05
蘭の母親は妃英理というやり手の弁護士である。彼女が弁護をした裁判は負けなしという凄腕で、法曹界のクイーンとも呼ばれている。今回、小五郎のおっちゃんが逮捕されたことで、蘭は母親に父親の弁護をして欲しいと依頼をしに、彼女の事務所を訪ねた。
しかし、英理おばさんはおっちゃんの弁護は出来ないと言った。身内の弁護をすると私情が挟まると見做され、却って不利になるのだと。
ならばと他の弁護士を当たってみても、誰からも色よい返事は貰えなかった。
「何で誰も弁護してくれないの?」
蘭はもどかしそうに頭を振った。父親が謂れのない罪を擦り付けられているというのに、誰も力になってくれない現状が信じられないのだろう。
「大事件だから?」
「そうね。あと、弁護する被疑者が眠りの小五郎っていう有名人なんで、どの弁護士も尻込みしちゃってね」
おばさんが小さくため息を零した時、事務所のドアがノックされた。入ってきたのは警視庁の白鳥警部である。彼も警視庁の刑事部として、今回の事件の捜査会議に出席していたのだった。
「失礼します。ニュースになる前にお伝えすべきかと思いまして」
「何か?」
おばさんが続きを促すと、白鳥警部は一瞬言葉に詰まったあと、言いにくそうに切り出した。
「……毛利さんが、送検されます」
「―――!」
送検。それは読んで字のごとく、検察に身柄を送致されることである。警察は逮捕から48時間以内に検察に被疑者の身柄を送致しなければならないが、逮捕から1日も経っていないこの段階で既に送検が決定するなんて、いくら何でも早すぎる。
「送検に至る証拠はあるんですか?」
「現場にあった毛利さんの指紋。パソコンにあった現場の見取り図や、サミットの予定表。そして、引火物へのアクセスログ……」
「送検するには充分ね……」
おばさんは今度は深々とため息を吐いた。ここまで段取りよくおっちゃんが犯人に仕立て上げられるなんて、背後にはやはりあの人たちの働きがあるとしか思えない。
「……なんで?どうしてお父さんが……!」
蘭は白鳥警部の前だと言うのにぼろぼろと泣き出した。おばさんがすかさず抱き寄せてフォローするが、涙は止まる気配を見せない。
抱き締める体を持たない俺は、身を寄せ合う2人を見つめて歯噛みした。
(待ってろ、蘭!)
俺が必ず、おっちゃんを助けてやっから。
お前を苦しめる奴らを、ぜってー突き止めてみせるから。
「博士、見つかったって!?」
俺は博士の連絡を受けて、事務所から博士の家まで奔走した。昨日依頼しておいた、爆発物の特定が完了したのだという。
「おお、来たか。ほれ……」
博士が示したモニターには、ドローンで撮影した数々の写真をスキャンし、爆発物とみられる物の3Dモデリングが映っていた。爆弾というよりは、蓋の付いた大きな鍋のように見える。
「昨日撮影した破片の画像をスーパーコンピュータに取り込んで、復元作業をやってもらったんじゃ。それで、世界中のあらゆる爆弾と照合してみたんじゃが……」
「スーパーコンピュータ?」
そんな高性能な機械は博士の家にはない。誰かに頼んで使わせてもらったにしろ、そんなことが出来る人間は限られている。それこそ、安室さんの協力者のさくらさんくらいしか、博士のツテでは思いつかない。
「それで、爆弾じゃなかったけど、見つけたわよ。合致するもの」
灰原はマウスをクリックして、俺にとある電化製品が載っているホームページを見せた。
爆発物の正体はあまりにも意外な物だった。
「IoT……圧力ポット?」
圧力鍋をポットの形にした優れもので、スマホから圧力、温度、時間を設定するだけでスープなどの調理ができるという家具である。
「圧力ポットの他に、フライパンやお鍋、食器類も散乱してたから、爆発した場所は施設内にある飲食店の厨房だったようね」
昨日灰原と一緒に見たニュースでは、国際会議場には日本庭園をイメージした料亭などが設置されていると言っていた。
何だよ、と言って俺は拳を握りしめた。
「爆弾じゃなかったのかよ……!!」
てっきり大きな爆弾が仕掛けられるほどの重大なテロか何かかと思っていたから、こんな物のためにおっちゃんが無実の罪を着せられることが悔しくてならなかった。
思わず大声を上げた俺を、博士は厳しい声で窘めた。
「こら!爆発物を捜せっていう君の頼みで、哀君やさくら君も頑張ってくれたんじゃぞ」
「―――さくらさんが!?」
安室さんの協力者である彼女の名前がここで出てきたことに、俺は戸惑いを隠せなかった。
さくらさんは、おっちゃんを犯人に仕立て上げた側じゃないのか。なのにどうして、灰原や博士に協力するような真似をするんだ。
「灰原、さくらさんは今どこに!?」
「私の部屋で仮眠を取ってもらってるわよ。……どうしたの、そんなに慌てて」
