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事件の後処理が終わったら、と降谷さんは言ったものの、それは当分先の話になりそうだった。

まず、彼はNOCとして組織に疑いをもたれていたのだ。いくら私が偽装したメールがあるとは言え、彼は組織の信頼を回復させるためにしばらく警察庁には戻らないと言った。
そして組織絡みの任務を多くこなすということは、必然的に私は遠ざけられることになる。それが寂しくはないのかと言われれば寂しいと答えるが、それが彼のけじめなのだから仕方ない。

寂しさに感けている余裕がなかった、とも言える。私としても、1度ならず2度までも大事な師を喪って精神的に疲弊していたためか、2日ほど熱を出して寝込んでしまったのだ。幸い実家にいたから生活に困ることはなかったし、心配性な母親は甲斐甲斐しく看病してくれた。

事情を知る阿笠博士や哀ちゃんも、お見舞いと称して実家に遊びに来てくれた。哀ちゃんだって怖い思いをしたのに。キュラソーを喪って、心に傷を負ったのに。

「私は……もう大丈夫よ。子供たちが居てくれるもの」

そう言って微笑んだ哀ちゃんは、とてもじゃないけど小学生とは思えないほど大人びた顔をしていた。

「それで、さくら君。人工知能のギルバートのことじゃが、どうするつもりなんじゃ?」
「え?どうするって、どういう意味?」

博士の問いかけに、哀ちゃんは驚いて私と博士の顔を見比べた。博士は実はのう、と言って私の顔を心配そうに見つめた。

「ギルバートから、君と“彼”が話していたことを教えてもらったんじゃ。いや、勿論こっそり聴くつもりじゃあなかったんじゃが」
「構いませんよ。私もきちんと、彼のことは博士にお伝えしなければと思っていましたから」
「そうか。それなら、君がいずれ―――ギルバートを消すつもりじゃということも、事実なんじゃな?」

博士が重々しく告げた言葉に、驚いたのは哀ちゃんだった。

「どうして!?あの研究が世に出れば、どれだけ世界のAIへの認識が変わるか……。いえ、世に出さなくても、消してしまおうなんてどうして思うの!?」

当然とも言えるその質問に、私は視線を落として微笑んだ。

“彼”への気持ちに踏ん切りをつけたら、ギルバートとはお別れなのだと決めていた。
あの子は私一人で開発したものではない。そのプロトタイプを作成したのは今は亡き発明家で、共同で開発を進めた博士も自分の名前を出す気はないという。
ならば、私の自己満足でここまで成長させてしまった彼を、私は自分で消さなければならないと思っていた。
あの男への消せない未練を、いつまでも一人で抱えていく訳にはいかない。

私はそこで目を開けて、博士と哀ちゃんを真っ直ぐ見据えた。

「……本当です。私はずっと、あの子をいつか手放すつもりで研究を進めていました」

息を呑む2人に、でも、と言って私は顔を上げた。

「あの人に言われたんです。私はずっと彼を忘れないためにギルバートを開発してきたと自分で思い込んでいたけど、本当は違うんだって。もうとっくに彼とは関係のないところで、ギルバートを信頼し始めているんだって」

―――君はもう、俺とあのAIを混同なんかしていない。俺への感情とは別物として、彼に愛情を抱き始めている。
―――俺がいなくなった時、君の心を埋めてくれたのは誰だ?君をもう一度前向きな気持ちにさせてくれたのは、生まれたばかりのAIだったんじゃないのか?
―――俺や博士に気兼ねなんかする必要はないさ。彼をあそこまで成長させたのは、君の努力あってのことだ。その誇りを、決して失っちゃいけない。

私にそう言って、ギルバートを手放すことを許さなかったのは、誰あろう発案者である“ギルバート”だった。

本当は、ずっと前から気付いていた。私の中で、彼は最早あの男への未練を象徴する存在ではないのだと。
すっかり心を預けられる、無二の相棒になっていたのだと気付いていた。

(私の、誇り……)

掛けたお金や時間などには頓着しないつもりだった。ただ、彼を捨てることは私自身の誇りを喪うことだと、あの男は言った。

「彼、本当に酷いのよ。私の中の安室さんへの気持ちを自分で暴いておきながら、それが悔しいからって私に消せないトラウマを残そうとしたの。この子のことだって、私が彼への気持ちを吹っ切ろうとしていることを知ったから、わざと消させまいとしてそんな風に言うんだわ」

その酷い男に言われた言葉に、どこかで救われたような気持ちになっている自分は大概頭が悪いと思う。

「でも、いいわよね。彼はもう死んでしまったんだもの。死んでしまった人間を、多少美化したっていいわよね。彼の言葉を、自分の都合のいいように受け取ったって、いいわよね……」

私が力なく項垂れると、哀ちゃんは身を乗り出して私の手を握ってくれた。

「さくらさん。あなたとギルバートさんの間のことは、私には解らない。でも、あなたの中で少しでも彼を信じたい気持ちがあるのなら、都合がいいと言われようが最後まで信じてあげましょう」
「……哀ちゃん……」
「だってもう、死んだ人間は私達の記憶の中でしか、生きていくことが出来ないんだもの」

握られた手に力がこもる。ひょっとしたら彼女も、かつて大切な誰かを亡くしたことがあるのかも知れない。
けれど哀ちゃんは真っすぐに前を向いている。こんな小さな子供に負けていられない、と私は無理矢理笑みを作った。

「そう、よね……。ありがとう、哀ちゃん。おかげであの人の言葉を、ずっと素直に受け入れられるような気がするわ」
「それじゃあ、ギルバートのことは」
「ええ。まだまだ私の相棒として、これからも頑張ってもらうわよ」

私がそう言い切ると、哀ちゃんは目に見えてほっとしたように口端を上げた。博士は滲んだ涙を拭き取った後、そう言えば、と言って彼のスマホを取り出した。

「コナン君がのう、ギルバートって人は誰なんだってしつこく訊いてくるんじゃよ。教えてやってもいいかのう?」
「え、コナン君が?」

彼の目に触れるところでギルバートと会話をしたことがあっただろうか、と考えて、私は思い出した。確かあのオスプレイを撃退するときに、1分間奴らの動きを止めるから何とかしてくれと赤井秀一に伝えるために、ギルバートに伝言を頼んだのだ。

あの時はギルバートを手放すつもりでいたから、どうせバレても構わないと思っていたのだけれど、こうなったからにはもう少し慎重にならなければいけない。
コナン君は降谷さんも認める頭脳の持ち主だ。そんな彼相手に、のっけから手の内を全て見せる必要はないだろう。

「うーん、でもコナン君相手には切り札は見せたくないんですよね。だからもうちょっと、黙っててもらってもいいですか?」

私がウインクと共に人差し指を立てると、哀ちゃんは面白そうにふふ、と笑った。

「いいんじゃないかしら?江戸川君なら、ひょっとしてそのうち彼の正体に気付くかも知れないしね」

哀ちゃんはコナン君を出し抜けると思って上機嫌だった。彼女のこんな顔を見ることが出来るなんて、もしかしたら私の立ち位置はかなり美味しいポジションなのかも知れない。

「落ち着いたら、また博士のお家にもお邪魔していいですか?」
「勿論じゃよ。早く元気になるんじゃぞ」
「長々とごめんなさいね。それじゃ、お大事に。さくらさん」

2人を玄関まで見送ると、私はもうひと眠りするために自室に引き上げた。ギルバートのことを2人に話せたお陰で、昨日よりもずっと心が軽くなっていた。

さようなら、私の愛したギルバート。
そしてこれからもよろしくね、私の相棒のギルバート。


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