殺しだ」
「―――」

突然何を言い出すのだろう、と私は目を見開いた。彼も零さんが組織で活動していることを知っていて、そんなことを言うのだろうか。それとも全く別件で、零さんが人を殺したことがあると言うのだろうか。

「去年、拘置所で取り調べ相手を自殺に追い込んだ」
「自殺って……」
「……悪い。子供に言うことじゃなかった」

風見さんはそう言って自嘲したが、私は息を詰めたままだった。小さなクリック音が響き、ギルバートが小さな声で発言する。盗聴を邪魔しないようにという配慮だろう。

「さくら。彼の言う事件について、該当する事例がヒットしました。結果を表示したいので、パソコンを開いてもらえますか」

こんな時でも冷静さを失わないコンピュータに感謝して、私は自分の持ってきたノートパソコンを開いた。早速ギルバートからの資料が届き、私は迷うことなくクリックする。
表示されたのはPDFファイルだった。去年起きた、ゲーム会社のアクセスデータの窃盗事件の調書である。弁護士の名前は見覚えがなかったが、担当検事は岩井紗世子と書かれていた。日下部検事の上司です、とギルバートから補足が入る。

容疑者は羽場二三一、男性。4年前の司法学校の修了式で、自身が裁判官不適格と判断されたことへの強い不満から教官との間にトラブルを起こし、修習生として罷免扱いを受けたことがある。以降、弁護士の橘境子の事務所で事務員として働いていたが、去年起こしたアクセスデータの窃盗事件を機に逮捕され、拘置所内で自殺した。

「この男性が、さっき風見さんが言ってた“零さんが殺した”相手?」
「ええ、そうです。公安警察の取り調べを受けたあとで、彼は謎の自殺を遂げたと書いてあります。戸籍情報などでも間違いはありません」
「橘境子の事務所で働いていたって書いてあるけど、この橘って人は事務所を持たないフリーの弁護士じゃなかったの?」
「羽場の事件をきっかけに事務所を閉めたようですね。それから、共通するワードが複数含まれている事件がこちらです」

間を置かずに、もう一つのPDFが届いた。そちらも迷うことなく開示する。その表紙に刻まれている文字は、“NAZU不正アクセス事件”である。

「またNAZUなの……」

今回の事件だけで、一体何度この名前を見たことか。因縁めいたものを感じずにはいられない。

「そう言わずに読んでください。そもそもこの事件をきっかけにして、NAZUはNorに対する匿名性を解除するシステムを開発したのですから」
「そう言えばそうだったわね。弁護人は橘境子、担当検事は日下部誠……?」

んん?と私は首を捻った。見事に今回の、毛利さんの裁判の関係者と一致している。
私は更に資料を読み比べた。前者の事件で羽場という男がアクセスデータを盗み出したゲーム会社というのが、NAZUに不正アクセスをしたゲーム会社と同じ名前だったのだ。また、羽場が窃盗事件を起こした日にちはNAZU不正アクセス事件の直後だった。

これが偶然と言えるだろうか。答えは否である。
二つの事件には関連がある。決して見過ごしてはいけない関連性が。

そこで私はふと気が付いて、ぽつりぽつりと呟いた。

「羽場がアクセスデータを盗んだ動機は一体何なの……?NAZU不正アクセス事件の直後なんだから、監視も厳しくなってるに決まってる。そこにわざわざ侵入したってことは、目的はひょっとしたら……」

ギルバートが私の呟きを拾って、文字に起こしてくれている。私はそれらを見つめながら、更に一人でぼやき続けた。

「仮に羽場の動機がそれだとしたら、手に入れたアクセスデータを欲しがるのは弁護側?検察側?どちらにしても、それがきっかけで逮捕されて死んだのなら、公安警察に対して恨みを抱くのは十分ね……。だとしたら、サミットの前なのに28日に会場を爆破したのも頷ける」

犯人の目的は、サミットに来る各国の要人を害することではない。あくまで羽場を殺した“公安警察”に復讐がしたかったのだ。だから、警視庁の公安部が国際会議場の点検に当たった28日にガス栓にアクセスし、電気ポットを使って爆破させたのだろう。

「恨んでいるのが公安警察だけなら、毛利さんが偽の容疑者に仕立て上げられているこの状況で、犯人はどう動く……?もしも毛利さんの無実を証明しようとするなら、このあとどんな行動を取ってくる?」

私は子供の頃に読んだ漫画を思い出していた。あれは犯人である主人公が、自らの無実を偽装するためにわざと拘留されることを望み、自分の手で犯罪を引き起こせない状況を作り上げた。

そしてその状況で、再び犯罪は起きたのだ―――主人公が拘束される以前と、全く同じ手口で。

「っ!」

だとしたら、今回の犯人も。毛利さんの無実を証明するために、全く同じ手口の事件を、今日も引き起こそうとするかも知れない。

私はパソコンの右下に表示された日時を確認した。5月1日。
そして調書に書かれた羽場の命日も、去年の5月1日だったのである。

私が思わず席を立った瞬間、キッチンから悲鳴が響き渡った。


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