俺はその言葉を聴くと同時に身を翻した。
「さくらさん!」
灰原が止めるのも聴かずに、俺は彼女が寝ているという部屋のドアを開けた。
そして開けたまま中に入るのを躊躇った。彼女は確かにそこに居たが、俺が乱入してきたことにも全く反応を示さないほど、疲れ切った様子で眠っていたのだ。
「ちょっと!あなた、何考えてるのよ!」
追いついた灰原が、彼女の姿を隠すように俺の前に回り込む。
「30分だけ寝かせてって言って、やっと横になったばっかりなのに!」
「っでも、どうしても訊かなきゃならねえことがあるんだ!」
そんなに眠れないほど忙しくしていたという事実が、俺の疑惑を裏付けた。俺は眠るさくらさんの肩を掴み、遠慮なく揺さぶる。
「なあ、頼むから起きてくれよ!」
「やめなさいってば!」
「んー……」
彼女は俺と灰原の言い争う声に、漸く意識が覚醒したらしい。とろんとした瞼をしきりに擦り、ゆっくりと起き上った。焦点の合わない藍色の瞳が、俺を見て小さく揺らぐ。
「…………。おはよう、少年探偵さん」
乱れた髪を掻き上げながら、彼女は気怠そうに笑った。呑まれてしまいそうな色香をなんとか振り払い、俺は彼女に詰め寄る。
「さくらさん、安室さんに会いに帰国したんだよな!?」
「ごめん、本当にごめんだけど、ちょっとボリューム落として……。頭に響く」
彼女はそう言って眉間を指で押さえた。気怠いのはポーズだけじゃなかったらしい。だが、俺の逸る気持ちは止まらなかった。
「安室さん、なんか様子が変なんだ!さくらさん、あの人から何か聴いてない!?」
彼女は俺の言葉を聴いて、ようやくまっすぐに俺の顔を見返した。
「訊けば答えてくれるとでも思ってるの?」
しかしその口から出てきた言葉は、俺を怯ませるには充分だった。
「大人っていうのはね、質問に対して答えないものなの。もしも答えてくれる人がいたなら、それは答える側にとって都合が悪くない部分だからそうしているだけなのよ。そんなものを信用するっていうのは、つまり乗せられていることと一緒なの」
眠気などすっかり消え失せたかのような瞳は、いつになく厳しい眼差しで俺を射抜いた。
「私がその質問に答えることは簡単よ。“私は彼から何も聴いていない”ってね。でも、あなたはそう聴いたって納得なんかしないでしょう」
どうせ自分の推理しか信用しないくせに、聞く耳を持たないのならいちいち人の安眠を妨害しないでくれと、彼女はぶっきらぼうに言い放った。
こんなことを言う人だっただろうか。
俺が衝撃で言葉を喪っているのを見て、彼女は今度は薄く笑った。
「なんてね。ちょっと意地悪なことを言ったけど、今回私はノータッチよ。あなたがそんなに慌ててるなんて、一体何があったの?」
「っ嘘だ!今回みたいに堂々と公安警察が絡んでるって時に、さくらさんの手助けを必要としない訳がない!」
「いい加減にして!」
追及をやめない俺を止めたのは灰原だった。肩を怒らせて、俺をきっと睨み付ける。
「さくらさんは、寝る間も惜しんであなたの依頼に協力してくれたのよ!それを何なの?突然掴みかかったりして……!」
「お前の信用するこの人は、おっちゃんを嵌める手助けをしたんだぞ!」
「嵌めるって、毛利探偵に何かあったの?」
灰原の問い掛けに、俺は苛立ちをぶつけるようにさくらさんの顔を見据えて怒鳴った。
「送検されたんだよ!―――公安警察に、無実のテロの罪を着せられてな!」
しん、と部屋が静まり返った。灰原は驚愕して俺とさくらさんの顔を見比べ、さくらさんは驚いているような、困ったものを見つめるような顔で俺を見下ろした。
「……事情は解ったわ。あなたがそこまで私やあの人を敵視する理由もね」
だけど、と言って彼女は立ち上がった。
「大切な人を傷付けられたからって、自分も誰かを傷付けていいとは思わないで。あなたの正義は、誰かを守るためのものであって欲しいから」
「…………っ」
息を呑んだ。俺はこれまで探偵として、数々の真実を暴いて来た。けれどそれが原因で、沢山の人間を傷付けてきたことは確かだ。
彼女の発言がそこまで踏まえてのものだとは思わないが、きっとこの言葉には額面通りなだけではないメッセージが隠されている。そう気付いた瞬間、沸騰していた俺の頭も急速に冷静さを取り戻した。
「哀ちゃん、お騒がせしちゃってごめんなさい。ひとまず爆発物の特定は終わったから、私は一旦ホテルに帰って寝るわ」
もしまた困ったことがあれば、いつでも言ってきてね。そう言い残して、彼女は部屋を出て行った。
俺の正義は、誰かを守るものであって欲しい。その言葉だけは紛れもない彼女の本音なのだろうと、何故か無条件に信じられた。
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